女ひとり、性と死と生を巡る旅…花房観音『女の旅』第三章・渡鹿野島の娼婦たち
旧赤線街、ストリップ、ラブホテル──日本全国の色街をひとり彷徨い、男と、セックスと、女の生き方を問う──花房観音著『女の旅』(大洋図書刊)より無料公開。
旅に出たいと、いつも考えている。知らない風景を眺め、家の布団ではない寝床で横になり、誰も知らない、何者でもない自分の時間を過ごしたいと。
旅に出るときはひとりがいい。ひとりになるために旅に出るのだから。
そうやって旅に出ると、逃げている感覚がある。日常から、人から、自分自身の人生から─逃げることを常に考えている自分は逃亡者のようだと思う。生活や仕事に何か不満があるわけでもないけれど、それでも逃げたい。
けれど結局、逃げ続けることはできなくて、帰る場所ありきの覚悟のない逃亡者だ。
思えば、大学時代からバスガイド、添乗員、旅行会社と、常に旅の仕事に関わってきた。
今だって、旅して、その場所を舞台に小説を書いている。逃亡の旅も、仕事という言い訳がつくと罪悪感も薄れる。
そんな逃亡の旅について、書いていく。
あんたたちだって、セックスしてんだろ?
セックスして生まれてきたんだろ?
海を泳いで逃げた女もいるという。
三重県の英虞湾に浮かぶ小さな島から。
渡鹿野島に行くには、近鉄電車の鵜方駅から車で数十分、そこから船に乗る。その形から近年は「ハートアイランド」と称し、リゾートホテルなどもできて一般の人たちも訪れるようになってはいるが、この島は長く「売春島」と呼ばれていた。
私がその島を知ったのは、バスガイドの事務所で旅行のコース表を打ち直す作業をしているとき、十年ほど前だ。「渡鹿野」というのがまず読めなくてインターネットで検索したら、一番上に「売春島」と出てきた。
そこは古くから売春を生業にしてきた島だと言われている。バブルの頃は百人単位で女の子たちがいて、男を受け入れていた。現代の世の中に、そんな島が未だあるのかと驚いた。検索すると、その島で働いていた女性のブログなども見つけた。娼婦たちの島、船でしか行き来できないなんて、まるで監禁されているようではないか。大阪や東京の歓楽街で、バイト感覚で風俗に従事するのとはわけが違う。もし自ら島へ渡った女がいるならば、何を思って向かったのだろうか。
その島のことは、常に頭にあった。いつか行きたい、書きたいと思い続けてきた。小説家になったけれど、京都が舞台の小説でデビューしたこともあり、依頼は「京都」の話ばかりだった。それでも書き続け、数年ののちに、新潮社から書き下ろしの依頼があり、「花房さんの書きたいこと書いてください。京都でなくても、官能でなくてもいいです」と言われ、売春島のことを書こうと思った。そして二〇一五年五月に、ひとりで島へ渡った。
この島は、勝谷誠彦の著書『色街を呑む!』にも「A島」として最後に登場する。そこでは島で彼が体験した不思議な話が綴られている。
京都からは四時間以上かかるが、近鉄特急の旅は快適だ。途中、伊勢神宮、鳥羽も通過し、鵜方駅からバスに乗り込む。コンビニはないし、飲食店も少ない。桟橋から船で五分ほど乗ると島に着く。島には食料品などを売る小さな店が一軒と、ホテル、旅館、それだけだった。あとは廃業したキャバレー、スナック、旅館が通りにならび、廃墟になっている大きなリゾートホテルがこの島の失われた興隆を象徴している。
私は島を歩いた。海沿いを歩き丘の上の公園へ、そこからまた桟橋とは逆の海沿いの道路を歩くと、墓場があった。この島の住民、そして島に来て亡くなった娼婦たちが眠っているのだろうか。途中、古いアパートが目につく。この島では店ではなく、女たちの住むアパートに客を招き入れたと聞いている。人が住んでいるのかどうかは外観ではわからない。一般の住民もいるはずだが、ほとんど姿を見かけなかった。宿に入り、温泉に浸かり、夕食をいただく。アワビ、伊勢海老と、豪華で美味い。島には二度渡ってその度に宿も替えたけれど、どの宿も、この値段でと驚くほど食事は良かった。
温泉に入ったあと、私は外に出ていった。かつては夜になると対岸から船で男たちが訪れ、そこにやり手ババアと呼ばれる仲介の女が来て声をかけたというが、その様子もない。メインストリートである通りは、観光客らしき男たちが数人歩いていた。私は女なので、誰も近寄ってはこないが、彼らはどこかで声をかけられるか、もしくは紹介してくれる店を探しているのだろうか。宿に戻り夜の海を眺めた。心安らぐ、穏やかな海だった。
二度目に行ったのは二〇一六年の伊勢志摩サミットの直前だ。サミットを控え、島の産業は壊滅するだろう、もう一度行かねばと足を運んだ。週刊誌が「各国の首脳が集まる場所に売春を生業にする島があるのはどう思うのか」という問いを行政にすると、「そんな島のことは知らない」という回答があったという記事も読んだ。
そう、この島は、なかったことにされている。娼婦たちが男を待ち、それで栄えてきた島など、この世には存在しない、と。いかがわしいことだからと歴史から消されてしまう。セックス表現や性産業に嫌悪を示し、なくしてしまえと糾弾する人は近代の歴史を眺めていても絶えず、それらの目論見はしばし成功する。東京オリンピックを控え風俗店は姿を消し、エロ本は消えつつあり、AVも規制され、その結果、地下に潜る。法律の及ばない地下で、いかがわしいものは生き続ける。
