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教えれない学びの場所

年も明け、2022年も20日が過ぎました。
なんということでしょう。
まだ「あ」という一言も発していないうちに12分の1が過ぎようとしています。
でも、大丈夫、人間は毎日3万回近くの呼吸をしているらしいので、何もしていないうちに過ぎてしまったと感じていても、無意識ながらものすごいことをしているのだから。
と、自分を慰めて遠い目をしています。

基mottは相変わらずの日々を過ごしていて、コミュニティに参加してくれているみんなとほのぼのとやっています。
近頃は、月に二回ほどみんなが出してくれたテーマを話すグループワークをしていて、自分が考えたこともなかったことや、思いもよらなかったとがテーマになったりして、毎回とても新鮮です。

つい先日も、読んだ本をシェアする会がありました。
テーマは「時間」について。
タイムマネジメント、時間術などなど、時間についての本のシェア、時間の使い方についてのシェアなどをして納得したり、驚いたり。
人が着目するポイントは自分とは違うけれど、だからこそ自分の中にないものを新たに知ることができるというのはとてもありがたい。「本を読む」ということ一つ取っても、同じテーマに対して選んできた本も違えば、思いつくことも違う。こんなにも違うものかと驚くことばかり。

そんな本のシェア会も初めのうちはこちらが本を選んで、その一冊をみんなで分けて読むというスタイルでした。
最近は少しずつ形が変わって、今回に関してはそれぞれのおすすめを持ち寄るスタイルに。
本の会以外もできるだけみんなから出てきたものを中心にするスタイルになってきていて、当初はその方がみんなが知りたいことが知れて良いのではという考えだったのだけど、やっているうちにまた別のいいところに気がついたのです。

最近ではオンラインが当たり前になったことで、セミナーや講座、ワークショップなど学びたいことがいつでも手に入るようになり、インプットする機会がとても増えましたよね。
同じようにアウトプットも簡単になった。
でも、そういうことが多くなったからこそ、みんながスキルやノウハウを手に入れること、習う、学ぶ、教えてもらうことが中心になっているんじゃないかなぁと。
なんだかいつもそこには「間違わない」「失敗しない」ためという「答え探し」みたいなものがあるような気がします。
答えを与えてもらうことを求めているという感じかな。

それはそれでとても良いことで、方法を知るってとても大事だと思うんです。成功している人の方法を真似するというのが一番の早道。
方法を知り、それを実践するということが何よりも自分の求めている形に近づくためには重要。
ただ、それだけになってしまったら、本来の自分はどこかへ行ってしまってまた迷子になってしまうこともあるのでは?と。

そう考えた時に、与えられる、教えられるものではなく、自分から出てきたものを磨いたり育んだりする場というのもいいんじゃないかなと気がついたのです。
特に自分が考えていたわけでもない、突拍子もないテーマについて考えてみる。そこから知る自分。そこから発見されること。
考えたこともなかったけど、ポンと投げられることで自分なりに考え始める。
答えもない、正解もない、自分がいいと思ったものを、自分が気なるなと思ったものを掘り出して、磨いてあげる。
ただそれだけ。
シンプルに自分の中にあるものを出す機会。
与えられるのではなくて、湧き出てくるような学び。
もっと自分が思うままに、自分の考えも楽しめばいいじゃないか。
そんな場があってもいいじゃないか。
掘ってみたら全然違う自分が出てくるかも知れないよ。

近頃のワークでしみじみそう思った次第です。
そんな2022年の最初の呟き。

noteサークルから参加できます。



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