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2016年5月15日早朝、全国の不良が動いたーー「ATM18億円引き出し事件」を仕組んだ渋谷のチーマーからのし上がった“童顔の男”の正体

裏社会に拡散した
「おいしいシノギ」

 鈍色の雲の隙間から差し込む光と、不快なカラスの鳴き声が東京の曇り空に朝の訪れを告げていた。

 2016年5月15日、日曜日。街がまだ眠りの中にあった早朝、郊外の店に1台のワゴン車が止まった。車から降りた男は、自動ドアをくぐると、店内の現金自動預払機(ATM)に足を向けた。手には白い無地のカード。「生カード」と呼ばれる偽造カードの〝原料〟に金融機関の口座番号情報が書き込まれた磁気ストライプを貼り付けた代物だ。ATMにカードを押し込み、現金を引き出す。手早く作業を終えると、その場を足早に立ち去った。再び車に乗り込んだ男は別の店へ。

「10枚のカードで計500万を引き出した。このうち10%、50万円がオレの取り分だった」

 男は関東に拠点を置くある組織の構成員。5月初旬、LINEを通じて付き合いのある他組織の組員からこの「シノギ」の誘いを受けた。

「4月ごろから『いいシノギがある』って話がバーッと広まった。マニュアルも用意されてるし、振り込め(詐欺)みたいに人手もいらない。パクられるリスクもほとんどないってことだから、お気軽なバイト感覚で誘いに乗ることにした」

 この「裏仕事」がどれほどの規模で実行され、誰が「絵図」を描いたのか。男はこの時、そのことを知る術もなかったし、知ろうともしなかったが、実際にはこのシノギの情報はあらゆる組織に行き渡り、同じ日の同じ時間帯に、全国17都府県で同時多発的に多額の金が引き出されていた。引き出しの実行役のほとんどが、男と同じ〝組織の人間〟か、あるいはそれに準ずる不良たち、裏社会の住人だった。

「偽造カードに書き込まれていたのは、南アフリカにあるスタンダード銀行の顧客口座の情報だった。引き出されたのは総額18億円。海外の銀行を標的にし、銀行のセキュリティシステムが本格的に稼働する前の早朝の時間帯を狙うなど、考え尽くされた犯行だ。指示系統もはっきりとせず、一時は迷宮入りもささやかれた事件だった」

 捜査員がこう振り返る犯罪史に残る事件は、ひとりの男の主導によって仕組まれた。

グレーゾーンで大金を掴んだ

「何だこの野郎!」

 地上からせり上がり、JRの線路に沿ってへばりつくように立つ宮下公園には、男たちの怒声と乾いた打撃音が響いていた。

 エンジニアブーツとゴローズのフェザーを誇らしげにまとったチーマーたちが闊歩した90年代の渋谷ではありふれた風景。ただ、対峙する5人を圧倒的な暴力でうちのめした男の姿は、トラブルが日常の街の中でもひときわ異彩を放っていた。

 男の名は「井上勇」。5人をのした後、腫れ上がった顔のまま、平然とスケボーに興じる様は、映画のワンシーンを切り取ったかのように、とにかく格好良かった。現場に立ち会った者は、大立ち回りを演じた後の井上のあどけない表情を覚えている。

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