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第1章 「母マリアと父セメン・ツウェットの旅たち」

本日から物語の始まりです。

馬車は峠を越え、ゆっくりと坂道を下ってゆく。その前方には港の灯りが木々の間から、時々垣間見れるようになってきた。ウィーンの町を出て、ウィーンの茂った森に入り林を走り抜ける。出発してから5日目の夕刻を迎えようとしていた。馬車の客は、山々、谷をくぐり抜けて、やってきたので、ほとんどの人ははるか向こうの港の灯りをながめる事で心が安らむのである。(気分の悪い人、1~2人を除いて)ガス灯の明かりは近そうに見えるけれども、トリエステの港町には、まだまだかなり遠い。旅馴れている数人は“今夜はこの灯りを見ながらゆっくり飲もう”と、くつろぐ雰囲気になっている。それを聞いている他の旅人は近そうに見えても、遠くて、到着するのは今夜遅く、夜半なのかなあと思うようになっている。
港の灯りは1時間前までは薄っすらと見えていただけであったが、今は夜もとっぷり暮れて、その灯りは鮮やかに見えてきた。
客はかなり疲れているが、もう少しで海の町トリエステに着く事が分かっているので、酔っている1人2人を除いては、顔色がいい。その客の中には女の人が3人いた。その他の人は、男達であった。その中で、とても色白で、ほりの深い若い女性がいた。その人が、ツウェット博士の母となるマリア・ドローサである。その横で、正装している男が父になるセメン・ツウェットであった。二人は南ロシアの町、オデッセで結婚して、仕事の関係もあったので、すぐにウィーンに旅立ち、その後に、イタリアの港町トリエステでハネムーンを送ろうと旅に出かけたのである。とはいっても、急ぎ旅で4日後には、次の仕事場のベネチアに出かける事になっていた。
マリア・ドローサは港の灯りを見つめながら、走馬灯のように、過ぎ去った半年間の事を想っていた。

マリア・ドローサが始めてセメン・ツウェットを見たのは、ロシアの南の町オデッサにある格式の高いホテルのロビーであった。
セメン・ツウェットはロシアの外交官と貿易商とを組み合わせたような仕事をしていた。その仕事は、その当時の職としては高い位と言えた。

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