50、婆ちゃんが死ぬ前に起こったちょっとした奇跡

ゲストハウスを運営しながらもオフシーズンには旅をする。旅をすることによってリフレッシュだけではなく学びもある、新しい繋がりもできる、そして何より帰って来たときにはいつも天空の茶屋敷の良さを再認識出来る良さがある。

開業して3ヶ月目、6月のオフシーズンの時に東南アジアを2週間ほど旅をしていて、帰りの日に空港に向かっていた時だった、弟から一本の電話があった。

『今、ばあちゃんが危篤だから早く帰ってきぃ』とのこと

ちょうどその時空港に向かっていたところだったから、そのまままっすぐ帰り、福岡空港にたどり着いた。

そして、真っ先に婆ちゃんの病院のある実家の大刀洗までバスで帰るためにATMにて日本円を引き出そうとしたら、なんと、銀行カードの磁気不良か、引き落とすことができなかった。そんな時は普通は警察に借りれたりするらしいけれどそんなこと説明して手続きしてる時間がもったいない。

仕方ない、空港からヒッチハイクで実家まで帰ることにした。国道3号線の信号まで歩き、ヒッチハイクをスタートすると。なんと信号が3回くらい色が変わるくらいで一台の車が止まってくれた。『大刀洗』というサインを見て、ちょうどそこへ向かってたおじさんだったから、助かった。

こんな緊急事態に最速でヒッチハイク一台で30km離れた実家の近くまで帰ることができるのを感謝し、運転手と会話が弾む。お互い自己紹介し、おじさんの仕事のこと、僕の海外放浪のことや今の事業のこと、そしてお婆ちゃんが危篤で今まっすぐ家に帰っていること。

すると、運転手のおじさんは言ってきた『坂本君、ひょっとして君のお婆ちゃんってトクエさんかい?』

え?なんで知ってるの?? 

なんと、その運転手のおじさんはお婆ちゃんが病院に入る前の老人ホーム時代に世話してくれた人らしく、僕のこともずっと話に聞いていたから知っていた。後取りのいなかった坂本家にずっと海外を転々としていた孫が養子として来てくれた事を喜んでいたんだって。

そんなことってあるんだ。そんな引き寄せにより、かろうじて意識がある時に婆ちゃんに会うことができて。いったん落ち着いた後に黒木町まで帰った。しかし長くはないかもしれないと思い葬式に出れる準備を済ませ、今度危篤の時にすぐに行ける準備を済ませた次の朝。母からの電話、『もう本当にヤバイかもしれないからすぐに病院に来なさい』と。

真っ直ぐに病棟に向かうと、先に到着していた兄弟達がいて、医療機器がピコピコとうるさく鳴り響いていて、すぐに状況を把握できた、きっともう最後なんだろう。

まっすぐに婆ちゃんのそばに行き、耳元で『お婆ちゃんありがとう』と伝えた。
そしてその数秒後に医師からご愁傷さまを告げられた。享年89歳。十分に長生きすることが出来た上に、最後の瞬間は子、孫、ひ孫までに見守られて、本当に幸せな人生だったと思う。

信仰心が強く、自分は質素に生きながら周りに与えることを自分の幸せとする、とても慈悲深い人だった、まるで婆ちゃんが長いこと培って来た徳が僕に帰って来たかのように、特に坂本の名前をもらって八女に移住してからは人との出会いに恵まれ、いつもいつも何かミエナイチカラが働いていたかと思えるような不思議なポジティブな出来事ばかり起きていた。

婆ちゃんから受け継いだ茶畑は当時よりも大きな規模になって順調に形になってきたし、坂本家の家紋は天空の茶屋敷のロゴマークとしてこれからも続いていくだろう。

ギリギリで婆ちゃんの死に目に立ち会えた奇跡、そして不思議な出来事、こんなことってあるんだ、ばあちゃんはとうに限界を超えていながらも僕が来るまで待っていてくれたんだろうか。

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