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朝日新聞「それぞれの最終楽章」⑥最後の日と「時間」について
死=人の生は限られている。
限り=時間。……ということについて考え続けた。
私は学生の頃から、ライターという「職人」であることにプライドがあるので、「先生」にはならないようにしている。職人の世界では、読み手(あるいは使い手、映画なら観客)が理解出来ないような作品は、独りよがりな「先生気取り」と笑われるのだ。自分自身が他者に説明できるほど完全に理解した事以外は、近づかないというのが基本のスタンスだ。
だから本書でも、あの時に感じた不思議な時間感覚については、最後の最後「読み飛ばしてもらってもいいです」という場所で触れた。「先生気取り」と笑われても、あるいはその考え方が根本的に間違っていたとしても、どうしても「あの時」の不思議な感覚については触れたかったのだ。
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あるとき、バーのカウンターで偶然、若くて優秀な物理学の先生と話した時だ。酔った勢いで「多元宇宙を直感的に理解するにはどうしたらいいですか」と無茶なことを聞いた。多元宇宙が本当に(あるなら)。人は別の宇宙で永遠に生きていることになる。
(この質問って、昔、銀座のバーでウイスキー評論家のY岡さんに「美味しいウイスキーを3本勧めてください!」と聞いたのとおなじくらいド素人の無茶な質問だ。普通なら鼻で笑ってあしらわれて当然だ。でもY岡さん、じっくり考え3本の名前をあげ、その3本が本当に素晴らしく美味しかったので「Y岡さん。なんて善い人なんだ」と感動したものだ)
この時の物理の先生も「それはですねぇ。考え方のトレーニングが必要なんです」と即答してくれた。この答えにひどく感動した。
死=時間を考えるときも、まったく違う方向から考えれば、まったく違う答えが出てくるのかもしれない……と、思った。それがどんな考え方でどんなトレーニングなのかは無論まだ分からないのだが。
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