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「日本人の7割はヤンキーとファンシーが好き」……歌舞伎町の人生解毒波止場【鈴木ユーリ「ニュートーキョー百景」】#9

終電も終わった午前1時、歌舞伎町を歩く。

この時間になると、不良か古株のキャッチか買春常習者以外、街には若者しかいない。旧コマ劇前広場では今日も元気に散らかる不健康不良少年少女たち。地面にはストロー付きの茶割りやほろよいの空き缶、蝉の抜け殻のような空のサイレース。アパホテルを過ぎ、花道通りをこえると、ラブホからひとり出てくるフリルのついたワンピース。ピンクのカートを引きずりながら足早に、 MCMのリュックにくくりつけた2匹のマイメロが、右へ左へせわしなく揺れている。あの先には呪われし宮殿、第六トーアビル。都会では、自殺する若者が、増えている。

一本道なのにラビリンスなラブホ街を抜け、靖国通りまで出ればようやく空がひらける。

信号が青になる。横断歩道をわたる人びとは、誘蛾灯に吸い寄せられる羽虫のように、冷たい熱帯魚が泳ぐエントランスへと吸いこまれてく。

ドンキは職安通りに面する新宿店が、都下で目下もっともエモい。

自動ドアがひらけば、さすが新宿だ、いきなりブランドコーナーが出迎えてくれる。ショーケースにならぶヴィトンやグッチ、カルバン・クライン。時計やバッグ、キャップや財布も充実してる。電飾のなかに安価の貴金属がひしめき、手をつなぎながらのぞきこむホストとホス狂い。香水コーナーには触覚たらした10代の子(ひとり真面目な顔して特価品のケイト・スペードの香水を手に取ってる)。

ブランドコーナーの先、両サイドにぬいぐるみがならぶ路地を抜けると、本格的に市場ははじまる。パリのパッサージュのように天井を覆うのはガラスではなく、ドンペンくん等、ところせましとぶらさがった商品やPOPの数々。

ドン・キホーテ新宿店が首都の旗艦店たるにふさわしい由縁は、渋谷の新店舗のような高層ビルではなく、都内一等地の一階ですべてが展開されることにもある。

コストコのような北米型のスーパーも、イケアのような北欧型も動線が合理的で、自分が工業製品のようになった気分になる。それに対し、ドンキの動線ときたら情動型である。入り乱れる路地、カオス同然な陳列棚。とりわけ新宿店は平面であるため、たいていの店舗は各階でジャンル分けされているのに対し、東アジアの市場のように人と欲が無軌道に交錯する。

場所柄、人種の坩堝でもある。
聞き慣れない言語が飛び交ってる。

大久保にあるけど「新宿店」
夜は光に群がるように人が集まる
ド派手な宣伝でお馴染みの店内
ブランドバッグが無造作に
真剣な目で買い物中の少女

中国語で会話してるのは、デニムのショートパンツにサンダルをひっかけた女子3人組。留学生なのか、バイトを終えた技術研修生なのか、3分の2はO脚で、3分の1はすっぴんに眼鏡をかけている。お菓子コーナーでお土産を選んでいるのはアラブ系の親子(ひとり息子がはしゃぎまわり、髭をたくわえた父親がたしなめる。母親が頭に巻いた紫のヒジャブが美しい)。足早に衣料コーナーに向かってくのは同じく中東系の若者。イケメンで、首に英語のタトゥーが入っており、上下アディダスのウーバーイーツ帰りの格好をしてる。

下着コーナーには2人組のおかま。ひとりは金髪をアップにして、今時スキニーを履いて、相方はノリタケの皿みたいな柄のスカートに、背中にM&Mのロゴ入りのぺらぺらのアウターを着てる。靴は銀のラメのスニーカーと、ドンキ産のピンクのもこもこサンダル。歳のせいか、髪はふたりともパサついてて、横をMCMのリュックをしょった若い娘がカートを引きずってる(さっきラブホから出てきたデリヘルの子とはまた別人の)。

奥の化粧品コーナーでは、ディオールのバケットハットをかぶった女がリップを彼氏(おなじくバケットハットの繊細そうなホスト風の。手足が落ち着きない動き)に選ばせてる。彼女の脚は小鹿のように細く、真綿のように白い。

食品コーナーではバイトの子が棚卸ししてる(青く染めた髪で、厚底のソールの踵を浮かせて)。キャンディを咥えながら、柔軟剤コーナーの前でしゃがみ込むミニスカートのギャル。マスクを鼻まで引き上げ、膝上20センチくらいのミニに膝丈のロングブーツを合わせてる。

この時間、ホスト以外の男はたいがい中年の輩だ。
肌が一様に黒く、エルメスの手提げバッグをブラつかせてる。小指の欠損がコンプラすぎて、NHKの『72時間』では密着できない人種。

アダルトコーナーの「噂のシリコンバイブシリーズ」の棚の前で腕組みをしてる高齢男性(角刈りでジーンズはエドウィン。うす茶色のサングラスをかけ、最終的に特価品のウーマナイザーに手を伸ばす)。irohaのPOP看板は水原希子で、TENGAのポスターからは呂布カルマが蛇のような視線でにらんでくる。

色彩が目に優しくないだけでなく、音もうるさい。例の歌(ドンドンドン、ドーンキ、ドンキ、ホーテ)や、AVコーナーのブルートゥーススピーカーから大音量で流れてくるレゲトン。

