【まだらのいきもの】2020-05-05_2020-05-09

コロナショック以前から関係する不倫の恋人のことを考えて書いている、日記のようなものです。


5月5日(火・祝)こどもの日

氏は私なんかよりもずっと正しく社会に接続しているので、どうかより良く生き延びてね、と祈っている(余談だけれど、さいきんSNSにおける恋人の呼称に「氏」を追加したのは、それが彼のインターネットの偽名にしっくり馴染むからで、実際の私が彼をこう呼んだことは、一度としてない)。

ここで言う「正しさ」とは、現代の社会秩序において広く「望ましい」と思われるモデルケースにいかに近いか、とかそういう話で、ひとたび私がこういう話を始めると、女については語りつくされたようにみえる被・消費──つまり、「男性性の消費」について話が及んでしまうので、今日はやめておく。

いや、やめない、ちょっとだけ。男って、男性性って、ただ「男であるだけで」容易に毀損されるものだって私は思っていて、それに比べて私ときたら、「女であるだけで」猶予されるあれこれが圧倒的に多かった。ような気がしている。これには私自身が無能ということも大いに影響しているけれど、ガラスの天井とやらを感じることは、ほとんどない人生だった。もちろん「女であるだけで」毀損された記憶もないではないけれど、そういったことについて考えてもあんまり楽しくないし、あんまり関心がない。フェミニズムの偉い人には飛び蹴りを入れられそうな、男根の熱狂的フォロワーなので……。

閑話休題、彼はわりかしきちんとした生活を営んでいるので、社会は彼を「正しい因子」として判断する気がしている。私はといえば、ギリギリのところでエラーとして感知されないようにここまで来たので、例えば彼が社会だか政治だかなにがしかに憤慨しているのを見ると、「主張の是非はさておき(私は頭がよくないので彼の言っていることが理解できないことがままある)、このひとには十分その権利があるなあ」と思う。そして嫉妬したりする、彼が正しくあることに。エラーの閾値の、ごく近くから。


怠惰で勝手気ままに走る恋愛という嗜好品が、いかに贅沢なものであったかを知る。

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