すごく雑感:激マブVTuber

 2023年には好きな企業VTuberがエッセイ本を出して、たしかそれは夏頃のことなのに、私はまだその混乱から立ち直れていない。発売の告知があった瞬間から「ヘン、えらくなったもんだな」みたいな気持ちで茶化しながら、それでも自分が数年にわたって気の遠くなるくらいの時間とある程度の金を注いで眩しく思いながら観察していたエンターテイナーのエッセイが楽しみでないはずもなく、私はそれを発売日の一ヶ月以上前から予約して待ち望んでいた。

 初回限定版の、なんだっけ、Blu-rayだっけな。有料特典のついたやつをまず一冊だけ予約したのだった。発売日になっても自宅に届くのはまだ先で、早く読みたいから電子書籍を買った。支払いを済ませて、読もうと思ったが、せっかく紙で出版するのに初体験をこんなちいさなボロスマホで済ませていいのかわからなくなってきたから2ページだけ読んで寝た。翌日起きてもまだ配送予定のメールは来ていなくて、居ても立ってもいられなかったから近所のアニメイトに行って無料特典付きのを一冊買った。読もうとしてもどうしても勇気が出なくて2日くらい放置した。友人と遊んだ日に本屋に入って、そこにも平積みされていたからもう一冊買った。発売日から一週間くらい経っても読めていなくて、読んでいないのにネットで予約していたのも届いて三冊と電子一冊分を手に入れてしまった。

 結局ちゃんと腰を落ち着けて読んだのは発売日からひと月ふた月経過した頃だったと思う。読んでいる最中のことはもうあまり覚えていないが、とにかくなんだかすごくまともでかっこいいことを書いていた。当たり前なのだが、このエッセイの書き手はVTuberとして自分が成功している前提で物事を語っていた。直近に読んだのが一発屋のお笑い芸人の書いたエッセイだったのも悪かったかもしれない。一発屋のエッセイは軽快に自虐を連発する。住まいの貧相さとか、妻への申し訳なさとか、そういうリアルで苦しい現状にも幸せがあるんだというような力の描きだし方をしていた。私はその一発屋に大いに共感したし、そもそも今までの人生で心に残してきた大事な鑑賞作品たちはみなそういう形式をとっている。現実は辛く厳しい。幸せは地味な生活の繰り返しの中にほのかに香るものだ、というのが私の人生観で、そこから大きく外れると共感の対象にならない。

 だから、そのまともでかっこよくて成功者の語っているエッセイにはまったく共感できなかった。すべてにおいてまったくの本心だと信じているわけではないが、少なくとも自分には絶対に演出することのできないポジティブ光線が全編から漏れ出ていた。もっと正直に言えば、眩しすぎてほぼ見えなかった。結構あけすけな感じで書いていたと思うんだけど、その自己開示の態度も光り輝いていて、ほとんど蒸発現象が起こっていた。私は一冊なんとか読み仰せたけど、最後のほうは目が焼かれてあんまり覚えていない。
 眩しすぎるのも共感できないのも悪いということではなくって、少年漫画のクライマックスなんかは眩しくて共感なんて一つもしないが私は少年漫画が大好きだ。心根が純で世界を信じきっている主人公のことを輝くヒーローのように見て目を細めるのが好きだ。
 ただ、まさかこいつもヒーローだったとは……としみじみ衝撃を受けたのだ。どう考えても自分がリスナーとなって画面越しに何年も追いかけ回す配信者なんてヒーローに違いないのに、そのことに気づいていなかったらしい。もうこれから配信も薄目で見ないといけない。直視したら眩しくて苦しくなる。

 そう思いながらなんやかんやで年を越した。配信ではちょっとかっこいいことを言うたびに薄目になってしまうのに、もっともわかりやすくキラキラしているライブでは別にそこまで目は焼かれなかったのも発見だった。多分ステージに立っているときってキラキラが前提だからなんだろうな、ようわからんが。
 今日も起きてから配信のアーカイブを二本観た。眩しいし苦しい。有名なチベットスナギツネの画像みたいな顔になりながら観ているが好きだ。その気になればすべての言葉に感想を述べられると思うし、アーカイブを観ているときは常にうっすらとした幸せを感じる。ヒーローだとわかったからって全部飲み込んだ楽しみ方をしようと割り切れないのもVTuberという概念の特性なのかもしれない。彼にはいつまでも私の苦しみのシンボルとして真っ赤に燃えていてほしい。


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