見出し画像

朝食バイキングという人類最高の発明

出張ばかりしていた会社員時代は平成の始めだったこともあり、今とはかなり違うことが多々あった。若い人には信じられないだろうし、同年代の人も忘れてしまったかもしれないが、平成の初めごろというのはまだ「女が仕事で出張すること」が珍しかったのである。タクシーに乗って領収書をお願いした途端「え!女なのに領収書もらうの」と驚かれたり「時代も変わったもんだねえ、女が出張して経費出るなんて」とニヤニヤされたりしたのは1度や2度ではない。

そんな時代なのでホテルも「お客様=男」としか見ていない。大都市のシティホテルならともかく、地方都市の安ビジネスホテルに泊まろうもんなら、部屋にドライヤーがついてないのは当たり前。お風呂にシャンプーがなかったり、シャンプー”しか”なかったり、シャンプーの自販機の選択肢が「男のフケ、かゆみに!」をデカデカとうたうメンソール効きすぎてスースーするおじさんシャンプーだけだったりするので、自宅からシャンプー&コンディショナーを小分けして持参するのはマスト中のマスト作業だった。商人宿とか木賃宿の話ではない。県庁所在地のまあまあ大きめのホテルでも同様だ。そしてドライヤーもシャンプーもついてないくせに、なぜか各部屋にズボンプレッサーは設置されてたりするのが当時の出張だったのである。

朝ごはん

だが安ビジホにもそれなりの楽しみがあった。それが朝食バイキングだ。

朝食バイキング、それは人類最高の発明だ。私はランチバイキングやディナーバイキングはむしろ嫌っているくせに、朝食はバイキングでないとホテルに泊まる意味がないとすら考える。量をたくさん食べたいわけではない。選択肢が多いのは嬉しいが、取り分けてみると結果的に少数精鋭のことも多い。だが最初から「トーストと卵」しか選べない朝食と、多くの中から選ばれた「トーストと卵」では圧倒的に後者のほうが嬉しい。

そして細かいカスタマイズが可能なところも、バイキングを愛する理由である。コップ半分だけのグレープフルーツジュースにスクランブルエッグと小さな鮭の切り身ひとつ、ご飯はふたくちだけよそって、漬物とレタスとパン一枚(こんがり)とジャム。こんな食事は家の中かバイキングでなければできないことだ。しかも最後にソーセージを1本、味噌汁を半分だけおかわり、なんて行儀の悪いことも欲望のままにできてしまう。だって朝食くらい好きなものを食べたいじゃないか。朝から我欲を押し殺したくはないじゃないか。朝にやりたい放題することで、逆に昼は冷静に仕事ができるような気もする。朝食バイキングにはそんな効能があると私は信じている。

憧れは北海道の「朝からイクラかけ放題」だ。いつか行きたい。だが青森の「八戸せんべい汁」や金沢「車麩フレンチトースト」、奈良「柿の葉寿司」などご当地のグルメがしれっと混じっている朝食バイキングも大好き。

先週泊まった小田原の朝食バイキングも、とてもよかった。

画像1

小田原といえばのアジフライ。開店早々だから揚げたて熱々だ。そして同じく小田原といえばのかまぼこは、さも当然のようにワサビ漬けが添えてあり「静岡が近いんだな」と思わせる。さも当然といえば煮物コーナーに小田原おでんがあるのもそうだし、そこに小田原名物梅干しを使った梅味噌を添えてあるのも良い。おかゆのトッピングにも梅しらす。すっかり小田原を満喫できた。

だが特にご当地グルメがなくたって使ってる醤油や味噌汁の味、卵の焼き方でちゃあんと地域性は感じるものだし、それに気づく瞬間もすごく好きだ。大阪はこんな安いビジネスホテルでもちゃんとだし巻き卵出すんだなあとか、静岡の醤油は独特の味わいがあるとか、焼き魚の選択肢に絶対鮭が入らないんだこの地域はとか、意外な発見が必ずある。そしてろくに具も入ってない味噌汁が妙に美味しくて、予定になかった味噌を買って帰ったりする。

高級ホテルでの「シェフが注文を受けてから目の前でオムレツを焼きます」みたいなバイキングはもちろん好きだが、最安ビジネスホテルの「イマイチなパンとインスタントなドリンクバー、粉っぽいウインナと固いゆで卵」にも幸せはある。だって逆にこんなウインナ、スーパーじゃ買えないもの。朝からやさぐれビジネスマンごっこできるもの。「単体じゃイマイチだけどパンにウインナとマーガリン乗せて焼くといけるぞ」と頭フル回転でしあわせをつかもうとできるもの。そう、つまり、どんなかたちであれ朝食バイキングは最高なのである。

名古屋にいた頃は休日ともなれば朝食バイキングのためだけに、道の駅やサービスエリアへと出かけたりしたものだ。たかが700円の朝食のために高速を使うのである。サービスエリアマップを熟読しながら「次はここの朝食を狙おう」と話し合ったりするのである。バイキングを食べたらミッション終了なので特に観光もしないまま帰ってきたりするのである。どんだけ朝食バイキングに取り憑かれているんだと思う。

画像3

そんなわけであらゆる朝食バイキングを愛し、どんなバイキングでも幸せになれる私であるが、一度だけ散々な目にあった。それは最初の夫と行った香港の高級ホテルでのことだ。

世界に名のしれた高級ホテルだけあって、朝から目もくらむような豪華なバイキングだった。シャンパンを飲んでいる人もいるし、パンもスイーツも数え切れないほどある。そしてご当地ならではの中華料理がまたすごい。点心のせいろが山と積まれ、点心師が目にも止まらぬ早技で棒を駆使し、小麦粉の皮を次々とご馳走に昇華させていく。その隣にはお好みの麺とスープで自分だけの汁麺を作れるコーナーもある。そして中華粥だ。もうお粥だけでどれほどの種類があったことか。これは海鮮か、そしてこっちは肉だんご?この鍋は内臓系かな。ピータンも香菜もパリパリ皮もお気に召すまま取り放題。中華粥に目のない私は心の中で快哉を叫ぶと、最初の一杯をごく軽く装いひとまず席に戻った。

テーブルでは最初の夫がコーヒーを飲んでいた。そして中華粥を手にした私を見てこんなことを言ったのだ。

「俺が二日酔いで具合悪いってのに、よく食えるな」

知るか。今ならそう言える。
先に部屋に戻って寝てれば。そうも言える。
だが私は「女は男に従うべし」の概念で育った昭和の女だった。さらに父との悪い関係性もあり、高圧的な年上の男にはからきし弱い性格だった。

「いいよ、じゃあ私も食べない」

精一杯ふてくされた顔をしてみせたが、気づいたかどうか。その朝はコーヒーすら飲まなかった。中華粥がどんどん冷めていくのを、ただぼんやり見つめていた。夫と別れる50のきっかけのひとつとしては十分だったと思う。

めちゃくちゃくだらないことに使いたいと思います。よろしくお願いします。