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仁澪127号

巻頭言 公益社団法人を目指して

 6月18日の仁澪会定時社員総会で、令和5年度からの同窓会費の値上げを承認していただきました。現在は一般社団法人として仁澪会を運営していますが、長年の夢であった公益法人化に一歩近づけたものと感謝しております。
一般社団法人仁澪会は、平成30年に設立されました。当時から公益法人化に向けて、苦学生に対する奨学金制度や若手研究者に対する研究支援等の公益事業を行っていましたが、年間数百万の赤字予算が続き、預貯金も年々減少したため、2年前からこれらの公益性の事業を中止せざるをえなくなりました。会報仁澪への広告費増収や、諸経費の節約で預貯金の減少は食い止めておりますが、公益法人を目指すためには現在の会費では運営が成り立たないと判断して、やむをえず次年度からの年会費の値上げを提案させていただき承認していただきました。ありがとうございました。
 ここで、公益社団法人について少し解説させていただきます。一般も公益も社団法人は、「同じ目的を持つ人の集まりが法人格を取得したときに名乗る組織名」で非営利団体になります。そのため株式会社のように得られた利益を組織構成員に配分することはできません。利益は組織の活動や事業の継続のために使用することが必要です。そして平成20年に施行された公益法人制度で、一般社団法人になるには法務局への登記のみで設立できるように簡素化されました。現在の一般社団法人仁澪会もそのような経緯で設立されています。そのように一般社団法人には簡単になれるのですが、次のステップの公益社団法人になるには高いハードルを越えなければなりません。公益事業とは「学術、技芸、慈善その他の公益に関する事業であって、不特定かつ多数の者の利益の増進に寄与するもの」とされています。公益社団法人は、法律で定められた23の公益目的事業のうちいずれかを行うことが必須です。医学部同窓会も例えば、次のような事業を行うことで公益社団法人になれます。① 学術及び科学技術の振興を目的とする事業、② 文化及び芸術の振興を目的とする事業、③ 高齢者の福祉の増進を目的とする事業などです。これらの事業を実施して、行政庁(内閣府又は都道府県)に公益認定申請を行い、厳しい審査を通らなければ公益社団法人は設立できません。そのため、公益社団法人は法人としての社会的信用力が高く、税制面でも優遇を受けやすくなっています。公益社団法人になる最大のメリットは、「公益社団法人に寄付する法人・個人が税制上の優遇措置を受けられるため、団体に寄付金が集まりやすい」ことです。会員の先生方が仁澪会に寄付していただくと寄附金控除という優遇措置を受けられます。具体的には以下に記載するふたつのうち低い方の金額から2,000円引いた値が寄付金控除額になります。① その年に支出した特定寄附金の額の合計、② その年の総所得金額等の40%相当額です。このように公益法人に寄付した人にとっては、「貢献したい分野に寄付できるだけでなく、寄付した分だけ税金が減らせる!」というメリットがあります。そして公益法人側としても「事業活動資金になる寄付金がどんどん集まる!」という大きな恩恵が受けられるのです。それ以外にも国や都道府県の認定審査が必要な公益社団法人は、一般社団法人より社会的信頼が厚くなることもメリットと言えます。さらに法人名に「公益社団法人」を入れられるので、世間や他の法人は「ここは公益社団法人なんだな」とすぐに認知できます。しかし、公益社団法人になるデメリットもあります。「公益目的の事業割合が50/100以上」「公益事業の収入が適正費用であるか」等の条件があるため、公益社団法人の事業活動はかなり限られます。当然法律で定められた23の公益事業内容の範囲内で活動しなければなりません。事業内容に制限がない一般社団法人と比べ、活動内容の選択幅は狭いと言えるでしょう。さらに公益社団法人を設立した後も定期的に行政庁への報告義務や委員会等の立入検査があります。つまり常に行政庁の厳しい監督措置の対象になるのです。厳しい審査基準を乗り越えて公益社団法人になってもその後の対応を怠れば、認定取り消し処分が下されます。認定継続のための遵守事項は、公益目的支出計画の実施、公益目的事業比率50/100維持、遊休財産額が一定額以上にならないよう維持、など複雑な会計処理が必要になります。
 医学部同窓会で公益社団法人となっているのは大阪大学医学部同窓会のみで、仁澪会が公益社団法人を獲得すると2番目です。令和5年度から公益事業を再開し、令和6年度の社員総会で承認していただき公益認定申請する予定です。令和6年度中の公益社団法人仁澪会の設立に向かって役員一同さらに励みますので、同窓の先生方にもぜひご協力をお願いしたいと思っております。

