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【写真家・近未来探険家 酒井透のニッポン秘境探訪】東京都青梅市の『東京炭鉱』

1960年に閉山した幻の炭鉱

 今から70年も前のこと、東京にも炭鉱があった(!!)。場所は、東京都青梅市の小曾木地区。その名もズバリ『東京炭鉱』。東京都唯一の炭鉱であった『東京炭鉱』は、1935年頃から採掘を開始した。閉山したのは、1960年のことになる。竪坑の跡はしばらく残されていたようだが、後に地元住民によって埋め戻されている。現在、残されているのは、「東京炭坑前」(都営バス)、「東京炭鉱前」(西武バス)という名のバス停と、抗口と見られるようなものだけだ。 

「東京炭鉱前」のバス停
誘拐を注意する看板

 軍艦島(長崎県長崎市端島)や池島などといった名のある炭鉱は、全国的にも知られている。しかし、『東京炭鉱』のような存在は、知らない人がほとんど。それだけに謎も多い。ある書物によれば、

〈1935年頃から採掘を開始。物資の不足で燃料価格が高騰する中、黒沢川沿いに炭層が存在することが判明。採掘が始まった頃は、露天掘りで採掘が開始され、最盛期となる1940年頃には50人ほどの人夫が働いていた。昭和飛行機工業という会社に燃料を販売していたが、戦争が激しくなったことによって人手不足になり、休鉱することになった。〉

〈戦後は、すぐに操業が開始されていて、1949年までは、暖房燃料向けに木質亜炭を生産していた。固形肥料向けとして泥炭(石炭の前段階のもの)が売れるようになり、トラックで日本肥料の工場に運ばれていた。1955年になると大和礦業の経営となり、月産350トンから400トンを産出するようになった。(戦後の)最盛期であった1958年になると、5、000トンを産出するようになっている。しかし、20メートルの竪坑を降りてから、横に進むような形で採炭の現場に向かうということから廃鉱になった〉

 などとある。炭鉱として長続きしなかったのは、会社として採算が合わなかったからだろうか。

周囲には牧歌的な景色が広がる
橋を渡り炭鉱跡を探す

 炭鉱近くに住んでいた住民は、「〝炭鉱〟というほど大きなものではなかったですよね。炭層の枯渇によって廃坑になったみたいですよね。それなりに賑わっていましたけど」などと話していたという。また、この話とは別に、「石油と化学肥料の普及が廃坑の理由になっている」という説がある。謎は深まるばかりだ。当時、県外から来ていた鉱夫の一部は、そのまま小曾木地区に定住したという。

川沿い鉱床のようなものが

 実に謎の多い『東京炭鉱』だが、近年は、懐古マニアや探索マニアが足しげく訪れている。埼玉県内に住む懐古マニアの男性は、「『東京炭鉱』には、5回くらい通いました。まったく情報がないので探索は困難を極めましたねぇ~。それでもバス停のすぐ近くを流れる黒沢川沿いを歩いているときに、鉱床のようなものを見つけたんです。ここでは、泥炭が産出されていたということですが、これがそうだとすると、比較的浅いところにあるもんだなぁ、と思いましたね。採掘が始められた頃は、小さな会社が採掘をしていたのでしょうから、軍艦島や池島のような大規模な開発をすることは無理だったのでしょう。それに加えて、石炭の質もあまり良くなかったんでしょう。抗口は、どこかにあるのでしょうが、数回の探索では見つかりませんでした。にしても、ロマンがありますよね。こういう探険!また行きたいと思っています」などと話す。

縄文時代の集落跡
炭鉱は埋められ痕跡を探すのは困難
時代を感じる墓
かつての姿を想像するのも廃墟マニアの楽しみ方

 情報過多の時代にあってロマンを感じさせる『東京炭鉱』。軍艦島がユネスコの世界文化遺産に登録されたことによって、数多くの廃墟マニアは〝引いて〟しまった。観光地になってしまったということもあるが、これまで〝廃墟〟だったものが〝産業遺産〟というものに格上げされてしまったことによって、「つまらくなってしまった」のだ。廃墟マニアや懐古マニアは、対象となる場所に「廃れ感」を求めている。廃れれば廃れるほど「味がある」ということになる。また、「観光産業の餌食になってしまったんだよ。あそこはもうオシマイ!!」などと言う人もいる。東京都内から2時間くらいあれば行かれる『東京炭鉱』。一度は訪れてみたい。

写真・文◎酒井透(サカイトオル)
 東京都生まれ。写真家・近未来探険家。
 小学校高学年の頃より趣味として始めた鉄道写真をきっかけとして、カメラと写真の世界にのめり込む。大学卒業後は、ザイール(現:コンゴ民主共和国)やパリなどに滞在し、ザイールのポピュラー音楽やサプール(Sapeur)を精力的に取材。帰国後は、写真週刊誌「FOCUS」(新潮社)の専属カメラマンとして5年間活動。1989年に東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(警察庁広域重要指定第117号事件)の犯人である宮崎勤をスクープ写する。
 90年代からは、アフロビートの創始者でありアクティビストでもあったナイジェリアのミュージシャン フェラ・クティ(故人)やエッジの効いた人物、ラブドール、廃墟、奇祭、国内外のB級(珍)スポットなど、他の写真家が取り上げないものをテーマとして追い続けている。現在、プログラミング言語のPythonなどを学習中。今後、AI方面にシフトしていくものと考えられる。
 著書に「中国B級スポットおもしろ大全」(新潮社)「未来世紀軍艦島」(ミリオン出版)、「軍艦島に行く―日本最後の絶景」(笠倉出版社 )などがある。

https://twitter.com/toru_sakai