見出し画像

月待ち信仰 月夜にスコッチ

 好きな京都について書いてみたいと思う。好きは好きでも猛烈に「京都に恋している」。いつも思っている。京都のことを。
好きなものがある、いるということはとても心を豊かにさせてくれる。僕には京都という絶対的に好きなものがあるという核が自分を落ち着かせてくれている。一生片思いで終わることが決定している遠い存在の京都だけど。
きっかけは、明らかに『京都人の密かな愉しみ』というドラマを知ってから。このドラマの魅力を書き出したら、いくら時間があっても足りないが、今回は、季節柄、月夜に思いを馳せたいと思う。
第4話の『月夜の告白』。京都人はほんとに月が好きだ。月に因んだ話。切ない恋の話が京都人には合う。洛志社大学(同志社大学をイメージさせる架空の大学)の女性教授エミリー・コッツフィールドが自宅で「あー、御萩とスコッチウイスキー、めっちゃ合う」というセリフがとても刺さった。
僕はスコッチのシングルモルトが大好きだけどスコッチに御萩が合うという人がいるとは。。例え劇中の存在であったとしても。凄いと思う。僕にとっては、昔はビールに大福というのは定番だったが。
また、「二十六日目の月が好きなんていう京都人がいる。いくらなんでも細かすぎるだろ。」とか京都人をディスるコメントも楽しい。いやいや、その細い月に、待つ恋の切なさや儚さに胸を焦がす人たちが多くいたから、「二十六夜待ち」というものもあったのだろう。ロマンチックな話だ。創作意欲をかきたてるものがある。

江戸でも浮世絵で描かれている。歌川広重も見晴らしのいい高輪に足を運び、何度も「二十六夜待ち」をしたんだろうなぁ。
『高輪廿六夜之図/歌川広重』
『東都名所高輪廿六夜待遊興之図/歌川広重』
リンク先の山口県立萩美術館の説明もご参考に

「二十六夜待ち」も含めた「月待ち信仰」は、明治以降廃れたらしいが、京都人の心の中にはまだ明らかに残っていると思う。
「月待ち信仰」では月を形によって仏にみたてていた。
十三夜の月は虚空蔵菩薩
十五夜の満月は大日如来
二十三夜の月は勢至観音
二十六夜の月(深夜に出て有明に沈む)は煩悩や愛欲を肯定する愛染明王
二十六夜待ちの和歌の多くは恋の歌らしい。

二十三夜の月(自宅から見上げた空に)

秋の夜長
二十六夜まで待ちきれず。
御萩も無いけれど、スコッチが無性に飲みたくなった。

ローランド地方のスコッチ。オーヘントッシャン。
(自宅のラナイのテーブルで)

スコッチについては、第六話『送る夏』でヒースロー教授(故 団時朗)が御所南の『Bar Forest Down』(架空のBar)でローランド地方のスコッチのハイボールをイギリス帰りのママにオーダーするシーンも思い出される。アイラ島のスコッチが一番好きな僕は何故、ローランド?何故、ハイボール?と番組制作者を尊敬しているが、ちょっと突っ込みたくなったりもする。きっと僕が知らないことを教えてもらえそうな気もする。全てのシーンが愛しい『京都人の密かな愉しみ』なのだ。

二十六夜の月(明け方 5時すぎ)
二十六夜の月(明け方 5時半すぎ)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?