「アニッシュカプーア展を巡る議論について! SNSにおける批評の在り方とは?」公開対談感想-リテラシーの低いインフルエンサーの無邪気な悪意は批評なのか?

  1. はじめに

  昨年11月から今年の1月まで六本木のGYRE GALLERYで開催された「アニッシュ・カプーア 奪われた自由への眼差し 監視社会の未来」について、開幕当初に展示、企画についてX上で美術解説するぞー ビジュラジオ氏(以下するぞー氏)が言及し、そこに展覧会協力者の1人である高橋洋介氏(以下高橋氏)が言及、X上での議論に発展した。そのやり取りの一部を下記に抜粋する。

 前提知識として、するぞー氏は主にSNSなどで、初心者向けの美術発信をしており、Xのフォロワーだけで約2万7000人と、美術関係のアカウントでは一定の発信力を持っていると言っていいだろう。

 内容を要約すると、するぞー氏は展示を見て「作家のインスタレーションが期待より小規模なものであり、それに対しての解説文が過大である」と作品と企画者の考えが不均衡であると考え、その展示構成を「A型のカオス」(※A型が几帳面という血液型占いによる社会的イメージに基づく発言と推測される)や飲食店の見本写真詐欺(見本に対してショボい商品が出てくる)に例えている。
 それに対して高橋氏は「作家側と企画側で連携・相互承認をした上での展示である」とするぞー氏の発言が事実誤認に基づくものであると反論し、するぞー氏のポストについては「インフルエンサーの無邪気な悪意は批評ではない」とかなり厳しい言葉で批判している。
 これをきっかけに、するぞーさんと高橋氏の対談の場が設けられることになり、1月末にGYRE GALLERYで行われた。対談は公開収録され、2月11日からYoutube上で公開されている。本記事は、この動画を見た上での感想のため、動画をご覧いただいてから読むことを推奨する。以下の両者の発言は全てこの動画からの引用である。


2.動画について

 動画は互いの自己紹介からはじまり、カプーアの作風や世界観についての基本的な説明、今回の展示作品についての解説、カプーアの美術史上の位置などが、主に高橋氏によって語られる。するぞーさんは時折発言するものの、発言の主体は高橋氏であり、実質的なインタビュー形式である。
 カプーアの作風を、フランク・ステラや草間彌生などの作品との比較で見せていく箇所などは、非常に興味深く、これが無料のYoutubeで聞けるというのは非常にありがたく感じた。

 そうした前提条件を踏まえた上で、議論の本題に入る。まず冒頭のするぞー氏のポストに対して高橋氏が反応した理由については、

高橋:「良くない広まり方をするな」って思って、ここで介入しないと。展覧会のイメージを損なうだろうなっていうような考え方をしたんですね。

 とし、するぞー氏のポストが展覧会のイメージを損なうことを危惧してのことであったことがわかる。それに対してするぞー氏は、

するぞー:限られた文字数と限られた動画の中で、しかもより多くの人に届けるためには斜に(構えて)捉えたりとか、簡潔にまとめたりとか、無理があってもですね(やらなきゃいけない)。(中略)今のこの対談のように、あのSNSの場でやったところで、果たしてどのくらいの人が見てくれるんだという、モヤモヤ感というか、もどかしさというか難しさは感じますね。

 と、発信者側の難しさを語る。高橋氏はそれに対して一定の理解を示しながらも、発信の方法(多くの人が関わっている展示に対して「A型」「ネギ芽」と言ったネタにするような語句を使うのはどうか)や事実誤認(キュレーターが作家の意図を無視しているのではなく、双方相談のもと決定している)を指摘し、するぞーさんの発言が見に来ていない人たちに負のバイアスを与えてしまう可能性を指摘している。高橋氏は続けて、
 
 高橋:(SNSの批評については)面白く書いてもいいし、ダメならダメでいいんです。ただ間違った形で「キュレーターが全然作家の意図を無視してやっている」みたいな形で伝えていくのは良くないと思うんですよ。きちんと確認しないで、しかも。

 と、するぞー氏の発信方法の問題点を指摘した上で、今後「こっぴどくDisっとけば展覧会の宣伝にもなるし、フォロワーが増えていいじゃん」とするぞー氏の方法を模倣するようなインフルエンサーが出てきた場合、アート業界にとっては大きなマイナスであるとの見解を述べる。
 
 これらの点について、するぞー氏は事実誤認やキュレーターに対して攻撃を行ってしまったことについては動画内で謝罪している。一方で、自身の発信方法については、「あえてそういう(Disる、炎上する)ことを裏で画策するというのは実はアリなんじゃないか」との見解を示し、「議論をする・議論を起こすってことはものすごく大切なこと」と、発信の重要性を主張する。

 そうした形で、お互いの主張と認識の擦り合わせを図って対談はカプーア論や質疑応答に移り、対談はまとめへと向かう。


3.感想

 この対談は高橋氏が展示関係者を守るために行ったのだと強く感じた。ネガティブな発信や批判というのは、正当なものであっても精神的ダメージを負うものであり、それが事実誤認に基づくものである場合、そのダメージは非常に大きなものだろう。もちろん、するぞー氏もXでの議論の中である種の攻撃を受けた被害者ではあるが、当初のポストについては、加害者であり、その点について、真摯な謝罪が行われたのは非常に意義深いことであったと思う。あえて矢面に立った高橋氏の姿勢は賞賛すべきものだと思う。
 一方で、するぞーさんの「あえてそういう(Disる)ことを裏で画策するというのは実はアリなんじゃないか」というバズればいいじゃんという姿勢は極めて危険なものだと思う。私は、本件以降するぞーさんの発信内容を追っているが、今回の件で事実誤認を行ったのではなく、普段の美術関係のポストについても事実誤認や、切り取り方によって読んだ人に間違った読み方をされてしまうなという内容が多いと思う。特に事実誤認については、多少の美術史の知識があれば回避できるものも多く、アウトプット量に見合ったインプットをしているのかについては疑問だ(この件については、また別稿に委ねたい)。
 美術初学者や単なる美術好きであれば、自由に感想を書いていいと思う。しかし、するぞーさんは自己紹介文を見るに、美術を多くの人に啓蒙したい、普及させたいという発信側の立場であると思う。またXのフォロワー数から考えても、発信力のある人間であると思う。そうしたポジションの人間は「発信に対する責任」が生じる立場であると思う。素人ではない。
 もちろん、アートを知らない人にアートの魅力を伝えたいという理念は崇高なものだ。しかし、入口で誤解が生じた場合、その誤解の訂正は誰が行うのだろう?それは今回の高橋氏のようにキュレーターであり、作家であり、美術史家ではないか。
 また、Disることや炎上を画策するのはアリなんじゃないか、というするぞーさんの意見は首肯し難い。今まさに美術業界の隣接業界である出版、メディア業界ではとある作品について自死を伴う痛ましい事件が起きている。今回は高橋氏が初期の段階で介入したことで、ある種の方向修正が行われたが、こうしたことが美術業界で起こらないとも限らない。するぞーさんの見解はそうした意味でもかなり危ういのではないか、と思う。

 
 するぞー氏が「リテラシーの低いインフルエンサー」となるのか、はたまたそこから殻を破っていけるのか、今後に期待したい。



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