見出し画像

私はもっと怒っていい

他人の悪口で笑うより、自分の話で笑わせる。それが私のモットーだ。なので自分のすっとこどっこいなネタはたくさん保存している。もとより迂闊。さらに不器用。おまけに早とちりだからネタに困るということはない。すっとこネタだけでなく「変なもの見た」とか「信じてもらえないかもしれないけどすごかった話」とか「こんなひどい目にあった話」なども各種取り揃え、目の前にいる人をワハハと笑わせることが生きがいである。

1番に話を聞くのはもちろんオットである。一緒に住んでいるし、リモートのおかげで朝昼晩と一緒。起きるなり夢の話でひと笑い、風呂を沸かして笑い、朝ご飯で笑い、天気が良いと言っては笑い、悪いと言っても笑い、仕事の合間に笑い、昼も笑い、おやつで笑い、宅急便の受け取りで笑い、晩酌時は笑って笑って120分くらい笑っている。変なきのこでも食べたんかってくらい笑ってる。

ところがオットがまったく笑わないことが時々ある。体調不良とか仕事がヤバいとかではなく、さっきまで普通にゲラゲラ笑ってたのに、急に真顔になる時がある。時には顔をしかめたり、声をあらげたり、明らかに不機嫌いや激怒していることもある。これは大笑い必至だろうとこちらはカマしているのに、笑わないどころか怒るのである。

さあ私は面白くない。笑ってくれるだろうと思って話してるのに相手が笑わない状態は、なんともプライドが傷つく。「お前の話ごときでは笑えないわ」と小馬鹿にされているようで、脊髄反射でムカつく。これが赤の他人とならば、私もおだやかなものだ。「こんなことでイラつくのは老害だぞ」と自分を戒め、すぐさま話を切り替えることができる。だがオットには甘えているのだろう。笑ってくれると思ったのに笑ってもらえない悲しさ・悔しさ・恥ずかしさでこちらまで不機嫌になってしまう。

ところが実は、彼が笑わない話には一定の法則があった。それは「私がひどい目にあった話」や「過去の辛かった話」のジャンルに限っていた。

「なんで笑ってくれないの」

「辛い話じゃん。面白くない」

「私は笑い飛ばしてくれた方がスッキリするんだよ」

「それじゃダメなんだよ」

何がダメだよ。正論か。は、ムカつく。それから「オットにはこの手の話はしない」ようにしていたが、それでもうっかりしてしまうことはある。これくらいは辛い話に入らないだろうとしてしまうことはある。そして毎回彼は不機嫌になったり怒ったりする。私も笑い飛ばしてくれないからと不機嫌になる。そんな状態が続いていた。

するとあるとき、オットが言ったのだ。

「そこは怒るとこだよ。笑うことじゃない」

そうか。
間違えてたのは私だったのか。

目からウロコだった。そうだ。私は子供の頃からずっと「笑い飛ばす」ことしかしてこなかった。あたかも面白エピソードみたいに語れば、他人事みたいに笑えば、辛さは少しやわらぐ。笑い話にすれば「なんとも思ってない、平気」な自分になれる。傷ついてないふりをすれば、傷つかずに済む。そう思って生きてきた。

そうか。
怒ればよかったんだ。

父が殴る蹴るのDV野郎だったことも、母が弟ばかり大事にして長女はサンドバッグだったことも、小さい頃から何をやらせても不器用でダメな娘だと自尊心ゴリゴリに削られてきたことも、いじめられてる子を自分のグループに入れたら今度は私がいじめの対象になったけど元被害者も知らんぷりしてたことも、バイト先の先輩がアパートに押し入ろうとしたあの夜のことも、新入社員の歓迎会でいきなり胸をもんできた部長のことも、なぜか犯人が私になっていた盗難事件のことも、税込の請求書に勝手に数字を書き加えたのは御社なのになぜか弊社の責任になって担当の私が飛ばされたことも、同居したくないのは息子の方なのに嫁の私のせいになったことも、人生の1番辛かった時に親が助けてくれないだけでなくさらに落とし穴を掘って突き落としてきたことも。全部、全部、怒ってよかったんだ。

染み付いたクセはなかなか消えるものではない。でもこれからは、怒る時は怒れる人間でありたいと思う。

めちゃくちゃくだらないことに使いたいと思います。よろしくお願いします。