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【フォト・ドキュメント】パンクムーブメントの軌跡【第7回】

日本のロック史において多大な功績を残した伝説のバンド「JAGATARA(じゃがたら)」。その中心人物であった江戸アケミの死から今年で33年目を迎えた。他者を圧倒した苛烈なパフォーマンスと突き刺さる歌詞、いまだカリスマとして語り続けられるのはなぜか。地引雄一氏が迫る——

「JAGATARA」江戸アケミ

俺は俺の踊りを踊る

参宮橋の事務所にて(1983年6月)


日本一のエログロバンド


「僕が最初に『JAGATARA』(正式には86年からの名義)の存在を知ったのは80年の夏頃。吉祥寺マイナーっていうアングラ系バンドが拠点にするライブハウスが当時あったんだけど、そこでライブ中に裸になって自分の小便を飲んで客に吹きかけるとんでもない奴がいるって話を直接観た人から聞いたのが最初(笑)。で、その後も蛇を生きたまま食いちぎるとか、客と喧嘩して血まみれになったとか、ヤバい噂だけはずっと耳に入ってきててさ」
 79年の3月からライブ活動を始めた『JAGATARA』。当時は「江戸&じゃがたら」「エド&じゃがたらお春」「財団呆人じゃがたらお春」「財団法人じゃがたら」など、バンド名を頻繁に変えて活動していた。そしてバンドの牽引役兼ヴォーカルの江戸アケミ(以下アケミ)の過激なエログロパフォーマンスが一部のあいだでカルト的な人気を得ていたという。

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