61、コロナの影響により新婚早々離れ離れになってしまった国際カップル

2020年2月の挙式を無事に済ませた後も必要な手続きなどがあり、僕達二人はしばらくはセブで新婚生活をしていた。その時、ちょうどニュースでは新型コロナウイルスで武漢が封鎖され、それが徐々に広がっていってるニュースを見ていた。フィリピンは強権的で、どこの国よりも早い段階でに中国人の入国停止という措置をとっていた。

チャイさんは会社を4月に退職してその後すぐ日本にくる予定だったので僕がいる間に必要な全ての手続きを済ませ、僕だけいったん3月の頭に日本に帰ることにした。その頃には世界中でコロナが猛威をふるい、僕が帰る直前には飛行機も徐々に減少していき、帰りの便ではなんとたったの7人しか乗客がいない状況だけれどギリギリ帰国は出来た、その時はコロナがそんなに長引くとは思いもしなかった。大変なことになるとはまさか予想していなかった。

帰ってきたのはいいけれど、心配だったのが日が経つにつれ徐々に国同士の行き来ができなくなっていくということ、調べようにもメディアによるバイアスがかかったニュース、そしてフェイクニュースなど、ネット上に転がっている情報もカオスになり、何が正しい情報かも分からなくなってくる。

どうするか?世界中でスピーディーにロックダウンや厳しい検疫をやっている中でノロノロとほぼ無策の日本にいて安全なのか?このまま自分も動かないとチャイさんとは会えなくなってしまうかもしれない、今ならまだギリギリでどこかに入国することも検討できる、例えば近くの台湾などちゃんとした策をとってるお互いがビザ無しでいける国で会うか?いやそんなことしたら次はいつ日本に帰って来れるか分からない。

悩んだあげく、結局動かないことにした。というよりも何が正解かわからず動けなかった。案の定、3月末にはフィリピンとの行き来はできなくなり、僕らは結婚はしたもののすぐに引き裂かれ、今度いつ再会できるか分からない状態になってしまった。

世間で流れる暗いニュース、何よりフィリピン側も心配ではある、だけど助け合い精神で生き抜いて行くフィリピン人の強さを信じよう。
とりあえず僕はここで生き抜かないと。

ついには外国人の行き来ができなくなり、緊急事態宣言発令、自粛ムードが世間に広まる。そうなると天空の茶屋敷も事業としては大打撃を受け、特に6月なんかは宿泊者がゼロになってしまう。ただでさえチャイさんのことも不安であり今後自分の生活も脅かされるダブルパンチ。

だけど、天空の茶屋敷の凄かったところは、何も宿泊業だけに依存している訳ではなく、出て行くお金を小さくデザインしていたおかげで僕が少し外で働くだけで何とか生活は成り立つ、それに何より、自粛と言いながらだだっ広い田舎ではほとんど誰にも合わずに悠々自適に野菜を育てたりしながら汗をかいて気持ちよく暮らすことができる、世間が自粛しようがロックダウンしようが、そもそも普段から人がいないところに住んでいて、必要最低限しか町に下らない生活をしているものだから、はっきり言って僕の生活は何も変わらなかった。むしろ世間がオンラインに走ってくれたおかげで前よりも都会の人との繋がりを感じれていた。

そして、このコロナ禍の中でも着実に歩みを進める。ゲストハウス以外にももう一棟の大きな家を借りたりしてそれをシェアハウスとして、そこに集った人たち、田舎暮らしをしたい人やアーティスト気質の人が長期滞在したりもして、そこから移住者も少しずつ増えていく、そうやって山奥の天空ファミリーは少しずつ大きくなって行った。エコビレッジだとか限界集落に移住してきた面白い若者達が集う現象が最近はメディアなどで注目されつつあるけれど天空の茶屋敷もそんな感じでコミュニティが形成されつつある。そこに集うのはやはり僕と同じように普通の生き方が出来ないような人々なんだけど。

それから、事業自体は大打撃を受けていたから、多くの友人達が僕のお茶を買って応援してくれた。それが本当にありがたかった。風邪の予防に良いとされるお茶、コロナ予防にも効いてくれたらいいな。

そして、夏が来た。観光業、特にゲストハウス業、そしてインバウンド頼りの事業が厳しいとされているので茶屋敷はまさ苦しいかと思われたけれど、蓋を開けてみたら夏頃にはお客さんが例年と変わらないくらい戻ってきていた、外国からのお客さんはほぼゼロになれど、客層は一変し国内、特に福岡県内のお客さんばかりになった。自粛疲れから解放されるような場所、県内の山奥であれば多くの人にとっては心理的に行っても良さそうな気がするらしい。実は山奥で小さい事業をしていることは不景気にも強いしコロナにも強かったということ、時代も相まってニーズは増えているらしい。本当に僕はいつもいつも時代と運に助けられている、何から何まで辛いことばかりではなかった。

そしてGo Toトラベルが始まると今度は日本中の友人達がごぞって利用してくれた。それまでの姿とは一変してしまった茶屋敷、変化を拒まない、そして今まで色んな繋がりを作っておいたことによって助けれたんだ。

そんな感じで事業の方は何とかなり、それと同時並行でチャイさんが日本で来れるようになるための手続きを進めていた、いったん緊急事態が解除され夏ごろになるとコロナはだいぶ落ち着きをみせ、少しずつ国の行き来が復活して行くけれど、案の定フィリピンと日本の間は厳しい、これがもし別の国同士の国際カップルだったり、新婚ではなければもっと早くコトが進んでいたけれど、僕らは日本とフィリピン間の国際カップルでありまだビザもない状態、こればっかりは運が悪かった。

しかし考え方を変えれば、これから一生続くだろう長い結婚生活、いきなりこれだけの試練があるってことはそれを二人で乗り越えれば強い絆が生まれるかもしれないし、いつの時代だって生きてれば一度くらいはこれくらいの有事は遭遇したものだろう、僕らは別に戦争などで引き裂かれたわけではない、そういった事から考えたなら全然大したことじゃない。二人でそうポジティブに考えて、毎日のようにオンライン上でチャットしていた。

そんな中で国際間の郵送などを活用し、配偶者ビザ申請の手続きまで終えて、後はそれが受理されれば日本に来れる状態までこぎつけた。首を長くしてそれを待ってる間に冬が来た、コロナは再び猛威をふるう中、僕は35歳の誕生日を迎えた。よくよく考えたら日本でのクリスマス(及び誕生日)は12年ぶりだった。

来年はきっと、新しい家族で一緒にこの日を迎えれることを夢見ていた。

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