高度経済成長期の痕「日本のブラジル・大泉町」の巻【ヤスデ丸の1万逃歩日記 #7】
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オートレストランのある太田市・沖之郷町から邑楽郡・大泉町へと友人の運転で向かう。昔ながらの庶民的な民家が並ぶ、こじんまりとした印象の街を10分ほど進むと、西側に巨大な施設が現れた。ナビ上の地図を見ると、まだまだ奥へと続くらしい謎の施設。
「お、スバルの工場じゃん」
渋谷に本社を構える自動車メーカー・スバルの自社工場は3つ、いずれも群馬に所在する。まさにこの施設はスバルの自動車を制作する大泉工場だ。
群馬県の大泉町といえば「日本のブラジル」とも言われるほどのブラジル人やその二世、三世たちが住み着く土地であり、もはやブラジルの植民地状態。街に並ぶ飲食店やヘアサロンの看板は、南米や東南アジアなど、常夏の国を思わせるデザインで、少し落ち着く。
スーパーや飲食店には、ブラジル人馴染みの品が並び、外貨両替機や飛行機のチケットを購入できるカウンターまで併設されている店舗もある。
スバルの本工場が太田市で稼働を始めた1960年から23年後、矢島工場に続き、最後の工場・大泉工場が増設される。
大泉には、現在パナソニックグループ傘下の「三洋電機」の半導体工場などもあり、経済発展を担う土地であった。
事業を拡大させ北関東に自社工場を多く構える企業が増えた高度経済成長期。その後も事業は右肩上がりで、働き手不足を解消するために外国人労働者の定住を受け入れるべく、入管法が改正されたのが1990年。群馬県にブラジル人が多数移住したのは、この頃である。
大泉に向かっていることをSNSで更新すると、
「え! ヤスデ丸さん、大泉いるんすか。俺、大泉に住んでますよ!」
「大泉来たんだ。なんもなかったでしょ(笑)。でも、精肉コーナーはなかなか充実してるでしょ?」
と、ブラジルにルーツのある友人たちからDMが飛んできた。いわゆる「ハーフ繋がり」で知り合った人たち。つまり、大概は“二世”たちである。
やはりみんな、地元・大泉にはそれなりに思い入れがあるようで、家族仲が良く地元で就職し現在も大泉に住み続ける二世もいれば、田舎っぽいのが嫌いで高校卒業とともに大泉を出てそれ以降一度も戻っていないという二世もいる。
南米から日本にテキーラを輸入する商売をして一財儲けた女の子もいれば、文武両道な上にイケメンってことで、ママさん人気もあったけど、ポンジスキームでお縄になった男の子もいる。大泉出身のブラジルハーフ、いろんな人がいるけど、みんな、ちゃんとポルトガル語が堪能なのがルーツを感じていいなぁと思うわけであります。
そんなことを回想していたらあっという間に大泉に到着。やっぱりブラジルスーパーには行きたい。そのあとは、店名がわかりやすくて良い「レストラン・ブラジル」に行くのが鉄板のコースでしょう!
レストランを後にして、少し遠くに停めた駐車場まで歩いて帰る。日中は残暑を厳しい日照りの続いた9月中旬も、夜になれば秋めいた涼しい風が頬をかすめる。
複数の家族が知り合いの店らしき売店の駐車場で夕食を囲むブラジルファミリアたち。路地裏を歩けば、スバルの車が玄関前に停められた名字も顔立ちも日本人らしい、若い家族の新居。
ブラジル人の街といっても、その割合は10人に1人ほど。住人の大多数はやはり日本人だ。それでもここまで異国のカラーが色濃い街って、なんか面白いな~なんて思いながら歩数計を確認。【14,591歩】。そこそこ練り歩けたんじゃないでしょうか。
てことで、また次回~!