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「それぞれの最終楽章」②      愛情は本当に同じ方向を見つめることか

朝日新聞「それぞれの最終楽章」連載2回目。紙面掲載は明日、土曜。デジタルはその翌日掲載です。
デジタル版は掲載紙面の倍くらいの分量があります。そしても、ちろんオリジナルの単行本は当然、そのまた何倍もの文章量です。それでも当初の原稿を1/3以上も削ってようやく一冊にまとめました。
削ったのは当然「語るほどでもない、普通のこと」です。
単行本では、告知から死までの3か月と、互いに20代で出会ってから逝くまでの30年間を、文字の色を変え(PCだとちょっと違いは分からないか)、交互に構成してあります。本に著すくらいですから、もちろん「語るべき」印象的な場面が中心になります。

「愛とは、お互いに見つめ合うことではなく、一緒に同じ方向を見つめること」とサン・テクジュペリは言いました。漫画「バーテンダー」の中でも引用したことがあります。
これは本当でしょうか。
恋愛中はともかく、結婚した途端、今日のことより明日、明日のことより5年後、10年後。果ては20代でも老後に備えて貯金をと、ある意味「同じ未来」を見つめます。そして互いに老いて、同じ方向を見ていた視線を、あらためて互いに向けたとき、そこには自分の知らない別人がいた。……という話はよく聞きます。そもそも、「同じ方向を向いてめざした」その未来、その明日は本当に来るのでしょうか。
振り返ると、愛情において本当に大事だったのは、「語るほどでもない、普通のこと」=「日常」だったのかもしれません。なぜならそれは、眼をこらしてじっと相手を見つめ、その声を逃すまいと耳を立てていないと、あまりに平凡すぎて見逃してしまうからです。

あなたは、夫が、妻が、今朝何を食べたか、どんな服装をしたていたか、どんなことを話したか、覚えていますか?
そんな「どうでもいい日常」は失われて初めて、それがどれほど貴重なものだったか気付くかもしれません。







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