あんおふぃ舞台設定

1999年「D」と呼ばれた一台の車が、当時の横浜エリアで活動していた走り屋グループで最速と謳われていた。しかしこの「D」は、ある日大クラッシュを起こし、車は全損。ドライバーは退院後は一切の消息を絶ち、いつの間にかゴシップ雑誌でたまに取り上げられる都市伝説となっていたことが、物語の始まりであった。

2017年、物語は俄に動き出す。「D」の時代に走っていたドライバー達は現場を引き、育成や経営等に携わるようになる。世代が切り替わり、伝説を追い求める者達が現れ始めた。そして時代の流れか、減り続けるドライバー人口に待ったをかけるべく、モータースポーツ業界と自動車メーカー各社と国土交通省が手を組んだ一大プロジェクト「首都高速アウトバーン計画」が2010年からスタートする。現在の建築基準の元に新たな首都高速道路を建設した上で、旧首都高速道路に関しては時間を限定し利用料金も特別割増徴収した上で、利用者の速度制限を無くすという取り組みが始まった。2017年現在、首都高速サーキットと呼ばれるエリアがC1、C2深川線、湾岸線、レインボーブリッジ、横羽線、横浜環状線まで広がっている。別路線からこれら各路線への乗り入れを減らすべく新道路の整備も進み、速度制限が解除された時間帯の利用料金も全国で最も高額なものに整理された。

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