最深部のレジ前にはドラッグストアコーナーもある(ブロンなどの咳止め薬はいつも売り切れている)。通路をはさんだ逆サイドはカラコンコーナーで、看板から艶い視線を浴びせてくる韓国モデルたち。ひとり日本人で頑張ってるのは板野友美だが、いくらフォトショで修正してても、白磁のようになめらかな韓流の美しさに比べられると、肌にロートル感が出てしまう。

「コレがいいわよ。アタシのおすすめ」
「アンタ馬鹿じゃないの。こないだソレ買ってたわよ」

眺めてたら、さっきのおかまの2人組が割ってはいってくる。首元のたるみは最新医療でも覆いきれず、ヒアルの打ちすぎで、閉じれないほど分厚い唇をしてる。

「アンタ猫の餌、買いすぎじゃない?」
「いいじゃない。カワイイんだから」

レジに並んでたらまた割りこんできて、さらにしゃがみこみ、カゴの中の品物をひろげて点検しだす。ギャルか。

売れ残ったハロウィングッズがレジ横に置いてある。出口を出てもまたフィリピンパブのような派手な電飾が目を突き刺してくる。新宿店にいるといつも安吾の一節を思い出す。

〈そこで私はこう思わずにはいられぬのです。つまり、モラルがない、とか、突き放す、ということ、それは文学として成立たないように思われるけれども、我々の生きる道にはどうしてもそのようでなければならぬ崖があって、そこでは、モラルがない、ということ自体が、モラルなのだ、と。〉(『文学のふるさと』)

ここではモラルより欲望が優先され、秩序より混沌のなかで人びとがいきいきと生きている。なんてパラダイスな人生解毒波止場。

知ってる人も多いと思うけど、「日本人の7割はヤンキーとファンシーが好き」というナンシー関のパワーワードは、もとは根本敬がオリジナルである。80年代後期の地方都市を語った、根本さんのインタビュー記事の原文は、たしかこんなんだったはずだ。

今時はサ、どんな地方にだって、一応プールバーみたいな小洒落た店が駅前にあったりするンだよ。でもどんなに着飾ってみても、駅から10分も離れてみりゃ、そこはもう矢沢永吉の世界なワケ。工場から四六時中モクモク煙が上がって、田ンぼのなかに団地がバーってあって、地平線に真っ赤な夕日が落ちてく。暗くなるとそこにネオンが光るわけ。よく見てみると、たいていカラオケボックスかラブホなンだよ。ほとんどの日本人は、そんな世界で一生生きて死ぬンだよ。

書き起こしだと毒づいてるように見えるから、いつも勘違いされてるけど、根本さんはこういうことを本当にニッコニコ嬉しそうに話す人だ。サブカルだとか鬼畜系とか連中からは思われてるけど、根本さんもいつだって「人間のふるさと」を求めてる人だ。モラルの崖からドブ川に堕ちた人間を執拗に描くあの作品群が、皮一枚めくれば人間なんてこんな汚ないモンなンだよ、なんて陳腐なことを言いたいだけなはずない。奥崎謙三にしたって、韓国だって勝新だって、みんな強烈に「人間のふるさと」を宿してるからこそ、深く魅入られのめりこんでいく。

ナンシー関にしたって「ヤンキー性」というものにあそこまで固執したのは、彼女が捨ててきた青森という最果てのクソ田舎にひろがっていた暗部やコンプレックスを、工藤静香や高知東生といった存在が揺さぶってやまなかったからだ。誰が故郷をおもわざる。

彼らが青春を過ごしたバブル期から30年後の現代では、カラオケのネオンサインのかわりに、どの地方でも暗闇のなかに煌々と光るあかりはドンキのものである。大都市以外の地方の街を本当に「持続可能」にさせてるものとは、東京からのUターン組がしかけるSDGsな「地方創生」なんかじゃない。資本主義の豚が社会やガキのためとか抜かすんだ。それよりあの下世話な黄色と赤と電飾と青のペンギンだ。あの無秩序な空間の中で、人びとは日常のしがらみから解放され、思うままに欲望を謳歌する。

都市部でも意味合いはかわらない。

どの店舗でもかまわないから、心が削られまくったような真夜中に、一度ドンキを訪れてみるといい。黄色いカゴをかかえ、手当たり次第おもいつくままに商品を放りこんだらいい。明日には絶対後悔することはわかってるのに、手書きのPOPに騙されて特価品を買いこんだらいい。帰り道、腕にのしかかるビニール袋の重みは、あなたが抱えていた悩みを還元したものだ。くすぶっていた心はすでにディスカウントされている。

この夏、ドンキでサングラスを買った。「SWAG」という、ちょうど3年ぐらい時代に便乗し遅れたネーミングのドンキオリジナルブランドの、表面がうすくミラーになった水色のレンズが最高に軽薄な一本である。

オリジナルのサングラス
今夜もネオンでビカビカだ

税込2160円のそれは、かけてみるとさらにダサさと怪しさが満点で、ただでさえゼロな大人としての信用度が氷点下まで駄々下がる。でも意外に表参道のセリーヌに入っても、グッチでもマルジェラでも、「え、もしやおしゃれが好きすぎて変な方向に行っちゃった人、なのか……?」とスタッフが勘繰って丁寧にあつかってくれる。でも路上ではプロの目はごまかせず人生初の職質も受けた。

秋になっても、冬の今もずっとかけてる。水色のレンズ越しに見る12月のイルミネーションは通年よりさらに美しい。

とてもいい気分だ。

【著者プロフィール】
鈴木ユーリ
ライター。代表作『ヤカラブ』。『実話ナックルズ』誌上の連載『ゲトーの国からこんにちは』を収録した単行本を刊行予定