「関心領域」とケガレについて
地方都市が困るのは、昼の上映映画がアニメとアイドル恋愛映画ばかりになること。シネマイーラでようやく上映されたので見てきた。公開されてだいぶたつので、見たいと思った人はすでに見てしまっただろうから、多少のネタバレはお許しあれ。
普通、ストーリーはイントロがあって、登場人物と背景の説明があって、事件が起こって、謎で引いて解決。エピローグとなる。(だから「すべてのストーリーはミステリーである」という。誰の言葉だっけ?)
ところがこの映画は登場人物と背景の説明がない。不親切ともいえるが「知らないのは君だけだよ。世間じゃ常識」という立ち位置をあえて取るのはよくある省略法でもある。
とはいえ、イントロで真っ黒な画面と不気味な音楽が1,2分も続いて「なんかトラブル?」と思うほどの長さ。始まって30分ほどで今度は白画面。その次は赤。そして途中(最初はまったく意味が分からない)赤外線の暗視カメラの映像がところどころにインサートされる。人が意味不明に耐えられるのはだいたい2,30分で、隣の席のお父さんもこのくらいでイビキをかいて寝始めた。
収容所の「暗」(死)とヘスの家族の「明」が対比的に描かれて進行するわけだが、この「明」=健康をささえる清浄さ(浄化)への狂気がところどころに垣間見られる。ケガレへの恐れである。と、同時に最後の最後、現在の収容所の展示物の前で、淡々と掃除機をかける女性の姿にもう一度「関心領域」というタイトルを暗示させる。
救いのない映画で唯一の救いは、暗視カメラの映像部分が、実は史実でピアノを弾く少女もその衣装も部屋も実際のモデルの物を使用したと知ったときだった。(あとであの意味を検索して知ったんだけどね)
タイトルの「良いこと」とはへのツッコミは重々承知の上で書かれた一冊。
しかし、映画公開がちょうどイスラエルのガザ侵攻と重なることを思うと、ナチスが「良いこと」をしたかどうかはともかく、歴史的被害者が今度は加害者となって「敵」を「殲滅」しようとする構造の逆転に、本当にナチスだけに「歴史のケガレ」を負わせていいのかとやはり思ってしまう。
憂鬱でうなされるような映画だけど、やっぱり見ておいた方がいい。
さて、来週は映画「フェラーリ」!
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