公益法人化担当理事・会計担当理事
中村 肇(昭和53年卒)

仁澪会定時社員総会

理事長 御挨拶

 皆様、こんにちは。一般社団法人仁澪会理事長の生野弘道(S44年卒)です。令和4年度社員総会開催にあたり、ごあいさつさせていただきます。
コロナ禍のため、会場参加とWeb参加のハイブリッド形式による総会となりました。ご多忙のところ、ご出席、誠にありがとうございます。心から御礼申し上げます。
 総会の報告事項としまして、令和3年度の事業報告と決算報告があります。審議事項として、令和4年の事業計画(案)と予算(案)があります。さらに、今年は仁澪会の年会費値上げ(案)があります。年会費の値上げ案は、数年前から理事会で議論し、昨年のアンケート調査を基に、本日提案させていただくことになりました。慎重なご議論の上、ご審議をよろしくお願い申し上げます。
 今年は大阪公立大学(辰己砂昌弘学長)誕生の年でありました。大阪公立大学医学部医学科には第一期生95名が入学してきました。医学部医学科同窓会仁澪会に全員入会していただくとともに、95名中87名の92%の新入生が、6年間分の会費(3万円)を納入していただきました。全学同窓会(校友会)との共同入会制度が好結果を得たと考えています。
 新大学の全学同窓会は、大阪公立大学全学同窓会校友会として4月に誕生しました。市大・府大140年の歴史を担い、両大学の卒業生を中心に構成されています。初代校友会会長には岡本直之会長(前市大全学同窓会)が、副会長には生野が選出されました。医学部医学科同窓会仁澪会のご支援を受けながら、校友会にも全力を尽くしていくつもりであります。
 さて、現在、マスコミなどで騒がれている問題として、大阪公立大学医学部附属病院長の就任があります。新大学開学に病院長就任が間に合いませんでした。西澤良記(S45卒)大阪公立大学理事長が、選考会議推薦の荒川哲男(S50年卒)前大阪市立大学学長を拒否したことから紛争が起こりました。解決の道がいまだ見いだせていません。仁澪会は両先生をこれからも支援するものでありますが、一日も早い解決を望むばかりです。
それでは、総会を進めていただきたいと思います。

一般社団法人仁澪会 理事長  生野弘道

総会資料 (クリックすると資料が表示されます)

理事だより

リプロダクティブヘルス/ライツ(Sexual and Reproductive Health and Rights)

