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乳腺炎と断乳と母乳について

ただのお気持ち。

断乳するかもしれない。
ひどい乳腺炎で膿瘍ができ、ドレーンという管を乳房に留置して排膿を促す処置をした。この、ドレーンの位置が乳首に近く、排膿はできても肝心の母乳がどうやっても出せない。
ドレーンが刺さったパンパンの乳房と白斑だらけになった乳首を見て、これはもう断乳なのかもしれないと思ったらこれまでの約4ヶ月間の授乳を思い出して泣いた。あの安心しきった顔や柔らかく温かい小さな体がこちらに必死に縋り付く様子をもう見ることができなくなってしまうのかもしれない。なんともいえない寂しさに襲われた。
そもそも断乳に対してセンシティブというか、常々寂しさを覚えているタイプであり、授乳のたびにいつまでこの顔見られるかなぁと切なくなっていたのでまさかこんなに早くタイミングが来るとは予想外だった。なのでダメージもひとしおだ。
妊娠は青天の霹靂。子どもが嫌いで、妊娠中は赤ちゃんを可愛いと思えるかがとても心配だった。産んだ直後もそれは変わらず、ベビールームで眠る我が子を見て喜ぶ夫を横目に1人不安を募らせていた。
しかし、産後2日目の母乳教室で赤ちゃんに自分の乳首を差し出したときに全てが覆った。人生の天変地異だった。
はむ、と咥えてゆっくり吸う姿があまりにも尊く、愛おしく、その時初めて目の前の赤ちゃんは我が子になり、私は母親になった。だから私は母乳をあげる時間を大切にしようと心密かに誓ったのだ。
一歳になる頃には保育園に入れなければいけないのでそのタイミングで断乳かなぁとか、寂しいから職場で搾乳して夜はあげようかなぁ、いやだなぁさみしいなぁ、とか考えていた反り立つ壁のような"断乳"がこうも不意に訪れるとは思わなかった。
わたしは今壁の前でうずくまって泣いている。
いつか来るはずだったことが早く来ただけ、お酒も飲める、コーヒーも飲める、なんならタバコも吸える。いいこともある。そう言い聞かせるが、妊娠中から気を付けていた食事や摂取するものに気を使わなくて良くなる事自体が寂しい。
お腹にいたときは一心同体だったけれど生まれてからもそれは同じだった。臍の緒が乳首になって手段が変わっただけだと思っていた。自分の体の一部を与え続けることの神秘性を失うことがとても悲しくて、母子の関係性が1段階変わるような気がしてしまう。その関係性を変えることがどうしようもなく嫌で、寂しい。ミルクが嫌なわけじゃない。むしろ1日一回は今までもあげてきた。ただわたしが一方的に関係性の変化を恐れているだけなのだ。いっそのこと離乳食を作って自分の料理を食べてもらいたい。ミルクの作り方はないのか。この子へわたしだけができる特別なギブが無くなってしまう。悲しい。
実際、母乳が不調になってから夫が毎回ミルクをあげてくれているが息子は夫に対して以前よりも親しみを込めた表情をするようになった。側から見てもパパの方が好きな子だ。
わたしの存在価値とは、、と泣いて、これまでの授乳中の息子の顔を思い出しては泣いて、まだ現役の左乳を差し出しては泣いている。こんなことを長々と書いて馬鹿馬鹿しいかもしれないけどわたしにとっては一大事だ。
壁はもう目の前にある。僅かな希望にかけて明日はマッサージに行く。無事に治ってくれたら嬉しい。

2023.10.18


#断乳 #卒乳 #乳腺炎

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