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朝日新聞「それぞれの最終楽章」③栗本薫/中島梓さんのこと

人生が根本から変わるような出来事が起こると、人は、さまざまな「因果」や繋がりの「縁」をつい考える。

「因果」とは何か。例えば淳子さんのことでいうなら、「ガンになった原因と理由」=「因」を探し求めることだ。頭では「因果」などないと分かっていてもつい探し求め苦しむ。だから「因果不落」=「因果を求める無限ループに陥ってはいけない」と言われる。
 とはいえ完全には諦めきれないので「不昧因果」という言葉も対になっている。不昧=誤魔化さないでそのままを受け入れる。因果を求める自分自身そのものを認めろということだろうか。

では「縁」とは何か。悪因も良縁が加われば結果は良くなり、逆に良因も悪縁が加われば悪果となる。その結果生まれた物もまた因となり、新たな縁が加わり新しい果が生まれる。

栗本薫/中島梓さんが2009年に膵臓ガンで亡くなったとき、奇妙な「縁」を感じたのは「膵臓ガン」という病名が同じで淳子さんと年齢が近かったことだけではない。(それも感慨深かったが)
実は大学生の頃、駆け出しのライターとして、初めて取材させてもらった著名人の一人が栗本さんだった。栗本さんはまだ大学生だったがデビュー作「ぼくらの時代」で江戸川乱歩賞を受賞したばかりの新進作家だった。
 取材内容はまったく忘れたが、なぜか池袋の西口公園のブランコに乗って話をしたのを覚えている。互いに学生という身分の気軽さからか(生年月日も数日違いだ)、偉ぶったところもまったくなく、頭のキレるノリのいい同級生と話しているような楽しい取材で盛り上がった。

(ちなみに、同じ企画で取材したやはり同世代の別の新人作家さんは、尊大、横柄を絵にかいたようなワルキャラ。「コイツどれだけ自信がないんだ」と呆れたが、その後、小説家としては3流に沈んでヤッパリね、と思ったものだ)

この新人作家さんに比べると、栗本さんは明らかに才能に余裕があった。デビュー後、一直線に作家、評論家として活躍していくことになる。
この才能には絶対にかなわないだろうなと、以来、フィクションを書くことに手を出そうとはおもわなくなった。作家ではなく職人として文章を書いていこうと、心の中で決めるきっかけにもなった。(もうひとりのきっかけは向田邦子。この眼の良さは絶対にかなわないと思い知らされた)

ちなみに、世間では職人より先生が偉いと思いがちだが、それは違う。
それが証拠に職人の世界には「先生気取り」という言葉があり、先生の世界には「職人仕事」という言葉がある。どちらにも一流がいて、どちらにも3流がいるだけだ。

これが中島さんの絶筆となった

中島さんの取材が終わり、なぜか「これから麻雀の約束があるけど、一緒に行かない?」と誘われた。腕に自信もなかったので断ったが、あの時、もしついていったら、その縁は「良果」となったのか「悪果」となったのか……。と、時折考えたものだ。


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