なかむらレディースクリニック 院長
昭和60年卒 中村 哲生

 昭和60年卒業の産婦人科の中村哲生と申します。
 今回は耳慣れない言葉かと思いますが、リプロダクティブヘルス/ライツについて簡単にお話しさせて頂きます。
 アメリカ連邦最高裁は、本年6月24日に女性の人工妊娠中絶をめぐり「中絶は憲法で認められた女性の権利」と定めた1973年(49年前)の「ロー対ウェイド」裁判の判決を覆しました。今回の判決により、約半数の州で中絶に関する規制を厳格化する方針を表明しました。この判決を受け、日本産科婦人科学会は6月25日に「リプロダクティブヘルス/ライツ普及推進宣言」(https://www.jsog.or.jp/news/pdf/2022_reproductive_health1.pdf)を発表し、7月6日付で抗議声明(https://www.jsog.or.jp/statement/pdf/20220706_statement1.pdf)を発表しました。
 リプロダクティブヘルス/ライツ(Sexual and Reproductive Health and Rights ; SRHR)は1994年にエジプトのカイロで開催された「国際人口開発会議」(International Conference of Population and Development)にて初めて採択された概念です。この中には「性と生殖の分離が女性の自己確立や人工の適正化のために不可欠であり、女性はその生涯を通じて性と生殖の健康を維持する権利を有する。」とされています。
 リプロダクティブヘルスとは、人間の生殖システムおよびその機能と活動過程のすべての側面において、単に疾病、障害がないというばかりでなく、身体的、精神的、社会的に完全に良好な状態にあることを指します。すなわち、リプロダクティブヘルスは、人々が安全で満ち足りた性生活を営み、生殖能力を持ち、子供を持つか持たないか?いつ持つか?何人持つか?を自由に決めることができ、さらに、安全で効果的、安価で利用しやすい避妊法に関しての情報やサービスを入手することができることが含まれます。
 リプロダクティブライツとは、すべてのカップルと個人が、自分たちの子供の数、出産間隔、出産する時期を自由にかつ責任をもって決定でき、そのための情報と手段を得ることができるという基本的権利、ならびに最高水準の性に関する健康およびリプロダクティブヘルスを享受する権利です。また、差別、強制、暴力を受けることなく、生殖に関する決定を行える権利も含まれます。さらに、女性が安全に妊娠・出産を享受でき、カップルが健康な子供を持てる最善の機会を得られるよう適切なヘルスケア・サービスを利用できる権利が含まれます。
 最近、車中や自宅での幼児の放置による熱中症死亡や嬰児遺棄事件等、望まない妊娠による虐待死亡事件を報道で目にします。大阪産婦人科医会としても子供虐待防止を目的として特定妊婦への支援を目的とした「安心母と子の委員会」活動を継続していますが、SRHRの観点からも避妊や人工妊娠中絶などの医学的介入、さらには赤ちゃんポストや特別養子縁組等の公的支援などの必要性を痛感します。
 避妊や人工妊娠中絶に関して、緊急避妊ピル(EC)のOTC化や経口人工妊娠中絶薬の承認およびOTC化が話題に上っています。経口人工妊娠中絶薬は2021年12月に申請されましたので近いうちに承認される見通しですが、母体保護法指定医による処方や管理の必要があると思います。ECのOTC化に関しては、昨年行われた日本産婦人科医会によるアンケートで、賛成54.7%(無条件で賛成7.8%、条件付き賛成46.9%)反対42.0%でした。条件付き賛成の中で必要と思う取り組みとして「性教育の充実」が81.4%と最も高く、「複数錠の販売を禁止」「性暴力被害者のためのワンストップ支援センターの充実」などがあげられ、懸念される問題としては「転売の可能性」「性感染症のリスク増大」「服用後の妊娠・異常妊娠への対応の遅れ」「避妊に協力しない男性の増加」「性暴力への悪用」などがあげられました。既にECやOC(避妊ピル)がOTCで入手できる欧米諸国との大きな違いは日本の性教育が遅れていることです。
 日本産婦人科医会の取り組みとして「性教育指導セミナー全国大会」を開催し、産婦人科医師だけでなく、性教育に関わっている教師や看護師・助産師・保健師等も参加して頂いています。仁澪会の関連では、2019年7月に49年卒の志村研太郎先生が会長として第42回性教育指導セミナー全国大会を開催され、62年卒の西尾順子先生が実行委員長として運営し、49年卒の加藤治子先生が基調講演をされ、運営に関しましてもサポートして頂きましたことをご報告申し上げます。
 以上、リプロダクティブヘルス/ライツに関して簡単に説明させて頂きましたが、改めて性教育の必要性を再認識いたしました。インターネットが普及してている現在、性と生殖に関する情報が氾濫しています。我々は医療者として、より正しい情報を患者さんに提供してリプロダクティブヘルス/ライツを享受して頂くように努力したいと思います。

