【短編小説】ヴァーチャル・リアリティの事故物件
部屋探しで、晴美がベンチャーの不動産会社を訪問したときのことだ。
「VRのゴーグルでマンション物件を見学してみませんか」
沢渡という名札をつけた営業担当の女性がそう言った。晴美が女性なので女性の担当者を付けたのかもしれない。
以前、晴美は仕事で教育系のIT企業を訪問したとき、VRゴーグルをつけたことがある。そのとき、外食チェーンで使っている研修用教材を体験した。
ゴーグルを付けいた晴美には、外食チェーンの店内がリアルに見えた。でも、一緒に行って横で見ていた同僚に「バカな人が踊っているみたい」と笑われた。
「いいえ、今日は時間がありませんので結構です」
晴美はそう言った。
「でも、わざわざ、現地に行くより時間短縮になると思いますよ」
「前にVRのゴーグルを付けたことがあるんです。あれ、周りからはちょっとバカげて見えますよね」
「うふふっ、確かに」
と言いながら、沢渡は横にいる社員にVRゴーグルの準備をさせている。
「VRというのは、バーチャル・リアリティの略で仮想現実と言ったりしますが、お客様がご覧になられたのはかなり作られた現実なのではなかったでしょうか」
「ええ、外食チェーンの厨房とかフロアが作られていました」
「最近、VRはとても進歩していまして、室内で撮影した動画情報から部屋の中のどこからでも360度リアルに部屋をみることができます」
「でもねえ」
「こちらの物件ならどれでもすでに情報が揃っています」
若い営業担当がパソコンで晴美にマンション物件を画面で見せた。
新築マンションが多かったが、中古物件もときどきあった。
画面の下の方に、一つだけかなり安い物件があった。
「ちょっと、これ」
気になる物件だった。
友人の洋子が消えたマンションにも見える。
「このマンション、どこにあるのですか」
「三鷹の駅のすぐ近くです」
リンクの画面を見ると洋子のマンションだった。
洋子は隣の部屋に入ってから行方不明になっている。
洋子が消えた部屋は事故物件として、その筋では有名だ。
「これは何号室ですか」
晴美は営業担当に聞いた。
担当者はパソコンで調べていた。
「609号室です」
洋子が消えた部屋だ。
「この場所でどうしてこんなに安いのですか」
「申し上げにくいんですが、この部屋で過去にお亡くなりになった方がいらっしゃいます」
晴美は事故物件には詳しい。自分でもユーチューブに怪奇現象をときどきアップしていた。すべて誰かに聞いた場所を撮ったものだ。洋子の部屋の隣も事故物件だった。
洋子がそこで消えたときの音声を晴美はスマホで録音している。
でも、そのことだけはどうしてもアップできなかった。警察が捜査中でもある。
事故物件だった部屋に誰かが入居した。そこで騒いでいた人に苦情を言うために洋子は出かけたのだ。
晴美は洋子から、どうしようかという電話をもらった。自分とスマホを繋いでいるので、危険があれば警察に連絡すると言った。それは本心だった。ただ、事故物件の情報にも興味があった。部屋の中を撮影できればアップしたいとも思った。
電話を繋いでいて、洋子がその部屋に連れ込まれたのがわかった。晴美はすぐに警察に連絡した。
警察は十分で現地に到着した。
だが、警察が到着したとき、マンションには誰もいなかった。
「ただの空き家です」と警察は言った。
最初から誰もいなかったのだ。
晴美は警察に洋子が消えたときの音声を聞かせた。洋子が部屋に入るときの音、誰かと話す声が聞こえた。
「洋子を探してください」
そう必死で頼んだ。
警察はその音声から洋子が別の部屋に連れ込まれたのだと想像し、マンションの全部屋を訪問調査した。
しかし、どこからも洋子はおろか、洋子が持っていたスマートフォンとトートバッグも見つからなかった。
洋子は二ヶ月経った今も失踪人として捜索の対象になっている。
「ここをVRで見ることはできますか」
晴美はそう尋ねた。
「ええ、もちろんです」
担当者はゴーグルを晴美に付けた。
玄関を入った。
家具が何もない部屋は広く感じる。
晴美の部屋には何度も行っているので、間取りはよくわかる。
キッチンやトイレを見た。リフォームをしていたので、晴美の部屋より新しく感じる。奥の部屋に行った。ドアを開ける。
「あっ」
部屋のなかには、多くの位牌があった。数百個はある
「これっ、これ、見て! い、位牌が」
驚いた表情の晴美に、むしろ驚いたのは営業の沢渡と周りの社員だ。
沢渡がVRゴーグルをつけた。
沢渡は、あちこち歩き、キョロキョロしている。
一通り歩いて、ゴーグルを外した。
「お客様、位牌も何もありませんが」
「ええっ、そんなことないでしょう」
晴美はもう一度ゴーグルを、今度は自分で付けた。
そこには洋子の背中があった。
「洋子、洋子」
晴美は叫んだ。
洋子は背を向けたまま、とぼとぼとリビングを通って、まっすぐベランダの方に歩いて行く。
洋子がサッシ戸の前で止まった。ロックを外した。
「洋子、そっちに出ちゃダメ。そこはベランダ」
洋子はサッシ戸を開けた。
とぼとぼ歩いてベランダに出た。
「洋子、洋子、そっちはダメ。行っちゃダメ」
晴美は必死で叫んだ。
営業担当者の沢渡は興奮した晴美の肩に手を掛けて、
「お客様、お客様、どうされたんですか」
と声を掛けた。
晴美はその手を振りほどき、洋子の後を追った。
「洋子、洋子、ダメっ、ダメっ」
と叫んだ。
洋子はベランダの柵に足を掛けた。
「よう~こっ~」
晴美は声の限り叫んだ。
洋子はそのままベランダの柵を越えた。
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