なぜなら、それらを必要とする人がいるからだ。人の欲望、性欲なんて当たり前にあるものなのに。どうしてこんなに非難され、穢れたもののように扱われるのだろうとは、性を描くことを生業にしてから、ずっと考え続けてきた。
性を扱った小説を書いているだけで、私自身も嘲笑され、汚物のように見られたりすることがある。人がなかったことにしている恥ずかしい行為を堂々と書いている女なんて、理解しがたい存在なのだろう。その度に、私は大声で問いかけたくなる。あんたたちだって、セックスしてんだろ? セックスして生まれてきたんだろ? と。私が描いていることは、人が当たり前に行う行為のはずなのに、どうしてこんなに蔑視されるのか。
私はずっと怒っていたのだ。だから売春島と、島に生きていた娼婦の話を書きたかった。「可哀想ではない娼婦」の話だ。小説や映画で遊郭や風俗店などが扱われる場合、そこに登場するのは、たいてい「無理やり汚らわしい行為をさせられている可哀想な女」で、悲劇的な結末を迎える。同情という見下し方をされたほうが人の心を揺り動かせるから、可哀想でなければいけないのだ。同情することは聖人になったつもりでいられるから陶酔できて気持ちがいい。同情は何よりもの娯楽だ。自分を善人だと信じて疑わない人たちの、金のかからない娯楽。
けれど果たしてすべての娼婦がそうなのだろうか? 好きで、自分の意志でやっている人も、何か理由があり娼婦になったとしても、そこで存在意義を見出す人も、私は知っている。
セックスをお金に替えること、かつて私はそれで自信を得たことがある。劣等感まみれで女として底辺でと自分で自分を殺したいぐらいに貶めていたけれど、セックスでお金を得ることにより価値を見出せた。娼婦になることで、私は死なずにすんだ。
当たり前に男の欲望の対象になっていた女たちからしたら、さぞかし醜い自信なのだろうけれど、それのどこが悪い。そうやって、生きながらえている女もいる。
ずっと怒っていた。娼婦なんて自分とは全く違う世界の存在として高みから見下ろし、憐れみ、蔑み、同情する人たちを。セックスという人間の根源である行為や欲望を、単なる忌々しいものだとして嫌悪感を示し、そこに携わる人間たちを攻撃する連中にも。生きるために娼婦になった女を誰が笑えるのか。娼婦は軽蔑され蔑まれるが、そもそも憎むべきは娼婦になった理由が貧困なら、貧困そのものではないか。それなのに人は娼婦をふしだらだと貶める。男が多くの女と関係を持つと武勇伝になるが、女が恋人や夫以外の男とセックスをすると淫乱だと軽蔑される。性風俗産業には確かに危険が伴うが、その中で安全に働こうとしている者たちもいるのに、身体を売るお前らが悪いから危険な目にあって当然だと心ない言葉を投げかけられる。
娼婦を必要とし、娼婦に救われた男たちもいるはずだ。偽りの名を持つ見知らぬ女と肌を合わせ癒された男たちが。恋人や家族ではない女の肌がどうしても欲しくなるときがある。しがらみのない、一瞬だけの優しさが欲しくて娼婦を求めたくなる夜は存在する。単純に溜まってしまったのなら自分で出せばいい。そうじゃない、人肌が、女が欲しくて、救われたい夜があるから、娼婦は存在し続けてきたのではないか。求められることにより、救われた女もいるはずだ。娼婦になることにより、自分を女だと確かめられた者も。それが私だ。
そもそも女として生まれて利を得たことのない女なんて、この世に存在するのだろうか。女だから媚態を駆使し、金や力のある男に近づき利を得る、その行為は娼婦とどう違うのだろうか。働かずして男から金銭を得て生活している女だって、世の中にはたくさんいるではないか。いや、女だけではない。男娼だって、実は世の中にはたくさんいる。女にセックスを提供して利を得る男も。男だって商品として価値をつけられる。だから可哀想ではない娼婦を描いて、突きつけてやりたかった。
売春島を舞台にした小説は新潮社から『うかれ女島』として発売された。この物語の主人公は娼婦を母に持つ青年と、ずっと娼婦だった四十代のシングルマザーだ。ふたりが島に向かい、物語が動く。
表紙は殺人という罪を犯した画家・カラヴァッジョの「法悦のマグダラのマリア」だ。聖書に登場する娼婦の姿が描かれている。
二度目に島に行った帰りは、鵜方駅で「あおさ」という海藻を購入した。味噌汁にいれると美味い。近鉄電車に乗り、いったん鳥羽で下車して、真珠のネックレスを買った。その頃、高齢の祖母の具合が悪く、母から「これから葬式に出る機会が増えるから、真珠持っときなさい」と言われていた。そして一年も経たないうちに、その真珠を祖母の葬式で使った。
伊勢志摩サミットが行われ、やはり何人か島にいた外国人の女たちも離れ、もう本当にさびれてしまったと聞く。島の成り立ち、歴史に関しては二〇一七年に刊行されたノンフィクション『売春島 「最後の桃源郷」渡鹿野島ルポ』(著・高木瑞穂/彩図社)に詳しい。
ひとりで島に渡ったと言うと、勝谷誠彦には、「よく女ひとりで行くよな」と呆れられたが、かつて彼が向かった頃のような危うさは全く感じられなかった。
娼婦は気の毒で憐れな存在なのだろうか。けれど少なくとも恋愛という幻想に振り回されたり、結婚という制度に組み込まれたセックスを絶対だと妄信している人間よりは、自由だ。
『うかれ女島』を書いて、娼婦を書くことは「女」を書くことだと思った。
私が書きたいのは、「女」なのだとも。
もう遠くない未来、この島から「売春」は完全に消える。いや、もう既にないのかもしれない。だから小説に残したかった。残せてよかった。
歴史に残らない、女たちの島を。