仁澪奨励賞

Teacher of the Year

 2021年度 Tea- cher of the Year並びに仁澪奨励賞を賜り、誠にありがとうございます。私が本学に来て間も無く COVID-19 が流行り、2020年度、教員人生初の講義デビューは不慣れなオンラインとなりました。学生の反応が見えにくいこともあり、内容がしっかり伝わっているか不安だったことをよく覚えています。2021年度は幸い対面講義となり、学生同士の教え合いや議論の時間を取り入れるなど対面のメリットを活かすことを考え、自分の中でも手応えを感じた一年となりました。探究の醍醐味を学生と共有し、共に成長して行けるよう今後も精進して参ります。

 このたび、2021 年度 Teacher of the Year を受賞させていただき、とても光栄に思います。私は、医学生に 対して複数の講義、クリニカルクラークシップを担当しています。さらに、放射線科内に加え、他科との画像カンファレンスを開催し、これらにも医学生が参加しています。
 私が力をいれているのは、クリニカルクラークシップです。質疑応答を繰り返しながら、胸部単純X線写真や胸上腹部CTの読影を、1日かけて説明し、読影を楽しめるよう心がけています。
 今後も、医学生教育に努力していきたいと考えていますので、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。

 この度、Teacher of the year ならびに仁澪会奨励賞という大変栄誉ある賞を賜りましたこと、関係者の皆様に心より御礼申し上げます。医療統計学は、国家試験に直接関係する科目ではないかもしれませんが、臨床家として、また研究者として歩んでいく中で必ず必要になる学問です。将来「学生の時に勉強したな」と思い出してもらえるように、そして少しでも楽しい記憶として残るように、学生さんと接したいと思っています。我々が支援する臨床研究は一人で行うことはできません。在学中にご縁があった方もそうでない方も、医療統計学を訪ねていただけたら嬉しく思います。

Student of the Year

 この度は、Student of the year "智"に選出いただき誠にありがとうございます。お互いを高め合える同期とともに、教育熱心な先生方の下で学べた6年間は非常に充実しており有意義なものでした。
 母校である大阪市立大学で学んだことを、今後は世の中に返していけるように日々精進して参ります。そして、 "智"という栄誉ある賞に恥じぬような、知識に貪欲で学び続けられる医師でありたいと思っております。
最後になりますが、このような栄誉ある賞を与えてくださった医学部同窓会の皆様に厚く御礼申し上げます。

 “智” 松丸 直裕

 この度は Student of the year "仁"に選出していただき、誠にありがとうございました。多くの方々の支えもあり、6年間学年代表を勤め上げることが出来ました。至らぬ点も多々ありましたが、先生方や学務課の皆様のご指導のもと、人として成長することが出来たと感じております。己の無力さを痛感する毎日ですが、"仁"をいただいた者として、患者さんに寄り添える医療者を目指して参ります。
 最後になりますが、医学部同窓 会の皆様に厚く御礼申し上げます。

“仁” 藤田 亜也

 この度は Student of the year "勇"に選出していただき、誠にありがとうございます。
 初期臨床研修が始まって新たな環境に身を置いて日々奮闘しておりますが、知らないことや悩むことばかりで自分の考えを見失いそうになることもあります。そのようなときこそ勇気を持って自分を信じて診療にあたることで一歩一歩成長し、医療に貢献できていることを実感しております。
最後になりますが、医学部同窓会の皆様に厚く御礼申し上げます。

