ハッピーバースデーディア俺
4月は母の誕生日がいくつもある。
いや別に深刻な話ではない。幼い頃に死んだと聞かされていた姉が実の母であるとか、今家にいる母親づらした女は父親の元秘書で実母を追い出した憎いカタキであるとか、不吉だという理由で引き裂かれた双子の兄と一緒に家を追い出されたのが生みの母親ですとか、そんな話はない。母はひとりである。
ただ物心ついた時からずっと、母の誕生日はふんわりとしていた。22日か23日か24日か、とにかくそのあたり。問いただすと毎回「おじいちゃんがどうのこうの」で「本当は〜だけど、〇〇が〇〇で」と言い訳ばかり聞かされる。「で、結局何日なの!?」とファイナルアンサーを求めても、また「おじいちゃんがどうのこうの」と最初からリピートされるだけ。なので最近では「早い分には問題ないだろ」と、もう20日あたりから「誕生日おめでとう」とLINEするようになった。
実際に生まれた日と、公式の誕生日が違う人は割といる。特に祝日や覚えやすい数字などの近辺に生まれた場合は、数日の時空を軽々と乗り越え、悪気もなく任意の日に寄せてくることが多々ある。例えば私には1/1生まれの知り合いが5人いるが、全員が「本当は違う日に生まれた」という。年末でバタバタしてて届けが遅れたとかではなく、ハッキリとした意志で元日生まれということにさせられたのだという。
覚えやすいからとか、めでたいからとか、さまざまな思惑で人の誕生日はすり替えられる。「どうせなら」という理由も聞いたことがある。お父さんが「どうせなら体育の日と同じってことにしない?それで育子ってつけるの」と、まだ生まれぬ赤ん坊の出産をズラすように提案したというのだ。お母さんは怒った。「予定日はその前の週だよ!? ガマンしようとしてできるもんじゃないの!生まれる時に生まれてくるの!バカなこと言わないで!」と憤慨した。
ところがその赤ん坊は予定日を過ぎても一向に生まれる気配がない。母体は健康だからもう少し様子を見ましょうと言いつつジリジリと日が過ぎた。そしてなんと10/10、体育の日に本当に生まれてしまったのだという。もちろん名前は育子だ。バイト先の先輩である育子さんはそれがイヤでイヤで、いつも父親を呪っていた。体育の日が10/10じゃなくなって、日本で1番喜んだのはきっと彼女に違いない。
ところでみなさんは、誕生日はどう過ごしているだろう。私にとって誕生日とは「好きなものを好きなだけ食べていい日」であり、暴飲暴食/鯨飲馬食の別名でもあった。子供のころの誕生日会、スパゲティミートソースを食べ過ぎてお腹を壊したあの日からずっと、誕生日とは食べすぎる日であった。
しかしオットはどうも違うらしい。義母や義妹の雰囲気からして、誕生日会などめちゃくちゃ張り切ってやりそうなのに、1度もやったことはない。誕生日にケーキなどは買ってもらったが、ご馳走を食べ過ぎた記憶もない。若い日々を振り返っても、誕生日にまつわるご馳走の記憶はほとんどないという。
そのせいか、一緒に暮らし始めた当時は「誕生日どうしたい?」と尋ねても「別に...普通でいいよ」などと言っていたものだ。遠慮しているのではない、誕生日に何かするという概念自体が彼の中になかったのだ。それがそのうちだんだん「...ハンバーグかな」と好物を言えるようになり、今では「ハンバーグ20個を土台にして、春巻き20本を立てて柱にして、壁はステーキ!屋根は肉まんを積み重ねて、大きなパルテノン神殿作って!」と調子に乗り過ぎたリクエストまでできるようになった。ええ、私がここまで育てたんですよ。
そんなわけで、先週末はオットの生誕祭を執り行った。今年のリクエストは「昭和の海老チリ」、しかも長野の義実家でよく使っていた店の味を、オットの説明だけで推理して作るというお遊びつきだ。
「まずその店は町中華よりはやや高級で、個室も円卓も水槽もあってな」
