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「花火」ヤマダマサト【ナックルズ文芸賞 受賞作品】

第1回(令和5年)ナックルズ文芸賞
『ナックルズ優秀賞』受賞作品
「花火」
ヤマダマサト


 2000年代、京都、暴走族――

 僕が一番輝いていた時代だった。

 CBXは40万、CBRは30万(関西ではなぜかエフと呼ぶ)、バブは25万、XJやFXは30万、ZGPはゼッチと呼び、GSやザリはほとんど見たことが無かった。初めに買う単車は決まってゼファーで15万が相場だったが、程なくしてダサイという理由で禁止となった。
 エバハンにキャラメル三段、ケツアゲ、マフラーはベース、スネーク、P管、ここら辺が多かった。あとはスネークバーにレンサルのカバーを巻くのが大流行していた。

 TVはガチンコやIWGPが人気で、ギャルは決まってミジェーンの袋を持っていた。地元に強制パンチはなく、金髪のロン毛にクイックシルバーやボルコムのトップス、ダメージジーンズにワラビー、こんなスタイルがヤンキーの定番だった。それから、やたらとヤン毛(えり足)を伸ばすのも流行っていた。もちろんケータイには長いアンテナが付き、その先は7色に光っていた。プリケーはバカにされていた。
 僕が暴走族に加入した時は、そんな時代だった。

 効率や機能性よりも不良特有の美学が絶対的な掟として、僕の地元にも存在していた。流行と掟についていくのに精一杯だった。ダサい奴だけにはなりたくなかった。目立つよりもダサくならない方に重きを置いていた気がする。とにかく必死に、今と今日と明日くらいに全てを懸けるように生きていた。15の僕はこんな感じだった。

 2000年春――初集会

 まだ寒かったが、そのカタマリの中は熱気で溢れていた。
 一つ上の先輩のケツに乗り目の前に広がる本物の暴走族に釘付けだった。2チームの合同集会、一つのチームは白に日の丸ベース、僕のチームはブルーに菊紋ベースのチームジャンパーだった。揃いに揃ったその看板名、ビシッと統一された感じがめちゃくちゃカッコ良かった。単車30台程。その一員である自分が誇らしかった。

 集団は河原町を目指す。四条通りの信号が一斉に青になる。テンション上がり全単車のコールがより熱を増す。カマを切り飛び跳ねるような蛇行、クルクルと七色に光るテールランプ……CBXのビャンビャンという音は本当に闇夜を切り裂きそうだったし、CBRの乾いたP管はクールで、4気筒の中に彩を添えるバブの低音は悪そうだった。爆音が体を、血を、激らせた。ハイになっていた。

「これだ!」
 心の底からそう思った。

 顔面にかかる風圧、なびく金髪、覆面タオル、今自分がどんな顔をしているのかミラー越しに確認した。意外と馴染んでいた。セブンスターに火を付け吸い込んだが、少しもホッとできなかった。漫画やチャンプロードではなく、やはり警察24時の感じが近かった。
 単車をひとつずつ見て音を確かめ、流れる景色を時折見た。参加というよりは傍観していた。全てが新鮮だった。

 集団が河原町に近づく。20時頃。
 溢れんばかりの人、人、人。全員が見ている。イキがっていたVIPカー集団も大人しく道路脇に停車している。繁華街のネオンが眩しい、煙草を指で弾き捨てた。
 いよいよ来る、メインの交差点。ゴッドファーザーが鳴る。マジでヤンキーな音……これぞ暴ヤン! 更に盛り上がるコール、熱気。みんなカッコつけた顔をしてる。河原町へ突入する。

――――ヴイィィィィィィャャヤン!

 高回転コールがはじまった。コールの上手い先輩達が我先にと一斉に高回転コールをカマす。ミサイルみたく鋭く早くリズミカル。大きなうねりとなり河原町を何周も何周もする。ギャルが手を振り、修学旅行生は写真を撮っていた。間違いなく若者のヒエラルキーの頂点だった。
 やがて河原町を抜け、次のルート、鑑別所へ向かう。捕まっている仲間へエールを贈るのだ。クールダウンし煙草に火をつけた矢先だった。みんなが手をクルクル回し合図を送り合った。パトカーだ。運転していた先輩が「パッツンやなー。ケツふるわ!」と振り向き言った。その時だった。

 ヴァーヴァーーヴァァァアァーと明らかに威嚇するサイレンの鳴らし方で3台のパトカーが一気に登場した。いつも地元で追われているパトカーとはまるで違う。交機だ。

 ギュルルー、ギュルーとタイヤをわざと鳴らし更に威嚇してくる。右から左から追い込んでくる。もはやブツけようと寸止めしビビらせてくるようだった。先輩は余裕でケツ持ちを決めていた。僕は内心ビビりまくってパニック寸前だった。追われる前に火をつけたセブンスターはいつの間にか無くなっていた。
 パトカーを巻き終わり、集合場所に戻ってから改めて一服すると、セブンスターを持つ手はプルプル震えていた。頭も真っ白だった。
 

 2002年夏――花火大会

 京都の夏夜、蒸せ返る暑さ、立ち並ぶ屋台、ごった返す人々、熱気、ビール。懐かしくはかない雰囲気。祭りだ!

