見出し画像

世界は自由になったんじゃない、わがままになったんだよ

こんにちわ!KIYOtakaです。

皆さん、リモートワークや学校休校などもありますが不要不急の外出は避けてますか?まぁ、大半の方は避けてると思いますが

って言う事もあるのですが以前から思っていた世の中に対する疑問がありまして、「自由な世の中になった」は本当なのかです。


自由な世の中とは

個人的にこの自由と言うのはイコール「マルチ」だと感じています。

女性の社会進出やインターネットの普及など、これまで(昔)の日本の考え方が大きく変わった為だと思います。

例えば、女性は昔ほぼ専業主婦一択だったのが仕事をする事も出来る様になったり(厳密に言うと仕事しないといけないの方が大半)、仕事についても終身雇用がなくなって転職が当たり前になったり、結婚せず生涯を未婚で終えるという選択もあるし、結婚しても子供を作らない選択であったり、大学ではなく専門学校に進学したり。

と、人生の選択が増えた結果が自由な世の中なのかなと。

今では自身の考えをインターネットを使って公表する事も出来ます。丁度このnoteもそうです。

しかし、課題も山積みのようですね。

①バッシングやアンチが表面化

ニュースサイトにあるコメント欄、世論を見る事ができる便利なツールなのですが、感情が先行して論理に欠けるコメントは共感しづらいんですよね。

そもそも、文字と言うものは情報を伝える事は出来ても感情を伝える事に感じて言えば不得手です。感情というものはリアルタイムなものであり、書き手と読み手にタイムラグがある為にキチンと伝える事は出来ないのです。

バッシングやアンチコメントと言われる内容の大半が感情で構成されているように見えます。自分の気持ちを表現するツールといてインターネットを活用してるのであれば残念ながらお門違いです。

これまでは、井戸端会議などで相手の表情を見ながらバッシングトークやアンチトークをしていたからこそ、気持ちの共有などが出来ていたし、そもそも顔見知りの間でのやりとりなので大きく広がる事はありませんでしたが

現代は、SNSを使ったうえで流出したり、さらにコメント欄等の不特定多数が書き込める所には見ず知らずの人の共感(本当の意味での共感ではない)コメントが付いたりして容易に拡大していけます。

小さい頃に、悪口や陰口はダメと誰しも親から教わったと思いますが、果たして現代の大人はそれを守れてるのでしょうか。

悪口や陰口、バッシングやアンチコメントを言いたいと言うわがままのように思います。他の人も言ってるなんて言い訳は言い訳でしかありませんし。


②自分より他人を変えたい人々

僕も職場でたまに聞くのですが、「誰々は何何が出来ていない。なんと言ったら進歩するのやら」的な発言に「貴方だって何何で同じでしょう!」的な反論。

正直、どっちもどっちだと思うのですが、他人を変える事はできませんよ?出来るのはキッカケを与える事だけで、そのキッカケさえも関係性ありきです。嫌いな人にアドバイス貰っても聞く耳持たないでしょε-(´∀`; )

要するに変わりたいと思えるか、行動できるかは当の本人次第という事。悪口や陰口などのネガティブ要素では相手は変わりません。

自分を変える事は自由ですが、他人を変えようとするのはわがままです。


③自粛要請に対するわがまま

日本は法治国家として外出を禁止する事ができない、あくまでお願いベースになってしまう。これは総理大臣の緊急事態宣言があっても変わらない事と言うのをまずは理解しましょう。

なぜ外出自粛を要請されるのか、自分がうつらないだけではなく、他者に移さないようにする為です。

「自分は大丈夫」や「意識低い系」とか他人を思いやる気持ちがない自己中心的考えの方が最悪の結果をもたらすと理解してください。

あなた方は自由に考え自由に行動してるのかも知れませんが、側から見るとただのわがままです。年配者や妊婦、持病持ちの方など自分以外の人のことを考えずに軽率な判断をしてしまう。これは自由にしたいというわがままです。


自由とわがままの違い。

僕の考えとして簡潔に言うと、他者の事を考えられているのが自由で自分本意なのがわがままかなと思います。

「①バッシングやアンチの表面化」は情報をどれだけ分析できているかに尽きると思います。芸能ニュースなんて特にですが、結果は情報としてあります。ただ経過やキッカケなどの細かな情報はありません。要するに報道が中途半端なんです、ただプライバシーなどもありますから深掘りできない事情もあるのかも知れませんけど。結果、明確な答えのないままに思い込みなどでネガティブなコメントを書き込んでいるだけに過ぎません。本当に悪質。

「②自分より他人を変えたい人々」は、まあ答えを言ってますね。普段から人付き合いを良好なものにする。これです。支え合いの精神、思いやりの精神、日本人が昔から大切にして来た事を実行すればいいだけです。

「③自粛要請に対するわがまま」も答えを言ってますね。自分が軽率に動く事により、自分や身近な人、見ず知らずの人の命が絶たれる可能性がある事、その行動が誰かの命を代償にしてもしなくてはいけない事なのかという判断です。その代償になった命の一つが志村さんなのかもしれません。

全てに言える事は、他者を思う事です。決めつけず、論理的に、意識して、他者を思う事です。そのうえでの行動はもはやわがままではなく自由だと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?