仏のいえ(2024年9月)
「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉は、どんなに辛いことでも時期が来れば癒され苦しみから解放されるという意味で使われますが、今年の暑さはいつまでもしつこく私たちを疲れさせる日々でした。9月のお彼岸が過ぎてやっと朝晩に涼風を感じるようになったものの、日中は暑い日が続いています。
8月下旬に発生した台風10号は、直接長野を通りませんでしたが、離れていても集中豪雨に見舞われました。9月中旬から収穫予定だった信州特産の葡萄が被害にあい、果樹園に出掛けても今年は寂しい風景でした。
いつまでも暑いということで、なかなか畑へ足が向きません。大根、蕪、ほうれん草、菜の花の種を蒔いたのは、本来よりも三週間も遅れた9月20日過ぎ。11月15日のお十夜法要の御供えに間に合うかわからないけれど、小さくても実って欲しいという祈りと共に耕しました。種を買うと袋の栽培ごよみを参考に種蒔きの日取りを決めますが、本来冷寒地(冷涼地)だった信州も、今は中間地の基準の気候になりつつあるかもしれないとも思うほどの暖かさ。それでも蕎麦は白い花から茶色の実に色を変え、信州味噌になるであろう大豆も畑一面に実る景色を眺めていると、暑い気温の中でも季節は進んでいるのだと確信するのです。
9月21日22日には被災地能登半島に雨が降り続き、目を覆いたくなる映像が報道され続けています。水害にあわれた地域の皆様には心よりお見舞い申し上げます。ふるさとを離れず、前を向こうと足を踏ん張っているところに吹き荒れた豪雨に心が折れてしまうとき、私だったらどう過ごすことができるのだろうかと頭を巡らせます。それでも諦めず、これが一生続く訳ではないと、心を入れ替えることができるのでしょうか。私に出来ること、僅かな一手ですが朝市近くの法友・永福寺様の再建のお手伝いを続け、輪島の町の心の拠り所になることを心から祈るばかりです。どうぞ皆様もお力添えをお願い致します。
「今の自分は無人島で助けが来るのを待って、手を振っているような気持ちだな・・・」
そういう気持ちを持つときは、誰でにもあるかもしれません。私は近年、被災者ではないけれど、孤独を感じ、鬱っぽい状態になった経験があります。それは、今も完全には消えず、その状態とうまく折り合いをつけながら生きているということに近いのです。でも、そんな時に頂いた手紙、近所の人が届けてくれたお菜、一緒に境内の掃除をしてくれた方、たった一日、たった一通だったとしてもその時その時に助けられていたのだと思います。小さな声でも、どんなに遠くても、こちらから手を振り替えしたいと希います。
2013年秋にアメリカ留学から戻った私は、数ヶ月間、造園家・矢野智徳さんのお仕事を手伝っていました。今は「大地の再生プロジェクト」という名前で矢野さんの仕事が広く知られるようになりましたが、その頃は5、6人で現場を駆け巡っていました。私が関わった中で最も大きな現場は伊豆大島。ダムに流木と土石流が詰まり、溢れた水が隣の山筋に押し流されて、その水が集落を一つ海へと押し流し約50名の方の命が失われた、そんな出来事でした。山間地にあるいくつかのダムには、オーバーフローしたダムとそうでなかったダムはあり、その原因はダムの底が素掘りだったかコンクリートでした。そして、流木はコンクリートでできた橋に詰まり、そこからも川の水が溢れ出るという大惨事でした。矢野さんは、素掘りのダムを作ることを提案したけれど、伊豆大島はより強靭なコンクリートダムを作ることを進めました。土地を守るどころか、より大きな災害を導く対策をしているかのようでした。能登半島についてはわからないけれど、被災地はゼネコンの草刈り場という印象があるのです。
矢野智徳さんと堀信行先生、粟生田忠雄先生によるシンポジウムが、去る9月23日に行われていました。私は会場に足を運べず、アーカイブで後日拝見する予定です。
無量寺は標高1665Mの高ボッチという山の麓に位置しています。お寺の横の小さな沢は三面コンクリートで固められ、沢の源流には砂防ダムが作られています。手入れのされていない植林が雨によって崩れたら、この沢も溢れ私たちの集落も土砂災害に遭うことは予想の範囲内のことなのです。水害のあった地域を人ごとと思わずに過ごしながら、自分の地域を語り合う場所を作れないかと、ただ悶々としています。
この三面コンクリートというのは、水害に合わなくても危ないものだと痛切に感じたこともあります。私がお寺に来てわずか五年の間に、川の様子を見に行きながら足元を取られ、コンクリート側溝に頭を打って亡くなった方が数名いるのです。その場所がコンクリートでなくて土(素掘り)だったら身体への衝撃も違ったのでしょう。
矢野さんは、水害が起きる状況を「人間の脳梗塞」に喩えられていました。大地が呼吸が出来なくなること、大地の中が踏みしめられ空気道ができずに詰まることで雨も浸透できなくなり、大量の雨に対応できないのだと仰っていました。地球と自分は等身大のもの、環境は私たちの身体の内側の鏡、マクロの世界を変えていくには、まず足元のミクロの世界から見直したいと思いながら、手に移植ゴテとノコガマを持っています。
お隣の人が「もう、私たちも年をとってね、今年稲架掛けは最後。来年はコンバインかな」と痛い背中をさすりながら境内を通っていきます。理想はあっても稲架掛けの大変さと生活が見合わなければ続けていくことは難しいかもしれないのです。でも、でも、と思いながら、小さくても続いていけること、私にできることは何か、そんなことを考えながら今日も境内を整えています。
日常では山を歩くことは少なく、遠方の友人が訪ねてくれた時に行くだけの霧ヶ峰や美ヶ原高原、上高地。暑い暑いと思いながら、天空では一足もふた足も早い秋風が吹いていました。あの山頂で吹いている風が山の麓まで届いていると想像だけで、心は天地悠久の中を飛び回り、しっかりと腰を下ろして坐ることができる喜びを感じています。