見出し画像

コロナの時期に大学が競うこと

先日、Noteにある関西のある私学の理事会で起きたことを書いた。

ある特別顧問が理事会に呼ばれ、まず大学ですべきことを論じた。「どこよりも早く、目立つように一律給付をすべきだ」と。「あまり知名度のない小規模大学が、それをやれば広報効果が抜群だ」とも。

実際、その大学で一律Z万円というのは財政的に大きな決断だった。一族経営の学園にとっては、やり方はどうであれ、学生のためにそれだけの大きなお金を使うことは革命的なことだと理事はみんな感じたという。

『情熱大陸』や『プロフェッショナル』にでも出てきそうな再建請負人

実は、その特別顧問の人は、私がずいぶん懇意にさせてもらっている人物なのだ。この私学業界で私が尊敬する経営者が二人いるが、そのうちのひとりだ。元大規模グループ法人の大学で事務のトップを務めたが、定年前に乞われてある大学の再建に関わり、その後、いくつもの大学を再建してきた。

私が尊敬するのは、その能力もさることながら文部科学省を相手にしても、屁とも思わないで現行の法律に挑戦する勇気だ。そのひとのお陰で、大学設置基準が改正されてしまって、私の大学のある学科の設置認可が一年遅れた。その人にはそういう恨みも持っている。しかし、飲み会の席で、私がそのことを言うと、いつも笑い話というより私学業界の伝説の武勇伝ということで終わる。たしかにやることなすこと、スケールが違うのだ。

その人は、いくつもの大学で、その大学の学部・学科の特徴、法人経営の過去の歴史や経営者の人間関係など細かに分析して再建に当たっている。豪快な物言いとは裏腹に、とても繊細な神経の持ち主でもある。

コロナの時期、みんなが困難な時期、大学は何で競争すべきか?

昨日、久しぶりにその人と会った。1時間くらいの短い時間だったが、いろいろ話した。私は開口一番、あなたのやり方は間違っていると、一律給付問題を取り上げた。私のアスペルガー的性格の悪いところだ。

するとその人は、「あそこの大学ではそれが一番いい。君の所みたいな地位のある大学なら、あんなことはしない」と言った。そして、自分が最初にいた大規模法人なら、創立者の言葉から引いたような人道的なやり方、つまり困窮者こそ救うべきだと方針を出すと。「しかし、あの小さな法人なら、それで目立つ。この時期にああいう小さな大学が目立つにはそれが一番手っ取り早いんだ」と。

私はその言葉に深く感じ入った。そして、自分が偏狭な考え方であったことも自覚した。しかし、と思った。

善いことで競争しよう。学生にとってほんとうに善いことで。

「しかし、今、そういうことで競争すべきじゃないでしょ」と私は言った。「あなたがそれを理事会で提案した大学は、ゴルフ部が日本でも有名だ。お金持ちの子弟も多いんじゃないですか。Z万円なんて必要ない世帯が多い。一方、それだけじゃ全く足りない世帯もある。うちのようにひとりの退学者も生まないという政策こそ必要なのでは?」

その人は「もちろん、その通り。うちの大学でも今のところ、ひとりの退学者もいない。そのことには気を遣う。ああ、君のところのピア・サポーター制度。在学生が新入生の世話をするバイト。あれ、うちでもやることにした。あれで今は各大学が競っているね。やっていないのは悪い大学だと。それは、いいことだと思うよ」と言った。

そんなことになっているのか、と思った。「でも、そういう競争ならいいですね。善いこと合戦。学生にとって善いこと合戦をするなら、競争もアリですね」と私は答えた。

みんなで偽善者になろう!

俳優の杉良太郎が慈善団体や海外の困っている人に寄付をしたりすると、「偽善者だ」「売名行為」だという批判をよく受けたという。

そんなときに杉良太郎は、「そうです。私は偽善者です。それなら、みんなで偽善者になりましょう」と返したとか。

みんなが困難な時期。他私学との競争で一律○万円給付という馬鹿げたことをするのには反対だ。だけど、キャンパスに一度も来たことのない新入生のために、ひとりの友達もできていない学生のために、ピア・サポートで競うということならみんな賛成するだろう。

「学生のために」と私が言うと、それは経営者としての「価値観」と「大学の機能」をごっちゃにしていると批判されることがある。歯の浮いたスローガンは実行性がないと思われるんだろう。でも経営者の「価値観」と「大学の機能」は分かちがたく結びついている。

それなら今日から「学生のために善いことを」というのはヤメにする。では、「学生のためにほんとうに善いことを」と言うことにする。本物の偽善者になろう。

本物の偽善者とニセ物の偽善者の区別が、もはや何のことか自分でもわかっていないが。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?