見出し画像

仏のいえ(2024年1月)

大晦日坐禅

12月31日の夕方にはご本尊様や世代様に御膳をお供えし、お経を読みます。そして早めの薬石を取り、お風呂を頂いて、23時からの年越し坐禅と除夜の鐘の準備をします。昼間に降っていた雨も上がり、今回も15人ほどの人が一緒に坐り、また村内の方は二日参りをしながら除夜の鐘をついてくださいました。ここでの年越しも、5年目になりました。

翌朝は5時半には支度をし、若水を沸かします。若水とは元旦の早朝、その年のいちばん最初に汲む水のことで、その若水を沸かすのは一番若い人の仕事になっています。そして、元旦はそのお湯で顔を洗わせて頂きます。
三ヶ日の朝課は山内全員でお勤めをします。そして、普段は略している東司(トイレ)や浴司、そして外の観音様やお地蔵様、世代様へもお経を読み、お参りをします。三ヶ日にお供えする御膳も、一日目はお雑煮、二日目は白飯と芋汁(トロロ)、三日目は小豆粥と決まっています。
そして、私たちの朝食が終わると、元旦の日は一日中「法華経」でご祈祷をするのが、このお寺の風習。朝9時から夕方16時頃まで、昼食の時間を除いて本堂に座りお勤めさせて頂きました。「時間がかかっても訓読で読みなさい。道元禅師がいかに法華経を大切にされていたかわかりますから」と、青山先生から諭されました。

法華経のお経本

昔、先代は一日で全巻を読まれていたそうで、お正月以外でも村内から子授かり祈願などを頼まれると法華経を読みに出掛け、すぐに円成したと言い伝えられています。私は、今日一日で半分の十四品、まだまだ読み込みが足りません。お参りに来た方々が、本堂の中が見えるように扉を開けているために背中が冷えるのですが、読むことに集中していると冷えもトイレも忘れていました。
三ヶ日の朝課と一日の法華経の読経でご祈祷したお札を、三日の朝食後から檀信徒様約400件に、お正月のご挨拶としてお渡しに回ります。晴れの日もあり雪の日もあるお正月ですが、今年は連日晴れの中歩くことが出来ました。

1月1日、法華経の読経を16時頃に終えて、二階で着替えていると部屋がぐらぐら揺れてきました。外では地震のアラームが鳴り響いてきます。急いで下に降り、住職たちとテレビをつけると能登地方で震度5強の地震が速報され、津波注意報が繰り返し喚起されていました。能登には親しいお寺がいくつかあるため気が気ではありませんでした。
輪島市内の永福寺では、実際には津波はお寺まで来なかったものの、40代のご住職は102歳になるお婆さまを背負ってお寺の裏山の百段近い階段を登って避難をしたとのこと。嘗て鳳来堂というお堂があった高台からは輪島市内が一望でき、輪島朝市から火の手が上がるのを遠望、その後の延焼や宗門のお寺が焼け落ちたとのことも知るのでした。現地を目の当たりにしていない私には、その全貌はわからなくとも「諸行無常」という言葉だけが虚しく響き、皆さんの無事を祈ることしか出来ませんでした。
本堂と庫裡(住居スペース)があった建物は、本堂の基礎が正面に向かって左側へ15㎝ほどずれ、ブルーシートをかけなければ雨漏りで痛み、このまま使用することは難しいとのこと。「解体し小さなお堂にでもしようか」と仰っていましたが、街の人の拠り所であり続けてほしいと心を寄せるばかりです。

復興の本質、柱となるべきものは「共生への真心」であろうと思う。自然との共生、人間社会の共生。その新しい一歩が始まったのだろうし、試され続けている人類でもあろう。その一歩とは勿論、私にとって仏道に通うものでなければならない。それは如何なるいのち縦軸の様子であるか。
永福寺の門柱には次のような偈文が記されている。嘗て、兵庫浜坂山中の安泰寺に安居した折に、本堂まで続く百九段ある石畳の階段。そのふもとの両脇に立てられてあった柱に書かれてあったもの。それは次のようなものである。
 「若因地倒 還因地起 離地求起 終無其理」 
人は倒れたところからしか立ち上がれない。立ち上がらなければならない。震災という「倒」から起きあがること。今を越えなければならない。越えるとはどういうことか。地獄、修羅場と化した被災地の現実、今、ここをしっかりと見つめ、そして前向きに一歩を踏み出すことからしか、「起」を手に入れ、且つ手放すことはあり得ないだろう。
地に倒れ地より起き上がるだけではない。
空に倒れ空より起き上がる。地に倒れ空に起き上がり、空に倒れ地に起き上がる。諸行無常に倒れ諸行無常に起き上がる。虚に倒れ実に起き上がる。虚に倒れ虚に起き上がる。実に倒れ実に起き上がる。今に倒れ今に起き上がる。無に倒れ無に起き上がる。無に倒れ有に起き上がる、有に倒れ有に起き上がる。有に倒れ無に起き上がる。自己に倒れ自己に起き上がる。自己に倒れ他己に起き上がる。他己に倒れ他己に起き上がる。他己に倒れ自己に起き上がる。
言葉遊びではない。
すべては自己のいのち、ありのままなる様子を手に入れ、身に入れ、心に入れ、自由自在に生きんがための話である。
お前はありのままに生きたくはないのか。お前は欲望や煩悩を越えたくはないのか。刮目せよ。瞎睡してはしてはならない。何があってもぶれないいのちの芯、根っこを生やすことを、一人一人が試されている。今も昔も。被災者も支援者も、老いも若きも、流れゆくいのち一つの灯を消さぬために。
復興の本質、共生の本質にそのような、わがいのちの灯を掲げる志、ベクトルがあって然るべきではないのかと思う次第。合掌

生きるとは縁を生きることである。縁は本来的に選ぶことができない。だからこそそれは人生の宝なのである。その宝をどう活かすかが復興の本質であり、わが人生の意義なのであるという目覚め。そのようないのち縦軸の歩みに生きるようとすることに微塵の迷いもない。

永福寺東堂 市堀玉宗師 SNS記事より

永福寺令和6年能登半島地震復興義援金勧進
郵便振替口座
加入者名  永福寺
00750 5 101412


今年102歳になる永福寺のお婆さま(写真は2年前の物)
地震後の永福寺本堂前

支援先は一つではありませんが、身近な仲間から手を繋いでゆきたいと思います。そして、お互いに情報を共有しながら、出来ることを模索していけるよう、引き続きよろしくお願い申し上げます。

自然災害である地震を、私たちが制御できることはありません。東日本大震災後に、太平洋海岸沿いに最大14.7メートルの堤防ができたのは記憶に新しいこととしてあります。人間本来の営みとは何か、このような災害の時こそ意見を出し、省みる機会になればいいと思うものの、行政の考える復興は真逆に走ってしまうことが少なくありません。
アスファルトが割れ、法面が崩れ、人間の都合上では物流が滞っている中で綺麗事は言えないものの、自然は人工物のコルセットを脱ぎ、風に身を任せて呼吸をしている声も想像ができるのです。
現代文明を100%否定することはできないものの、少し立ち止まって「行き過ぎた」生活を確認すべき、私も立ち上がらねばと腰骨を立てるのです。

いつも心温まるお気持ちをありがとうございます。 頂戴しましたサポートは真実に仏法のために使わせていただきます。引き続きご支援のほど宜しくお願い致します。