(ネタバレ注意)シン・エヴァンゲリオン劇場版感想

※この記事はシン・エヴァンゲリオン劇場版に関する重大なネタバレを含みます。未視聴の方は閲覧をお控え下さい。

新劇場版を見終わって、一番に感じた事は、
「庵野さんって、とても愛情深い人だったんだ」という事でした。

思えば20年前。
旧劇場版で「エヴァンゲリオン」というコンテンツに首の根まで
どっぷり浸かったファン達に、「現実に帰れ」と冷や水をぶっかけた監督。
それも監督なりの愛情表現だったんでしょうが、
ファンは「愛情」とは受け取らず、見離された気持ちになり、
逆に監督を非難するようになりました。

それも当然の話で、ファンが求めたのは、シンジ君が覚醒し、全ての諸問題を解決して、
レイやアスカと共に歩んでいく明るい未来で、なんならそれ以外は求めていなかったのです。

しかし監督はとても素直で実直な人だったので、
「これから明るい未来を歩んでいこう」などと、仮にビジネスとはいえ、
無責任にポジティブな言葉は言えませんでした。

「あるべきだった未来」を求めるファンと、嘘は言いたくない監督。

両者の溝は一生埋まらないような気がしました。
ファン達は、同人誌などの二次創作で補完し、渇望する未来の隙間を埋めようとしました。

しかしそれは、庵野監督が埋めなければ、一生埋まらない溝でした。
監督自身が公式で発信した言葉でなければ、その溝は埋める事ができなかったのです。
シンジ君というのは庵野監督の投影であり、
彼が体育座りで現実から目を背けている限り、物語は前に進まなかったからです。

「新劇場版」を始めた時、監督の心境は、決してポジティブなものでは無かったと思います。
「アニメーションは、やがて特撮のように、
ニッチな技術になるかもしれない。しかし最後のあがきだとしても、
この技術が廃れるスピードを少しでも遅くさせたい」という、
どちらかというと悲観的なものだったと思います。

実際問題として、旧劇のエヴァンゲリオンで、
手書きのアニメーションというジャンルにおいて
日本のアニメーションは臨界点に達していました。
押井守が「日本のアニメーションのピークは既に過ぎた」と語っていましたが、当時を支えた超A級のアニメーターは、今や高齢になり、
技術的にも、商業的にも、後は衰退していくだけのコンテンツという諦観が
あったんだと思います。

しかし庵野監督が最後に選んだのは、悲観的な未来ではなく、肯定的な未来でした。

きっと25年という長い旅路の中で、色んな心境の変化があったんだと思います。
監督にとって「エヴァ」というアニメーションは、
「好き」とか「嫌い」とか一口に語れるものではなく、色んな感情が混ざり合った複雑なものだったのでしょう。

何が監督の心境を変えさせたのかはわかりません。
原因はひとつではないかもしれません。
安野モヨコさん(妻)の愛情なのか、
新人アニメーターの未来を信じる新しい才能なのか、
震災やコロナウイルスに立ち向かう人々なのか、
はたまた悪に立ち向かうウルトラマンや仮面ライダーの姿なのか。

そうして最終的に監督が選んだのが「人を信じる」という選択で、
あれほど人から傷つけられた監督が、それでも人を信じ、
アニメーションへの深い愛情を見せてくれて、物語の幕引きをしてくれたことにとても感動しました。

旧劇でアスカの首に手をかけたシンジの手は、
新劇でマリへ未来を差し出す手に変わりました。

「さあ、行こう―」

最後のシンジ君の台詞が、
嘘ではなく本音で言えるようになるまで、25年という歳月が
必要だったんだと思います。

さようなら、全てのエヴァンゲリオン。そしてありがとうございました。

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