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仏のいえ(2023年9月)

今年はお彼岸まで、日中35度になる日が続いていました。雨も少なく、その影響は地域の畑や境内の植物たちにありました。玉ねぎ、豆類や栗の実りが少ない、お米も粒が小さく、秋の花がいつもの時期に咲かないなど。お寺では、お供え用と自分達が食べる用に小さな畑で遊ぶ程度ですが、生業として野菜やお米を育てている方には厳しい夏のようでした。
それでも九月に入ると、カレンダーの絵柄が変わるように景色は変化しました。田んぼは一面金色に変わり、蕎麦畑も真っ白い花が咲きます。お彼岸のころになると、順番に稲刈りが始まり、蕎麦も茶色の実に変わり、大自然の時計は季節の移ろいを知らせてくれます。
秋になると、主な仕事が草取りから落ち葉掃きに変わります。九月には桜葉が散り始め、十月は桂、十一月はもみじと銀杏、朴葉と落ち葉にも時期があります。桂は散る直前に芳しい香りを放ちます。毎日、同じことをしているようでも、同じ日は一日もありません。そんなことも、都会で暮らしていたときは全く知らないことでした。
先日、あるセミナーの中で参加した道化気功家の太極拳。講師の宮崎姿菜子さんは、同じ35度でも立秋前と立秋後は異なることを教えて下さいました。暦の上では八月八日が立秋。暑い日は頭がアイスやスイカを欲しているようですが、立秋後に食べればそれは必ず冬の身体に応えてくるのだと。そういえば、梅干しは必ず立秋前の土用に干すという昔からの教えは太陽の力が一番強い時期を伝えているのでしょう。
塩尻では、標高1,665メートルの高ボッチという山から朝日が昇ります。日の出の場所は夏至を過ぎると北から南へと移り、夏至と冬至では昇る場所も時間も全く異なります。毎朝梵鐘を撞きますが、九月に入ると朝五時の明るさは徐々に遅くなるため、春と秋のお彼岸を区切りに、夏は五時、冬は六時と決めています。

9月1日の朝5時頃

長かった夏もいつの間にか秋になり、あっという間に冬へと変わっていき、十一月のお十夜法要とお正月の準備が頭をよぎるようになります。

この時期のもう一つの仕事は、衣替えです。下着や作務衣はもちろん、着物や衣も入れ替えます。夏物は繕いをして洗い、来年のために仕舞います。襦袢の襟も夏用から冬用に掛け替えることは一日仕事。うっかりすると次の夏までそのまんま、なんてことのないようにお針を離すことが出来ません。
お客様用の座布団も、夏の麻生地から冬物へ。干し方にもコツがあり、上手に干さなければ、洗いからやり直し。麻のちぢみ生地の着物もコツがあり、うっかりすると生地を伸ばしてしまって着られなくなる。そんなこともお寺で失敗をして学んだことでした。
一人で暮らしていれば、それらのことを教えてくれる人もいません。インスタント、使い捨てが当たり前に成ってしまった日常生活の中で、ものの道理を知り、大切に使っていくことは、やはり人から人へ、現場で伝えていくことが多いのでしょう。誰かと暮らすということは、大変なことではあるけれど大切なことなのだと感じます。

もう一つ、九月といえば、私が毎年思い出すことがあります。
三年前の九月七日は、住職が脳梗塞で入院をした日なのです。正確には発症していたのは前日でしたが、「わからなくなっちゃった」というだけで身体には異変がなかったために病院へ行くことが遅くなってしまったのでした。血栓が詰まったところは、左脳前頭葉、身体機能ではなく言語機能を司るところでした。当時は、自分の名前も、住所も、「花」や「猫」といった言葉も失ってしまった住職。初診では「住職という仕事は今後難しいでしょうね」と医師から告げられました。それでも、約五ヶ月のリハビリ入院と、退院後も言語聴覚士によるリハビリを毎週続け、自ら毎日一日も欠かさず日記を書き、その努力の甲斐もあって日常生活には支障がないほど回復しました。しかし、私たちのようにはスラスラ喋ることが出来ません。読経も文字を大きめに印刷し直した手作りの経本を手放せません。「言葉がないって寂しい」と語る住職の寂しさ、ストレスは計り知れないものとしてあります。どうしても話さなければいけない状況、例えば、お葬式の前後の挨拶などは故人様のことを思い出しながら、ゆっくりと言葉を探しながら話します。日本語を覚えたての外国人のようなお話を、言葉や文法が違くても耳をすまして聞き、想像をして理解をする、それが反って受け手には忘れられない時間を過ごすことにもなるように感じています。
身体機能は問題なくても、一人で交通事故を起こしたら説明が出来ないかもしれないと、脳梗塞罹患以降、車の運転はやめてしまいました。お通夜や法事も、お経を一人で勤められる自信がないと、私が必ず一緒に行くようになりました。通常、お通夜も法事も一人で伺うものですが、経験のない私は一緒に行かせていただくことで勉強をさせて頂いています。

私における托鉢ということは、単に路上で歩きまわるだけが托鉢ではない。育ててもらっている一切を有難く頂戴するということだ。これは人から受ける物心両面だけでない、天地一切、空気も、水も、光も有難く頂戴するというのだから、こんな平和な、安全な姿勢はないわけである。
そしてこれとはまた別に、路頭の托鉢中、体に浸み込んだもの、私がそこに在ればそこで、眠っていれば眠っている間に、私の内なる根源に、空気が、大地が満たしてくれる精気の如きもの、これも有難くいただこう、というのであるから、生きる事一切が托鉢ということになる。病気が来たら、病気を托鉢、死が来たら、死もまた托鉢ということで、つまり、両足切断も有難い托鉢であったというわけである。

小沢道雄著「本日ただいま誕生」P239

「辛いこと」「思い通りに行かないこと」も托鉢として頂く。今の私は、なかなかそのように受け取れないことも多々あり、怒ったり怠けたり愚痴を行言ったり、という態度から成長ができません。しかし、「脳梗塞もまた有難い托鉢」として一生懸命に勤める住職の姿を、私もまた托鉢として頂戴するのです。
「話すことが出来る」「歩くことが出来る」「眠ることが出来る」「食べることが出来る」そんな当たり前のことを怠らずに行じていきたいと思うものです。九月は、「住職の脳梗塞」に感謝の気持ちで手を合わせ、これからも元気でいて頂きたいと祈る月なのです。

「掬水月在手」余語翠巌老師書

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