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松平頼曉のための祝詞

 松平頼曉氏からは、これまでたびたびお話を伺う機会があったのだが(以降敬称略)、ある晩、作曲家、八村義夫が唐突にかけてきたという電話の話が、ひときわ印象に残っている。「時計の針が時を刻む音だが、あれはいったい何拍子だろうね?」。電話口でそう訊ねる八村に、松平は「一拍子だ」と即答したとか。この二人の作風を知るものからすると、あまりに良く出来た笑い話のようである。

 時計の刻みに何らかの拍子感を幻視せずにいられない八村と、時計を動かす機構は一定であるがゆえ刻みに変化があるわけはない、ならば拍子感など生まれようがなく、言うなれば「一拍子」だという松平。少々の飛躍はあるが、筆者は前者の感覚に表現主義、後者に新古典主義を接続してみる。八村といえば、表現主義の王道を往く12音技法導入以前のシェーンベルク作品を、さらに凝縮したかのような作風で知られていたわけだし、松平の、音楽にいかなる感情/物語も乗せず、あたかも「振動する建築」のごとく構築しようとする態度は、新古典主義を現代に蘇らせ、さらにその極北を行くものと言えるだろう。

しかしながら、前者はともかく、後者に対する共感は、現代の日本にはほとんど存在しない。それはまず、私たちの日々の生活を取り巻くマスメディアが、詰まらない感情を増幅するための音楽で、溢れかえっていることによるのだろう。こうした状況が逆作用し、あらゆる音楽に何らかの感情や物語を背負わせてしまうことに、人々はどこまでも無自覚だ。筆者はかつて、一流のキャリアをもつある指揮者が、「音楽はどのような感情も表現するものではない」という松平の言葉に、ほとんどアレルギー的な拒否反応を示すのを目の当たりにしたことがある。日本の音楽界は、聴衆から演奏家にいたるまでかくも情念漬け。こうした状況なればこそ、これに敢然と反旗を翻す松平のスタンスは一層受け入れ難いものとなるだろう。

 ゆえに、松平頼曉について限られた紙幅で述べるということは、建築の前の地ならしに相当の労力がいる、という理由もあり、些か気の重い作業となる。だが、新古典主義の体現者であるストラヴィンスキーの名前を、補助線のように書き加えてみるならば、松平の「特殊な」スタンスを、一般的な聴き手へとどうにか伝えることが出来るように思う。ただし、ストラヴィンスキーを思い起こすだけで、松平のスタンスが判りやすくなるという事実は、日本の音楽界が、ストラヴィンスキーに限らず、新古典主義を十分に咀嚼せぬうちに今日に至ったことを示す証明でもあり、こちらも少々面白くない話となろうが、今は、そのことは措くとしよう。

そのキャリアの中期に、発想記号によらず、♪=88などとテンポのみを指定する音楽を量産していたストラヴィンスキーは、演奏においては楽譜に書いてあることしか起こり得ないとでも言いたげな、ある種の見切りの厳しさでもって、他の新古典主義的作曲家とは一線を画した存在であった。彼は、自身の作品に余分な感情や物語が乗せられることなど遠慮したかっただろうし、楽譜が生みだす音の愉悦に、聴き手がただただ浸ることを望んだに相違ない。こうした態度が松平の態度とどれほど違うというのだろう?新古典主義を前衛運動と再定義し、その系譜の突端に連なる作曲家としての松平を捉えるなら、そのスタンスを理解することはいくらか容易となる。

 さらに一歩踏み込もう。筆者は松平頼曉を、最も本質的な意味でストラヴィンスキーからの強い影響を受け、消化した――おそらく伊福部昭や黛敏郎よりも――日本人作曲家の一人と考えている。考えてみて頂きたい。松平以外の誰が、ストラヴィンスキーのようにドライかつ軽やかに音と戯れることが出来ただろう?そしてもう一つ。松平の形式についての卓抜した意識にも、他の日本人作曲家には決して見られぬ形で、ストラヴィンスキーからの影響が見て取れはしないだろうか?

 多くの現代作曲家と同様に、松平もまた、ストラヴィンスキーの《春の祭典》から大きな影響を受けている。しかしながら、松平は表面的な音響のトレースに向かうことはなかった(常に明晰を志向した松平の楽器用法が、ストラヴィンスキーと似ていなくもない、くらいのことは言えるにしても)。《春の祭典》第1部の終結部。熱狂的な高揚の頂点で、断ち切られるように終わる音楽に、松平は衝撃を受けた。「真の表現の革命は必ず形式の革命を伴う」と看破したのはマヤコフスキーであったが、いかに新奇な音響を構築しようとも、形式が前時代的であれば、音楽もまた前時代的なものへと帰着してしまうものなのだ。