“勇” 番 義仁

新任教授御挨拶


脳神経機能形態学 教授  近藤 誠

 2021年10月1日付けで、大阪市立大学大学院医学研究科の教授を拝命いたしました、近藤 誠と申します。この場をお借りして、謹んでご挨拶を申し上げます。
 私は、2006年に名古屋市立大学医学部を卒業後、臨床研修を経て、基礎医学研究の道に進みました。幼少時から脳や神経に興味があり、学部生の頃より基礎医学の研究室に出入りし、脳神経科学の基礎研究に携わっておりました。その後、臨床実習や卒後臨床研修などの臨床現場での経験の中で、脳神経系の仕組みやその疾患の病態・治療メカニズムを明らかにし、将来、臨床に繋がる基礎研究をしたいと考え、東京大学の廣川信隆先生のもとで大学院生として、そして学位取得後は大阪大学の島田昌一先生のもとで脳神経科学、解剖学の研究と教育に従事してまいりました。これまでに、マウスを用いた記憶や情動の分子メカニズムに関する研究や、うつ 病や PTSD などの精神神経疾患の 病態や治療メカニズムに関する基礎的な研究を行ってきました。今後は、これまでの研究成果を基盤とし、脳 神経疾患や精神疾患に対する新たな 予防治療法の開発を目指した先進的 かつ独創的な研究を展開し、医学の 発展、人々の健康や社会に貢献でき るよう努力していきたいと考えてお ります。また、学部や大学院教育では、講義実習(解剖学、組織学など)や研究指導を通して、将来の医学・生命科学をリードする医師や研究者の育成に取り組んでいきたいと思っております。
 大阪市立大学は、2022年4月より大阪公立大学として新たに生まれ変わりました。開学した新大学は、幅広い学問領域を擁する、全国最大規模の公立総合大学です。国際レベルでの高度研究型大学を目指し、大きく飛躍していくことが期待されており、私自身も大変楽しみであります。そして、私たちの研究室も、大阪公立大学大学院医学研究科 脳神経機能形態学という教室名になりました。研究、教育に精一杯努力いたす所存でございますので、同窓会の皆様には、今後ともご指導、ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

循環器内科学 教授  福田 大受

 2022年1月より循環器内科学教授を拝命いたしました福田大受です。当科は、大阪市立医科大学 第一内科学講座を前身としています。大学院重点化政策等に対応するため大阪市立大学の旧第一内科の循環器グループが「循環器内科学」として独立しましたが、70年以上の伝統のある講座の教授を拝命し、その責任の重さに身の引き締まる思いです。私は、1997年の大阪市立大学の 卒業で、卒業後は第一内科に入局しました。関連病院での研修の後、循環器グループに所属し、カテーテルインターベンションを専門としていました。大学院時代には血管内超音波検査を用いて、急性冠症候群の発症機序に迫る臨床研究を行いました。その経験を基に、東京大学とハーバード大学で動脈硬化に関する基礎研究を行う機会に恵まれました。本学に着任前は、徳島大学循環器内科に在籍し、循環器臨床と並行し、基礎研究室の立ち上げとトランスレーショナル研究を主導してきました。その中で、特に力を入れてきたのが動脈硬化やインスリン抵抗性の基盤病態である血管や脂肪組織における慢性炎症に関する研究です。慢性炎症の分子機序の解明と、そこを標的にした新規治療方法の開発は、今後も継続していきたいと思います。また、他分野にも発展可能と考えており、基礎・臨床にかかわらず、他科の先生方との共同研究も楽しみにしています。
 循環器内科は命にかかわる疾患を扱うことが多く、医師としての高い総合力が求められます。医学的知識・技術と探求心、さらには人間性を高度に融合させた「Physician Scientist」を目指して、教室員全員で一致団結して、診療、研究、教育に取り組んでいきます。教室員が互いに認め高め合い、誇りをもって幸せに仕事ができるような教室づくりを行っていきたいと考えています。同時に私自身も教室員から多くのことを学び、皆と共に成長していきたいと考えています。
 微力ながら大阪公立大学および循環器内科学の更なる発展に貢献したいと考えます。今後ともご指導賜りますようよろしくお願い申し上げます。

