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仏のいえ(2023年10月)

毎年10月になるとフクロウが渡ってきます。秋冬の間、寺の横の森で過ごし、春になるといつの間にか姿を消します。夜の静けさの中「ホーホー」という声はなんとも心地いい響きですが、姿は一度も見たことがありません。植物に開花時期があるように鳥にも渡り時期があり、去年と同じ鳥なのか、去年来た鳥の子供なのか、はたまた全く関係のない鳥なのか知る余地はありませんが、私たちは鳴き声を聞いて「ボボちゃん、おかえり」と声をかけ再会を喜びます。そのやりとりは、生命のギフトとして私の心を豊かにしてくれます。

フクロウの生態系には明るくありませんが、獲物があるからこのあたりにいてくれるのだと思うと、嬉しい気持ちになります。一つの動物が暮らせる中には、その動物が食べられる昆虫や小動物の循環があるということ。木の実、植物、微生物があることなのだろうと思うと、ここはマクロコスモスであると同時にミクロコスモスであると思えるのです。


信州のお寺に来て三年半。このお寺に来てからは毎日が忙しいためか月日が経つのがとても早く感じています。82歳になる副住職が「80年なんてあっという間だった。自分がこんな歳になるなんて想像できなかったもの」と最近よく口にします。私も自分が80歳になることは、全く想像がつきません。でも、いろいろなことがありながらも人生はあっという間なのだろうと、最近思うようになりました。
そんな中でも私は何を成し遂げたいのだろうか、と思うこともあります。昔は何かしらを考えていたのだろうけれど、最近は全く「ああしたい」「こうなりたい」ということがないのです。「ない」と言ったら嘘になるかもしれないけれど、一日一日、お寺の人や周りの人、そして見ず知らずの誰かが元気でいれる社会であれば良いなぁと願い、目の前のことを丁寧に行じることで毎日が過ごせれたら、それ以上のことはないのだろうと思うのです。

「ああしたい」「こうしたい」その想いはつい最近まで私の頭の中を巡っていました。「この本を読みたい」「あのイベントに出掛けたい」それは娯楽ではなく、一応は仏教の勉強としてでしたが、三名の先輩僧侶と暮らす中ではなかなか思うようにいきません。三度の食事や山内の掃除はもちろん、高齢者である三名のうちの一人でも具合が悪くなければ待ったなしに病院へ行きます。私が自分のことを優先にすれば、足腰に痛みがある住職が無理をしながら為さなければなりません。自分の理想と現実にギャップがあればあるほど、私は愚痴を言い、結果、自分で自分を苦しめているということがわかるのでした。今しかできないことにただ専念する。それは我慢すること、諦めることも多くあります。けれど、目の前のことを大切にしないで他所に学びに行っても、それは逃げているだけでしかないのです。

仏教の本を読むより、本物の「仏経」の参究をしているのだと信じて、その日、その時にすることに専念してください。そこが仏道の真っ只中ですから。

内山老師も沢木老師が安泰寺に引退されてから亡くなるまで、沢木老師のお世話に専念されていたと話されていました。病気の人や死にゆく人のお世話は、買って出てもする方がいいと言っておられました。老病死の苦諦の実物を学ばせてもらえるからです。

奥村正博老師から私へのメールより

そんな毎日の中で時折お寺に訪ねてくれる友人知人は、毎年帰ってきてくれるボボちゃんのような「マレビト」的存在です。短い間でも一服のお茶を共にできる時間は、私にはありがたいものとしてあります。先日は、アメリカに暮らす日本人の妹弟子が寄ってくれました。SNSやメールで彼女のことを知っていたつもりになっていても、こうして実際に会話ができることはその100倍も嬉しいことでした。

訪ねてくれた妹弟子の慈慶さん



愛知専門尼僧堂に入堂をして、100箇日は外出も電話も新聞を読むことなども禁止されます。新聞は修行道場で取っているけれど、私たちが記事を目にするのは大根や白菜の野菜を保管のために包むときだけ。なので、世間のニュースを知るのは数週間後、ということは少なくありませんでした。
「情報を追うのは流行遅れ、ただ真理の一点だけを見つめていたら良い」と青山老師は常々仰っています。コロナ感染者拡大の3年間は、新聞でもテレビでも「今日の感染者数」を毎日掲示していました。「どこの都道府県が多い、少ない」「先週より多い、少ない」「みなし陽性」「クラスターが発生」と情報が行き交いました。コロナで亡くなった方の知らせを受けると他人事には思えず、自分自身が気をつけるだけでなく、友人が罹ったと聞けば過度に心配を要しました。異常な報道だと思っても、毎日のことになると慣れてしまい自分自身もその情報をもとに行動することは少なくありませんでした。けれど、どこかで気持ちは疲弊していました。
情報がいくら行き交っても、太陽は昇り、月は満ち欠けを続け、花は咲き、葉は散って行きます。自然は私たちの頭の中のことをものとせず、移ろっていくのでした。そのことが唯一私を安心させてくれたことでした。

バレー禅堂に住んでいた一九七〇年代後半と現在とは四十年ほどしか離れていませんが、知ることのできる情報の量は大違いです。(中略)あの五年間に日本や世界で何が起こっていたのかという知識も記憶もすっぽりと抜け落ちています。その代わり、あの1エーカーの土地で私がしたこと、四季の移ろい、様々な植物や動物たちのこと、坐禅に来てくれた少数の人たちとのことは、濃密かつ繊細に覚えていて、今でも、私の大切な一部分になっています。(中略)道元禅師の永平寺での生活は、さまざまな目まぐるしい世界中の情報の代わりに、山々の季節による色の移ろいや、月の満ち欠け、暑さ寒さの変化など、実際に目に見ることができ、耳に聞くことができ、その他の感覚で感じることができるだけが世界だったのですから。それでも縁起のネットワークの中ですべての物事とつながっていることには変わりありません。アッシジの聖フランシスコは道元禅師と二十六年間同じ時間を過ごしましたが、お互いを知ることは無論なく、特別なつながりもあり得なかったでしょう。しかし、現在の私がイタリアや日本に住む友人知人たちと繋がっているよりも、もっと親密につながっていたのかもしれません。(後略)

『「現成公按」を現成する』P251-P253  奥村正博著 春秋社

私が5時から朝のお経を読む時、去年体験として滞在をした宝塚御受難修道院でのミサが、今、同じ時に歌われているのだと心を共にすることができます。沖縄のおばあさんが早朝に、ウトートー(神様や先祖に手を合わせること)をしている姿が私の手に重なります。
夕方に1時間坐禅をする時には、アメリカの三心寺の禅堂で坐っている兄弟弟子たちと坐っています。
同じ場所にいなくても、繋がるものがある。それは決してインターネットを介してではなく、「祈る」中にあるのだろうと感じています。「祈り」としての生活をただ、行じていきたいのです。

SNS、youtubeやzoomなどで以前よりも多くの情報を簡単に受け取れる今、自分自身がその情報を整理出来ずにいることも少なくありません。あれもこれもと手を出してしまいがちですが、今、するべきことに心を落ち着かせることが私には大切なのだろうと感じています。

毎年中庭に咲きに来てくれる、りんどうの花


いつも心温まるお気持ちをありがとうございます。 頂戴しましたサポートは真実に仏法のために使わせていただきます。引き続きご支援のほど宜しくお願い致します。