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居場所。

信じきっていなかった。
大切に思ってくれていることも、
心配してくれている態度も、
流れるように口から出てきたただの言葉や
自然に反射的に取った態度だと思っていた。
でも、そこに私への愛があることを
やっと気づくことができたんだ。



とても精神的に参ってしまった。
何かが起きたわけではなくて、
ただ、現状に満足出来なくて
私自身が自分を責めるようになった。
あれだけ他人には言えても
自分にそうすることは難しい。
多くの環境に属していて、
多くの人に囲まれていても
頼ることも相談することも躊躇してしまう。

私はいつもそうだ。
動けなくなって、涙が止まらなくなって、
自分を責める言葉だけ滝のように溢れ出る。
その前兆が必ずあるはずなのに、
いつも気づきやしないんだ。
ふと気づいたらすでに穴に落ちていて、
ずっと底がなくて、
落ちていきながら
落ちてしまった自分を責めてしまうんだ。

昨日もそうで、
穴に落ちていきながら泣くしかなかった。
どこかで「どうせ落ちるところまで落ちて自分で這い上がるんだ」と思っていた。
でも、少しだけ、いつもより寂しかった。
「だれか」に助けてほしかった。
だから、ふと「助けて」と言葉に出した。


もう限界だ、辛い、今の私にはできない、
なんで私はこうなんだ。こんな自分が嫌いだ。


そしたら、みんなが駆けつけてくれた。
穴の淵から手を精一杯伸ばしてくれた。
這い上がったら
背中をさすって一緒に歩いてくれた。

いつもその人たちが掛けてくれる言葉や態度を
私はきっと本気で受け取っていなかった。
「大丈夫?」
「無理しないでね」
「あなたのペースでいい」
よくある言葉だから。と。
その言葉に込められた思いも、愛も、
受け取りきれていなかった。


私は1人で生きているんじゃない。
私の居場所はたくさんある。
頼っていいし、甘えていい。
弱音を吐いたっていいし、
ネガティブになってもいい。
巻き込んでもいい。

だって私は、誰かがそうなってたら
全力でそうして欲しいから。

なんでそんな単純なことが
わからなかったんだろう。
他人はいい、私はダメなんて、
そんなことあるはずがないのにね。

でもきっと皆そうなんだ。自分のことになると
急に×をつけてしまうんだ。

そんなだれかが、
勇気を出して「助けて」と言ってくれた時に
全力で手を差し伸べて、
這い上がることを応援して、待って、
這い上がれた時に一緒に喜べる人でありたい。

私は穴から這い上がっている途中だけれど、
光が見えてきて、笑顔が出てきました。

そんな、いつも頑張ってる自分に、
手を差し伸べてくれて、
見守ってくれるみんなに、

いつもありがとう。

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