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【追悼】PANTA 猛きロックスピリット<後編>頭脳警察復活、『クリスタル・ナハト』秘話…「きらびやかさとは裏腹に残虚な行為がおこなわれた」

 前編のインタビューから3年後、頭脳警察が復活した。取材を続けながら、『クリスタル・ナハト』発売直後のインタビューから追記し、『風の中の男たち』(1991年4月)に収録した。
 以下、当時のプロフィールからお読みいただこう。あれから、30年超。旅立ったPANTA。世界中で「戦争屋」たちが、第三次世界大戦を準備する。第二次世界大戦前夜「水晶の夜」を歌った『クリスタル・ナハト』が、俺たちの胸に突き刺さる!

PANTA(パンタ)
 1950年2月5日、埼玉県所沢市に生まれる。本名・中村治雄。隼戦闘隊の整備士だった父と従軍看護婦だった母をもつ。父が米軍の所沢基地で働いていた少年にとって、基地は「遊び場」であった。
 68年、関東学院大学に入学、「ピーナツ・バター」という四人組のGSを結成するが、すぐに解散。その頃から「パンタ」のニックネームで呼ばれるが、由来は不明。69年12月、トシ(石塚俊明)と二人で日本語のオリジナルロックをやろうと「頭脳警察」を結成。その名は、マザーズ・オブ・インヴェンションのナンバー『Who Are The Brain Police』から借用。大学祭やコンサートで活躍したが、過激な詞や活動で各界から注目される。70年の日劇ウエスタンカーニバル「事件」、71年の三里塚・幻野祭など武勇伝は数知れず。
 72年、京都府立体育館でのコンサートライヴが頭脳警察のファースト・アルバムとして出される予定だったが、中止。スタジオ録音の『頭脳警察セカンド』も、発売1ケ月後に発禁処分。スキャンダラスなレコードデビューとなった。同年10月、『頭脳警察3』発表。75年12月の頭脳警察解散を経て、76年よりソロ活動。77年、PANTA&HAL結成。79年、70年代の日本のロックアルバム最高峰『マラッカ』を発表。81年、PANTA&HAL解散、再びソロに。87年、長年の懸案となっていたアルバム『クリスタル・ナハト』を発表、話題を呼ぶ。
 90年6月、15年ぶりに頭脳警察を復活。91年よりソロ活動。2001年、頭脳警察再々結成。同年、「ピーナツ・バター」再結成。などなど、多彩に活動。著書に自伝『歴史からとびだせ』、『勝手に覗くな!!頭脳警察PANTAの頭の中』、『ヤルタ★クリミア探訪記 (PANTAと仲間たち) 』、詩集『ナイフ』などがある。
 2023年7月7日肺がんによる心不全のため死去。

 九〇年六月一五日、頭脳警察が復活した。
 インタビューから約三年、パンタは、詩集『ナイフ』と自伝『歴史からとびだせ』を作り、アルバム『P.I.S.S』を出した。そして、突然の頭脳警察の復活。いったい、何を考えてるんだろう!? と、ライヴのおこなわれた新宿パワーステーションヘ駆けつけた。だが、ハッキリ言って「何か」が視えて来たわけではない。パンタとトシは、ぷつかりあうことでしっくりいっているようにも感じたが、アンコールを拒否した姿勢は、「歴史」を楽しもうとせずスジを通そうとしたパンタの気骨だったに違いない。あれで、いいのだ。鳴りやまぬアンコールの拍手がむなしく、気持ち良かった……。
 パンタは、「総括」の過程にあるのだろう。
 今、しばらく頭脳警察の活動を続け、十一月にはまったくの新曲ばかりで構成した『頭脳警察7』も出される。ひとつの伝説を作り上げた形となったアルバム『クリスタル・ナハト』で、血まみれの世界史に挑戦し、現代史の闇を切り裂いたパンタは、『P.I.S.S』といういらだちを抱えながら、イッキに頭脳警察にスライドして来た。
 この『ナハト」直後のインタビューでは、さらにこんなやりとりを交わしている。

撮影=坂本禎久/初出=「ザ・ナイスマガジン」1987年11月号

──『マラッカ』の頃から『クリスタル・ナハト』は構想されていたようなんですが、昨年『R☆E☆D』でアジアを歌って、今年『クリスタル・ナハト』にいよいよ突っ込んで来た……。オイルロードーアジアードイツというか、その辺の関係性というか、トータルな“世界観”みたいなことで繋げて行ってるのかなって気もするんですが?

