母方のおじいちゃんは昭和最後の年に亡くなったが、おばあちゃんはそれから30年生きて、平成最後の日にお葬式であった。 お通夜。 焼香の時間。思ったよりもスピーディーにはけていく焼香台への行列に並びながら、僕らの一挙手一投足が空間を満たす木魚のBPMにコントロールされているのを感じていた。不思議な高揚感と統制感。音、なかんずくリズムというのは人間の行動を強く支配することを思った。 焼香タイムの木魚ビート。たぶんBPM180くらいだったと思う。坊主のビートは思っていたよりちょ
不意にやってくるそいつを昔の人はいくつかの名前で呼び分けていましたが、そのうちのひとつは「くびれ鬼」という名前でした。みなさん、気をつけましょうという話。 * 特にさしたる理由もなく、突然にふわっと死のうとしてしまう瞬間というものが人間にはある。運良くそばにいる人が危ういところで止めて、なぜこんなことをしたのか?と理由を聞いても本人にさえ分からない。ただ「とにかく死のうと思った」と言うばかり。そういう瞬間。 僕にも経験がある。 16歳の春。特に珍しいことでもないけど、
ここ数日、12月なのに雪ではなく雨が降っている。往生際の悪い年末である。今日は仕事をしないぞと決めた夜に、会ったこともない曾祖父のことを思い出したので久しぶりにnoteに書いてみる * 仕事用のデスクの右手に一本のステッキがひっかけてある。「村いちばんのハイカラだった」という父方の曽祖父が愛用していたステッキだ。仕事の合間に何となく握ったりするために、仕事デスクのすぐそばに常備してある。 手を加えるべきかどうか少し迷ったが、僕が蔵の片隅から見つけ出した時はすっかりボロボ
久しぶりに前回の記事を見返してみる。ああ、思い出話か。そういえばあれもあったなと思い出す。 僕は家族から昔の話を聞くのが好きなのだけど、母から聞き書きしたものをツイートして、そのまままとめもせずに放置してあったものがある。母の故郷の話。“墓山のとらやん” と呼ばれた男性の話である。 * もう、何年前になるのかな。外国に住んでいる友人がドキュメンタリーを作るために帰国してきた。日本で怪異を経験した人たちにインタビューをしてドキュメンタリーを作るのだという。その証言シーンの
雨の日曜日。一日中寝ている間に、誰かが花の話をしていたので、僕もそういう話をしたやつです。 * 部屋に花を飾る習慣のない人生だったが、実家の祖父母は花をつくる農家だったので、桃の花の畑でピンク色の迷路を遊んだ記憶や、むせかえるような菊の温室に、夜、女の子とこっそり忍び込んだ思い出などがある。 実家に花を飾る習慣がなかったのは、花壇に花を絶やさなかった母が切り花を嫌う人だったからでもある。母はいま一人暮らしのベランダいっぱいに鉢をならべて、灌木や雑草のようなものを育て