女性生涯医学 教授  橘 大介


 皆様こんにちは、2022年1月より大阪市立大学( 現・大阪公立大学)大学院医学研究科・女性生涯医学の教授に着任させていただきました。就任後約半年が経過しましたが、まだまだ慣れないことが多く、様々な職種の方々に助けて頂きながら過ごしております。
 私は兵庫県出身で大阪市立大学入学ととも大阪での生活が始まりました。学生時代は水泳部に所属、卒業と同時に大阪市立大学の産婦人科に入局させて頂きました。留学の期間を除き人生のほぼ大半を大阪で過ごしてきました。5年ほど前からは医学部水泳部の部長も担当させて頂き学生たちの活躍も身近で見て若いパワーに元気を頂いております。
 歴史ある我々の教室は2013 年より新たに女性生涯医学、女性病態医学の2 つの部門を設け歩みはじめました。これにより、より専門性の高い医療の提供が可能となっただけではなく、地域医療圏における情報発信と連携の充実に加え、高いレベルでの研究・教育を行うことが可能となりました。
 女性生涯医学の分野では、思春期に特有な疾患、不妊・不育の精査と加療、正常妊娠からハイリスク妊娠までの幅広い周産期医療、さらには加齢に伴う骨盤臓器脱をはじめとする疾患など女性のライフステージに おける各シーンでの症状・疾患に対応することが可能です。特に、昨今の少子高齢化の中で、今までは比較的稀であるとされていたような疾患も増加しており、その診断や治療には慎重な対応が求められること多くなっております。そのような中、大都会・大阪の中心に位置し多くの患者さまをご紹介頂き、新たな視点で医療を展開できるよう情報を発信してまいりました。本年4月からは産科病床が10床増え、さらに高次医療を提供してゆけると確信しております。
 我々は臨床・研究の両面において今後さらに高いポテンシャルを発揮してまいります。また、医療技術だけでなく高い志と優しい心を持った医療人の育成に努めます。どうぞよろしくお願いいたします。

健康・医療イノベーション学 教授  野中 孝浩

 2022年1月1日付けで健康・医療イノベーション学(旧 医薬品・食品効能評価学)の教授を拝命しました野中孝浩と申します。併せて医学部附属病院臨床研究・イノベーション推進センター(CCRI)イノベーション創出分野長も拝命しました。本講座は、医薬品・医療機器の治験・臨床研究と、特定保健用食品などの保健機能評価のための臨床研究の実施支援などを目的として2005年に設置されました。これまでに厚生労働省から5名が教授として着任しており、このたび、後任として独立行政法人医薬品医療機器総合機構
(PMDA)から私が着任しました。
 私は、東京医科歯科大学医学部保健衛生学科検査技術学専攻、同大学大学院医学系研究科保健衛生学専攻修士課程、東京大学大学院医学系研究科病因・病理学専攻博士課程において基礎医学(がん生物学、神経科学)研究に従事した後、カナダのトロントにあるオンタリオ癌研究所において博士研究員として抗がん剤開発を目指した創薬研究などに従事しました。
 その後、PMDAに移り、主に抗がん剤の薬事承認審査や医療情報データベースなどのリアルワールドデータを活用した医薬品評価に従事するとともに、総合研究大学院大学複合科学研究科統計科学専攻博士課程(統計数理研究所)においてバイオマーカーを用いた臨床試験デザインの性能評価などの研究に従事してきました。
 本講座では、CCR I における医薬品・医療機器の治験・臨床研究の支援活動(治験審査委員会、倫理委員会など)を中心に活動するとともに、医薬品・医療機器に関するレギュラトリーサイエンスをベースに、アカデミアにおける治験・臨床研究の活性化に向けて、その実施体制の整備に資する研究を行っています。また、医薬品・医療機器等に関する国内外の規制動向や産業界の状況、学術的専門情報を網羅的に収集・分析し、医療イノベーション創出力の向上につながる規制枠組みのあり方など、証拠に基づく政策立案
(EBPM;Evidence-based policy making)に資する研究に従事していきたいと考えています。
 微力ながら本学の発展に貢献していく所存ですので、同窓生の皆様におかれましては、ご指導ご鞭撻の程、どうぞよろしくお願い申し上げます。