 《春の祭典》でストラヴィンスキーが作り上げた新しい音楽語法は、それまでの音楽のような勿体ぶったコーダを必要とはしなかった。逆にいえば、この音楽にロマン派の楽曲のようなコーダが付随していたなら、この曲の刺激的な不協和音も精緻なリズムも驚愕すべき楽器用法も、単なるこけ脅しのように聴こえたに違いない。キャリアの出発点において、このような音楽の在りように衝撃を受けたがゆえに、松平の作品には、一作ごとに異なった形式上の工夫が凝らされることになる。一見、様々な要素が単に羅列されているような作品でも、イベントの出現頻度を柔らかに制御するための工夫が凝らされている。こうした形式についての工夫は見過ごされがちであるが、松平の創作を語る上でもっとも重要なものと言えよう。

 さらに、松平といえばシステマティック方法論を創作に持ち込むことによって知られる作曲家でもある。経歴にもあるように、まず総音列技法によって作曲家としてのキャリアを築き、不確定性の時代、引用の時代を経て、1976年以降、旋法による作曲を始めている。旋法による作曲は、1982年、管弦楽のための《尖度I》、二台ピアノのための≪尖度Ⅱ≫の二作品にて、初めて厳密に適用された、ピッチ・インターヴァル技法へと発展し、その後、≪モルフォジェネシス≫など、数多くの作品がこの技法を用いて作曲されている。

 総音列技法について、ある作曲家は「才能のないものでも音楽が作れるシステム」と嘯いた。だが、それは大きな間違いだ。総音列技法に限らず、システムとはある程度までの作品の質を保証してくれるかも知れないが、それを運用するものの知性や才能を、無慈悲なほどに露にしてしまうものでもある。これについては、総音列技法も、パリ音楽院仕込みのエクリチュールも、芸大和声も、バークリー・メソッドも変わらない。ただ一つ確かなことは、どのような高度なシステム/技法であれ、それを無批判に信奉してしまう者には、霊感は決して降りてこない、ということだ。

 松平頼曉という作曲家について真に特筆すべきは、そのシステムとの距離のとり方の非凡である。システマティックな作曲に身を投じつつも、システムの適用範囲を冷静に見定めることを忘れない松平の態度は、優秀な科学者のようでもあるし(事実、松平は立教大学理学部で長期に亘って生物物理を講じた科学者でもある)、高度なセキュリティ・システムを作り上げると同時に、自らそれを突破してみようと試みるハッカーのようでもある。

 「作曲作業が乗っている時には、敢えてペンを置きます。そのような場合には自分の批評能力が落ちていて、霊感に乏しいものを書いても、これで良しとしてしまう恐れがあるので」

 「自作に引用する音楽は、自分の好きな作品とは限りません。むしろ、自分が嫌いな作品の場合もある。なぜかといえば、自分が好きな作品には自作に近い要素が含まれているもので、敢えて自分にないものを導き入れようとするならば、嫌いな作品を引用した方が良い」

このような言葉(大意)をサラリと口にする現代音楽の、しかも80歳になろうとする作曲家を筆者は寡聞にして他に知らない。世界のどこにも居ないのではないか、とすら思う。こうしたスタンスが、ともすれば硬化してしまいがちな、作曲におけるシステムの運用を柔軟なものとし、前述の形式上の工夫と相俟って、創作の鮮度を瑞々しく保っているのだ。霊感もアイディアも、えてして風通しの良いところに降りてくることを考えれば、松平のスタンスのユニークネスが、その作品の質の高さに結びついていることを、驚きとともに理解することが出来よう。

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 筆者はあるライブ会場で、秋山徹次(ハードロックをベースとし、質の高い即興演奏などで知られるギタリスト)にギターの特殊奏法について熱心に質問する松平の姿をみかけ、その恐るべき好奇心に驚愕したことがある。考え抜かれた形式の上に乗った、柔構造のシステムは、まだまだ新しいアイディアを取り込む余地をもっているということだろう。若さが単に年齢で計られると思うなら大間違いだ。自らに新しい何かを取り込ための、隙間を空けておくしなやかさこそが若さなのだ。よって、筆者は現代音楽の世界において、松平頼曉よりも若々しい感性をもっている作曲家を見出すことが出来ない。これは、原稿執筆時点での筆者のまこと正直な実感なのだから仕方が無い。ゆえに、本年の3月27日に80歳を迎える作曲家への期待は、ますます高まるばかりである。”What's Next?”

改訂版初出:藤田詩織、松田琴子、矢加部幸恵 左手から3台ピアノへ 松平頼暁ピアノ作品展(2015年03月23日)プログラム解説。

原典版初出:大井浩明 POC (Portraits of composers) 第5回 松平頼暁×田中吉史(2011年01月29日) プログラム解説。

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