パンタ あのね、『マラッカ』の時に、確かに『クリスタル・ナハト』という言葉を耳にしたか目にしたか、どっちかわからないんだけど、その時の印象というのがファーストインスピレーションでね、直後のキッカケとなったんだけどね。
 水晶の夜という名前で呼ばれて、そのきらびやかさとは裏腹に残虚な行為がおこなわれたわけでしょう。きらびやかさを強調することによって、凄惨な世界史っていうのが浮き彫りにされてくるんじゃないかっていうのがさ。例えば教科書とかなんとかっていうのからどんどん消されて行っちゃうけれども、そういった既成事実が浮き彫りにされてくるんじゃないかっていうのが、最初の基点なんだよね。
 あえて『マラッカ』との関連づけというのもないんだけど、『マラッカ』の後にね、実はプロデュースする予定だったの。そのつもりで『クリスタル・ナハト』っていうのを煮つめたんだけども、いや、それよりも東京だろうということで『1980X』になってしまったわけなんだよね。だから、まあ『臨時ニュース』とか、そういった類の曲っていうのは非常に『ナハト』的な匂いはするよね。
 それから、時がたつにつれていろいろやって来たけども、ただ踏ん切りっていうか、今まで、はたして完成した時点でジャーナリストの人たちの突っ込みとかね、そういった部分があった時に明快な解答を出しうるのかという自分の器量に、ちょっと疑問があってね。あと、資料はあることはあったんだけれども、割とツン読っていうか山積みされてるだけでね。別に資料を調べるとかで時間を費したとか、そういうことではないんだけれども、『R☆E☆D』を作り出した時に、初めて心の中にシコリとしてあった『クリスタル・ナハト』っていうのが現実化して来たっていうかね。だから、『R☆E☆D』を踏み台にしてっていうか、勢いにのってという方が近いね。世界観の関連づけとかよりは。
 まあ、『R☆E☆D』出して、『プラハからの手紙』は12インチで出して、それを、『プラハ」を『ナハト』の前哨戦にするんだという勢いでやってたから。
『プラハ』が終ってから、ディレクターなんかからも『ナハト』に行くよりは、もう少しワンクッションおいた方がいいんじゃないかっていうアドバイスもあったんだけれど、そのまま飛び込んでいっちゃった方がいいだろうっていうことでね、うん。

──12インチシングルの『プラハからの手紙』は、今年の一月に出されたんですが、いわゆる『赤軍兵士の詩』のニューバージョンみたいなのが入ってましたけど、どっかで誰かも書いてましたけど、昔の頭脳警察時代とこの間の『R☆E☆D』以後の流れとが、ちょうど錯綜してるんじゃないかと。六月に、まず『頭脳警察BEST』っていう“なつメロ”的なものを出しておいて、七月に『ナハト』を出してくるという。どこかのインタビューで御自分でもしゃべってらしたけど、大きな第二サイクルの終りみたいなこと、区切り的な意味づけはあると。それはそうだと思うんですよ。つまり『R☆E☆D』からの勢いと、頭脳警察以来のアクセントとどこかで重複してるんじゃないでしょうか?

パンタ いや、作るっっていう部分では勢いだと思うけど、内容に関しては絶対意味づけは必要なものになってくるでしょう。だから、『プラハ』の時も、『赤軍兵士』が案で出て来たんだよね。
 その時にハタと思ったのは、『プラハからの手紙』を見てみてね、なんだコレ、ブレヒトの世界じゃないかっていう、できてる時点でね。それだったら、『赤軍兵士の詩』っていうのも考えられるなと思ってね。(注・〽おれたちの地球が食い荒らされて 疲れた太陽が昇るから……というブレヒトの詩にパンタが曲をつけた、一九七二年に出され発売禁止になったアルバムに収録されていいる)
 非常に、こう、世界観が似通っているしね、こりゃおもしれえやって思って。当然、発禁になって世には出てないもんだから。『赤軍兵士の詩』っていうタイトルは使えなかったけどさ。

──『頭脳警察BEST』を、今出した本当のところは何かあるんでしょうか。

パンタ あれはね、前から言われてたんだよ、出したい出したいって。頭脳警察のアルバムは六枚のうち『頭脳警察セカンド』は残ってるけど、他はとりあえず廃盤にしちゃってるから。そういった形で頭脳警察の“ベスト”をと言われてて、選曲はボクがやったんだけれども、あくまでも世間的な頭脳警察の“らしさ”だね。それをメインに選んでるから。区切りにしたいという意味づけもあったし、たまたま世界観が似通って来たっていうのは、これは偶然かも知れないね。

──偶然なんですか、まったく。

パンタ 偶然というよりは、まあ、たぶん変ってないんだろうなっていう、(頭脳)警察からの世界観っていうのがね。

『クリスタル・ナハト』から頭脳警察十五年ぶりの復活へ、これは、ひとつの「必然」だったのかも知れない。
 ペレストロイカの時代に突入して、パンタにも新時代への予感が漲る。おそらく、さまざまな社会主義圏から、さまざまなロックが「叛逆」を求めて突出してくるのではなかろうか。それらとシンクロし、それらを領導できたら──。地球を握りしめて立ちつくすロッカー・パンタにそんな夢想を覚える。
 サザン・桑田カントク映画『稲村ジェーン』のゲスト出演(名演!)はともかく、『イカ天』審査員(セミレギュラー)は、新たな広がりに向けた布石のようにも思える。いつものことだけれど、パンタの次のシーンが、早く、一刻も早く見たい!

1991年4月刊行『風の中の男たち』鈴木義昭著・青心社より

<著者プロフィール>
鈴木義昭(すずき・よしあき)
1957年、東京都台東区生まれ。76年に「キネマ旬報事件」で竹中労と出会い、以後師事する。 ルポライター、映画史研究家として芸能・人物ルポ、日本映画史研究などで精力的に執筆活動を展開中。 『新東宝秘話 泉田洋志の世界』(青心社)『日活ロマンポルノ異聞 山口清一郎の世界』『昭和桃色映画館』(ともに社会評論社)、『夢を吐く絵師 竹中英太郞』(弦書房)、『風のアナキスト 竹中労』『若松孝二 性と暴力の革命』(ともに現代書館)、『「世界のクロサワ」をプロデュースした男 本木壮次郎』(山川出版社)『仁義なき戦いの“真実" 美能幸三 遺した言葉』(サイゾー)、『乙女たちが愛した抒情画家 蕗谷虹児』(新評論)など著書多数。