見出し画像

朝日新聞「それぞれの最終楽章」最終回

2か月近く、毎週土曜日に掲載していただいた「それぞれの最終楽章」も最終回。最後に「それぞれ……」について少しだけ述べたい。
妻の死について出版することに対しては、逡巡があった。今でもそれが良かったことなのか(少なくても淳子さんは呆れながら少々怒っていると思うし)分からない。
ただもし、ひとつだけ意味があったとするなら、本をきっかけに何人かのひとから「実は私も……」と似たような喪失の過去を打ち明けられたことだ。
誰の過去も、決して忘れ去られた「過去」ではなく、「今」とつながっている。誰もが実は「過去」に納めきれない、悲しさを抱えて今を生きている。

漫画の中でも何度か引用した「アンナ・カレリーナ」の冒頭の言葉がある。
「すべての幸せな家庭は似ている。不幸な家庭は、それぞれ異なる理由で不幸である」
若い頃にはこの言葉が腑に落ちなかった。「いろいろな不幸があるなら、いろいろな幸福だってあるだろ」
少し歳をとって分かったのは、不幸を感じずにいられる「今」が実は幸福だと言うことだ。もっと細かく見つめれば不幸の中にも、幸福を見つけることは必ず出来ると言うことだ。
不幸は見つけなくても勝手にすぐ現れる。でも、幸福は眼を凝らし息をひそめて集中しないと見えてこないのかもしれない。今日の「今」に「それぞれ」の幸福を見つけることは、「それぞれ」の才能にかかっている。

来週から八ヶ岳。涼しくていいけど、やはり雪の中で過ごした14年前の2人だけの最後を少しだけ思い出してしまう。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?