「感情」という持ち物

久しぶりの投稿です

この数ヶ月、「感情」に振り回されてたけどすっかり、手放しできたみたいです


7月末にぎっくり腰になり(毎年恒例)動けず

続いて、8月は母の背骨骨折。。。原因は、母の頑張り屋さんのゆえ


8月のある日、「ちょっと家までは来れる?腰がおかしい」 という彼女

実家に帰ると、その2日前から足の付け根辺りに酷い痛みがある、立てないという

この時、私の「感情」が暴発、数十分も母に怒り続けた

起こってしまった事実は変えられない           どうしようもないのに、私は怒鳴った

そう、感情が止まらなくなった                    

常日頃、「重いもの持ってたら、背骨にひびが入るよ」といってたのに

なぜ?どうして?

そして、怒鳴っている自分の姿を見る

自分の感情に、支配される

起こってしまった事実は変わらない、どうしようもない。なのに、止まらない

ほんとうは、止められそうだった。途中からもう1人、冷静な自分がいた

誰かに対する「感情」

形ないもの、瞬間にくるもの

喜怒哀楽とは、自分の今と、異なる他者に起こるもの

つまり、他から与えられるもの

ジャッジしなければ、そこに置いておける

手に取るのか、取らないのかは自分次第

自分の中にある「感覚」と「感情」は別

この時は、母に対する怒り

怒りは、誰かに反発しているにすぎない

どうして、望むようにしてくれなかったの?

自分の望んだものと違うため、腹が立つ

それがよくわかりました

まだまだ子供だな私

母にはそれっきり、怒りは無くなりました

頑張りすぎた、事実から起こっただけ

それだけ

おかげで、少し優しい人に成長したかも

父ともたくさん話せ、猫とも仲良くなれた


母は、脊柱管狭窄症。背骨のずれから、内側の脊髄や神経を圧迫するために、腰や足に痛みや痺れが起こるもの。そのため、背骨に2本のボルトで固定しているが、足の痺れがある

今回は、背骨4ヶ所の骨折。料理好きな母は、いろんな材料でご飯を作る。そのため荷物が多くなる。目にあまりるので、少しでも楽になればと、自転車を買ってみた。これまた悪循環。家までは、自転車は重いものを家まで運べる。到着してから、また荷物を運ぶことになってしまってたということ。父に頼めばいいものを。よっぽどの時は、兄や私に頼むが負けん気である。いくら父が何十年と手伝ってくれなかったからといって、いつまで拗ねているんだろうか。夫婦間のことは、子供にはわからないが。すみません、愚痴ですね

にしても、自分の身体は自分しか考えてあげられない

身体は大切、一個しかないので

そんなのを身を持って教えてくれた母でした


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