 暴走族として3回目の夏。チームで集まり原付10台ほどで会場の真ん中まで乗り付けた。
 文句を言う奴は誰もいない。僕らの時代だ。
 白いロングの特攻服の袖をまくりあげ、赤い腕章、赤いタスキ、茶色の特攻ブーツ、ビシキマで降り立った。周りがその登場にザワ付き道が開く。暴走族以外の不良少年は揉めないように僕らを避け、不良少女やギャルは僕らの周りに群がった。もうこの頃には我が物顔で振る舞っていた。暴走族というだけで一目置かれていた。それが唯一の自己肯定だった。
 この年の夏も浜崎あゆみのサマーソングが流行り、僕は18になっていた。

 もちろん色々な事があった。人数は半減しその上、事件と逮捕の繰り返しで全員揃うことはもうなかった。個人としては単車はチームで一番買って一番イジった。特攻服にもコテコテに刺繍を入れ集会で目立つ事に全てを懸けていた。夢中だった。家の前はバイク屋みたいになっていた。
 抗争、事故、友の死……本当に色々あった。3回目の夏にもなると顔も広くなり揉めごともほぼ無くなっていた。お陰で肩肘張らず自然に過ごせる余裕が出てきたと思う。暴走族でありながら悪ぶらない事こそカッコイイと考えるようになっていたし、逆にヤン服やVIPカー等、悪ぶった見せかけだけのものを無性に嫌うようになっていた。価値観は確実に変化していた。

 そして、その夜に見上げた、暴走族として見る3回目の花火は、はじめて美しいと感じられた。心が動いた。

――――ヒュ~~~……ドンッ! ドドンッ!

 少しずつ大人になっていた。夏には、やはり不思議な力がある。

 後日、現像したカメラはほぼ花火だった。全然キレイには写っていなかった。

 遠い夏の夜――

 野球部的にいえば最後の夏だが、名残おしさも、その逆もどちらも無かった。相変わらず今と今日と明日を生き抜くのに必死だったし、先のことを考えるにはまだ一日が長かった。
 花火大会の帰りパトカーに追われた。激しい交機2台。恐怖は1ミリも感じなくなっていた。拡声器から「コラー」と怒鳴ってくるパトカーには笑顔で応えた。パシャパシャ眩しいフラッシュには、近づいて、写ルンです、で撮り返した。どうせ原付でこの台数では事件にならない。警察や世間をなめまくっていた。


 2002年冬――ある日

 地元の駐車場でたまっていた。僕らの地元は市内中心部だったので、色々な地域の仲間が集まりやすかった。この日もそんな感じだった。
 多くのことが変化していた。行動は車になり、服装はバーバーリーパンツ、ハイネックにシャネルのグラサン。洋楽のCDを買い漁った。クイックシルバーとAYUは忘れ去られてしまっていたが、相変わらず仕事は誰もせず朝まで遊んでいた。今日は特に人数が多かった。ほぼ全員集合だ。みんな笑っている。折角なので記念撮影もした。

――今日は、本当にもう、全てが最高!

 もう朝だった。冷たい空気がキラキラ輝いている。眩しい。雲一つない冬晴れだった。

「終わる――」

 直感的に心で感じた。うまく表現できないが寂しい感覚だった。

 やがて僕らは帰宅し、たっぷりと寝た。また夜に集まるのだ。いつもと何も変わらない。

 ただ実際は、先のことを考えずにはいられなかった。仕事、引退、落ち着く……。まだまだ先だと思っていたことはもう目の前まで迫っていた。そして僕と立ち合い、押し問答しながらも結局僕の中に居座った。どの位経っただろうか。厳密には、同じ事をしていても、もう違った。あの朝が僕の青春のクライマックスだった。すなわち、終わりを告げていた。僕は確かに青春の終わりを感じることができた。

 さらば青春の光よ――

 同じ頃に、連合の引退暴走があった。伝説的な頭の力で、京都と大阪の単車と車、数百台が集まって京都から大阪を暴走した。最後はCBXに乗っていた。僕の所属していたチームは20年ほど続いていたが3つ下の代で消滅したらしい。他のチームも似たような感じらしい。
 後日、あの朝の集合写真を友達に見せてもらった。みんな18の少年らしい屈託のない笑顔だった。暴走族って一体何だったんだろう。

 2023年6月――現在

 20年が経った。仕事に失敗し逃げるように横浜に流れ着いていた。まともな職は勿論なく、配達員をしている。あの頃嫌っていたダサイ側かもしれない。横浜は階段が多く中年配達員泣かせだ。正午ら辺。今日もせっせと運ぶ。次も心臓破りといわんばかりの階段だ。汗だくで届ける。

 階段の上には運良く自販機があった。急いで小銭を入れ、たたくように水のボタンを押し、間髪入れずに流し込んだ。たまらなくうまい。こんな、しんどさも悪くない。今だって皮脂に生きている。

 つかの間の小休憩を終え、振り返るとそこにはギラッとした空が広がっていた。鮮烈な青、濃い白。入道雲。輝き。鼓動が確かに高鳴るのを僕は感じた。

 また夏が来る――。

(了)