愛とインターネット

 教祖にならなければならない。
 YouTubeで多くの視聴者を集めるために必要な手段とは、教祖になることである。実社会において広い交友関係を構築することが、必ずしもYouTubeでたくさんの視聴者を満足させることと結びつかないのは、ミクロスケールとマクロスケールでの方法論が異なっており、マクロで人を惹きつけるために必要とされるのは単純な話の面白さではなく、大衆をアジテートする能力であると考えられる。イデオローグとしてマクロスケールの人数を魅了し、煽動すること。それが、YouTubeまたはその他SNSで存在感を発揮するために求められる方法である。

 だが、それで幸せは掴めるのだろうか? 
 なぜたくさんの人間に囲まれたいのか、それは寂しさを埋めたいからで、教祖として人間をマインドコントロールすることなんて、それは思想の無性生殖のようなもので、そんなことで周りにたくさん作られた自分のコピーといくらコミュニケーションをしたって、寂しさが満たされるわけないじゃないか。数は、そりゃあ普通に友達を作っていったところで得られないような膨大な人数が周りにいるかもしれないけれど、そんなの虚しいだけでちっとも幸せじゃない。形だけを求めてその大きさをどれだけ大きくしていったところで結局満たされなくて、だったら他の全部を捨てても大切にしたいような、たったひとりの人に自分の愛をすべて注ぐのがいちばんの幸せだ。結局この結論になるのだけれど、ぼくは運命の人と出会って、たくさん愛したいし、たくさん愛されたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?