消化器外科学 教授  前田 清

 2022年4月より消化器外科教授を拝命致しました前田 清です。私は 1987年に大阪市立大学を卒業し、旧第一外科教室に入局しました。 1991年から2018年まで大阪市立大学および附属病院で診療・研究・教育に従事し、2018年から4年間大阪市立総合医療センターで消化器外科部長・消化器センター長として勤務してまいりました。この間、梅山馨先生、曽和融生先生、平川弘聖先生、大平雅一先生の4名の教授にご指導賜りました。
 本学は2018年から外科学講座の臓器別再編に取り組み、当教室も消化器疾患に特化した専門的な診療・研究を行っています。しかし、その半面、今まで以上に他の外科教室、他診療科と協力していかなければなりません。また、手術だけではなく、化学療法や緩和ケアなど、より良い医療を提供するためには他職種や近隣施設との連携が重要です。このため、“ 連帯・連携・結束”を教室運営のテーマと致しました。
 外科教室の喫緊の課題は若手外科医の減少です。最近の若手医師 は“ 仕事のやりがい”だけではなく、 “ ワークライフバランス”も求めて います。2024年には医師の働き方 改革も導入され、無駄な業務の削減、仕事の効率化、負担軽減を図る必要があります。しかしながら仕事を減らして“ 楽をする”ということではなく、効率化により“ 自己研鑽や研究する時間”を作り出すことが重要です。
 臨床面では今後、消化器外科でも ロボット手術が主流となってきます。関連病院とも協力し、ロボット執刀 医の育成、手術件数の増加を進めて いきます。
 本年、大阪市立大学は大阪府立大学と統合し、大阪公立大学となりました。長年“ シダイ”という略称に親しんできた私にはすぐには馴染めないものの、長い歴史と異なる文化を有する両大学の融合によるスケールアップメリットを期待しています。大学の名称も変わり、心機一転、大阪公立大学が国内外に広く知られるよう、精一杯尽力する所存です。同窓会の皆様におかれましては旧に倍するご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

肝胆膵外科学 教授  石沢 武彰

 この度、縁あって大阪公立大学肝胆膵外科 教授を拝命しました。大阪市立大学第一外科、第二外科の伝統と実績を引継ぎ、さらに発展させるべく精励いたしますので、ご指導・ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。
 私は東京に生まれ、6才以降は千葉市の住民でした。なぜか生来の阪神ファンであること、県立千葉高校の仲間と一緒に花園ラグビー場の土を踏んだこと以外、近畿地方と縁遠い人生と言えます。今回、初めて大阪市で単身赴任していますが、江戸より何倍も古い歴史、自由闊達な雰囲気、食事(うどん)の美味しさ、人付き合いの濃さと温かさ・・・・・などなど、住んで初めて分かる魅力に取り憑かれています。
 話を戻しますと、2000年に千葉大学を卒業した私は、すぐに東京大学に入局しました。千葉という土地に飽きてしまったことに加え、大学の講義で上映された幕内雅敏教授(当時)の美しい肝切除が忘れられず、直接教えを乞いたいと思ったからです。当時の労働環境は劣悪の極みでしたが、この日本式教育法により、不器用な私でも肝胆膵外科の「ABC 」を習得することができました。腹腔鏡手術の師匠はパリの Gayet 教授です。手術の技術はもちろん、自由に発想し実行する姿勢、人生の一部として仕事を楽しむフレンチスタイルの生活を学びました。これらの経験から「良いとこ取り」をして、余すことなく後輩に伝えることが、私に課せられた第一の使命です。
 当科の診療目標は、ロボット支援手術を含む低侵襲アプローチから開腹による拡大手術まで幅広い選択肢を用意し、「最善の一手」を患者さんに提供することです。研究面では、「術中蛍光イメージング」から展開する癌光線治療の開発、膵液漏の根本的解決、腸内細菌叢の変化が術後の免疫に及ぼす影響の解明、などの課題に取り組みます。
 職場環境の整備も不可欠です。「メスを置いた時間」を楽しみ、女性外科医はもちろん、男性医師もキャリアに不安なく育児に取り組める医局を構築して参ります。価値観と目標を共有できる新しい仲間の参入を、出身にかかわらず歓迎します!

