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「自分にとっての正解」を見つける・気づく情報の受け止め方

 大手ソフトウェア会社に勤めるプログラマーの青年、トーマス・アンダーソン。彼は「自分がいるこの世界はほんとうに、現実なのだろうか?」という漠然とした疑念に囚われ、ネオという名前を使い「真実」を探るために夜な夜なハッキングを行っている。

 そんなある日、トーマス・アンダーソンのパソコンには次のようなメッセージが送られる。

「起きろ、ネオ」
「マトリックスが見ている」
「白ウサギについて行け」

 そしてトーマス・アンダーソンはトリニティと呼ばれる謎の女性の導きによって世界の真実を告げる謎の男、モーフィアスと出会う。

 モーフィアスはトーマス・アンダーソンに選択を迫る。赤のカプセルを飲んで真実を知るか。それとも青のカプセルを飲み今の幻想の世界に居続けるか。以上がキアヌ・リーブス主演の名作映画『マトリックス』の冒頭の物語である。

 この映画は公開当時はその斬新なアクションや映像によって世界に衝撃を与えたが、トーマス・アンダーソンが漠然と感じていた問い、すなわち「自分が生きている世界への懐疑」は、現代を生きる私たちにとっても重要な問いなのではないかと、感じている。

 このnoteでは通常のテーマとはやや異なる話題について書いている。それは「情報の受け止め方」である。このテーマについては昨今、特に私たち日本人にとって重要な事柄であると考えている。というのは、情報とは私たちの考え方や行動に影響を及ぼす重要な要素だからだ。

 適切な情報を得ることによって私たちはそれをもとに適切に考え、適切な道へ進むことができる。一方、適切でない情報を得ることによって私たちは適切に考えることができず、道を間違ってしまう可能性が極めて高い。

 「前提条件」が間違っていれば、その後の行動が間違ってしまうのは必然である。そこでこのnoteにおいて語るテーマに関する結論は次のとおりである。

 1.(誰によってそれが語られようが)流されてくる情報をそのまま受け止めないこと。
 2.自分自身で調べて考えてみること。

 この2点である。

はじめに

 私たちは自分のことを自分で考え、自らの人生における様々な選択を、自分自身の意思で選んでいると考える。だが本当にそうだろうか?

 もしかしたら、私たちにはすべての選択肢ではなくて、ある一定の枠組みのなかで、一定の文脈に沿った選択肢だけが提示され、本来あるべきはずの選択肢がなぜか提示されていないような、そんな状況があるのではないかと感じている。

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