ふんふん、南房総でいうなら「芳喜(ほうき)」と似てるな。
「チャーハン、ラーメンもあるが、鯉の丸揚げや鶏カシューナッツ炒めなども出していた」
それはますます芳喜(ほうき)やな。
「今思えば広東よりの料理。地方にしては攻めていたと思う。宴会だとメニューにない料理も出してきて、そこで栗と肉を炒めたものとか初めて食べた」
それ芳喜(ほうき)とちゃうか。完全に芳喜(ほうき)やろ。
芳喜(ほうき)と同じ魂を持つとわかれば、あとは簡単だ。あの味を思い出せばいい。目指すものは「干焼明蝦」ではない、「海老チリ」だ。汁気たっぷり、とろとろり。ケチャップ由来の赤いあんが、むき海老をおおいつくすアレだ。昭和の人はみんな大好き。宴会中華には必ず海老チリが組み込まれていたものだ。
しかも偶然にも私は、2年前に芳喜で海老チリを食べたばかりだった。同窓会の宴会コースに、ちゃあんと海老チリが出てきたからだ。何十年ぶりかの芳喜は意外にも(まあ失礼ね)真っ当な美味しさで、こんなことなら次に帰省した時はふつうにランチを食べに来よう、と弟に提案したくらいだ。
昭和の海老チリは、麻婆豆腐や担々麺と同じく、陳健民が日本向けにアレンジしたものが広まったようだ。それなら作り方は陳さん家に準拠せねばならぬだろう。今回は、海老の下処理やとろみ具合は自分の手クセのままに。チリソースの配合を陳建一氏のレシピからパク...参考にさせていただいた。
【昭和の海老チリ】
<材料>
むき海老 200g/ねぎ1/2本/生姜、ニンニク/トマトケチャップ 大さじ2/豆板醤 大さじ1/鶏がらスープ 1/2カップ/卵白、片栗粉、塩、酒、油
1・むき海老は背ワタがあればとる、まず塩、片栗粉をともに小さじ1程度加えてもみ、まあまあ水がキレイになるまで洗う。
水気はキッチンペーパー等でしっかりふく。
まず塩と砂糖ひとつまみを海老によくもみ込む。ただしむき海老によってはけっこう塩味がついている場合もあるので、端っこを切ってレンチンして味を見ること。しょっぱいなと思ったら塩はいらない。
天然の車海老など使える人は砂糖はいらないが、冷凍のものだと甘みに乏しいことがよくあるので、それを補う意味での砂糖である。
卵白/小さじ2を混ぜる。卵白はドロリンとした部分と、さらっとした部分があるので、あらかじめ切るようにかき混ぜておくと、ちょっとデキる子みたいでカッコいい。海老の周りが白身でふわっと泡立つくらいまで混ぜる。
次に片栗粉/大さじ1.5を混ぜる。とろりとした状態。最後にサラダ油/小さじ1を入れてさっと混ぜる。さらっとした天ぷらの衣くらいの粘度のものが、うす〜くまとわりついているような状態になっているはず。
2・生姜、ニンニクはみじん切りか、すりおろすか、チューブで。小さじ1だと優しげな味、大さじ1だとバッチリ腰の据わった味になる。私は生姜が大さじ1くらい。ニンニクはひとかけ。
3・海老を油通しする。ぬるめの油でさっと色が変わる程度。揚げ物セットがメンドクサイ場合は、フライパンに多めの油を熱して焼けばいい。
4・フライパンに油を入れ、中弱火で生姜とニンニクを炒める。そこへ豆板醤を入れしっかり火を通す。ケチャップを入れさらに火を入れる。しっかり炒めて香りが出たら、鶏がらスープを加え、味を見て(必要なら塩コショウ砂糖など追加)海老を戻し入れる。
5・みじん切りにしたねぎを加え、火を強めて煮立ったら水溶き片栗粉でとろみをつける。ツヤ出しの油、さっぱりさせるための酢などは入れても入れなくてもいい。
6・チンゲンサイとか、レタスとか、菜っ葉とか、何か緑の野菜と一緒に盛り付けるとかっこいい。春雨が添えてあるのは...蛇足である。ない方がよかった。まあそんなことはよくあることだ。みなさんも家庭で作るときは、思い思いの蛇足を付け加えてみてほしい。
めちゃくちゃくだらないことに使いたいと思います。よろしくお願いします。