ウイルス学 教授  城戸 康年

 このたび、2022年4月1日より大阪公立大学大学院医学研究科ウイルス学(兼寄生虫学)教授を拝命いたしました城戸康年と申します。ウイルス学分野および寄生虫学分野は以前より深い関わりがあり、1947年の初代田中英雄教授により公衆衛生学医動物学教室が誕生し、第2代高田季久教授、ウイルス学分野初代小倉壽教授、第3代金子 明教授に継承されてきました講座です。グローバル感染症研究を中心に行ってきた伝統ある講座の教授を拝命し、その責任の重さに身の引き締まる思いです。
 私は、早稲田大学理工学部化学科を卒業後、東京大学大学院医学系研究科国際保健学専攻にて北 潔教授に師事し、病原体の生化学的解析と薬剤開発への応用について博士号を2008年に取得しました。その後、2014年に大分大学医学部を卒業し、臨床研修、大分大学医学部環境・予防医学講座を経
て、2018年より大阪市立大学に着任いたしました。これまで、新興・再興感染症の宿主病原体相互作用の解明、医薬品開発、流行地における分子疫学研究といったグローバルヘルスに関するトランスレーショナルリサーチに従事してきました。
 新型コロナウイルス感染症のパンデミックは日本や世界の国際的ネットワークの脆弱さなどの多くの問題を白日のもとにしました。世界三大感染症、顧みられない熱帯病、新興感染症は、旧来の病原体の枠組みを超えたグローバルヘルスの最重要課題であるため、私達はコンゴ民主共和国などにおいて、新興再興感染症海外研究拠点を運営し、グローバリゼーションが進み大きく変貌する 21世紀型の健康課題に対する国際的な研究に国際都市・大阪から取り組んで参りたいと思います。
 教育面では、日本の新興・再興感染症に対するレジリエンスを高めるために、外国人学生と日本人学生を積極的に受入れ、ラボとフィールドを縦横無尽に駆け巡り活躍する「外交力ある」医師・研究者育成に貢献していきたいと思います。医学部同窓会の皆様におかれましては、ご指導、ご鞭撻のほどどうぞ宜しくお願い申し上げます。

学生クラブ活動紹介

女子バスケットボール部

 医学部女子バスケットボール部は現在プレイヤー6人が所属しており、毎週水・金に杉本キャンパスの新体育館もしくは阿倍野スポーツセンターで活動しています。COVID-19の影響により、しばらく医学部バスケットボール部の大会は開催されていませんが、一年を通して、多くの大会があり、それに向けて日々練習に励んでいます。人数は少ないですが、その分学年関係なくとても仲のいい部活です。経験者だけではなく、大学からバスケットボールを始めた部員も在籍しており、お互いに教え合いながらスキルアップを目指しています。未経験者の部員も試合でシュートを決めて活躍しており、全員が試合に出られることがこの部活の一番の良いところだと思います。年中部員を募集しておりますので、気になった方は是非、見学・体験にお越しください。

女子バスケットボール部 医学部5回生  毛見 佳歩

軽音楽部

 こんにちは、医学部軽音楽部です。現在、医学部医学科と看護学部の部員が計67名所属しており、阿倍野キャンパスで練習を行っています。部員はそれぞれボーカル、ギター、ベース、ドラム、キーボードなどのパートに所属しており、学部や学年を超えてバンドを組み、演奏会に向けて練習しています。練習日はバンドメンバーの予定に合わせて決められるため特に決まっておらず、週1~2回練習を行っている部員が多いです。演奏会は近年部内のみでの実施となっており、春、夏、秋、冬の定期演奏会に加え、新歓ライブ、卒業ライブなどを行っています。今年は新型コロナウイルスの影響により一部の演奏会のみの実施となりましたが、貴重な機会を部員一同心から楽しんでおります。初心者の部員も多いですが、各々が自分の好きな音楽を追究して熱心に楽器を練習しており、演奏会では出演する部員全員が活躍しています。素敵な演奏会ですので、状況が落ち着きましたら是非一度お越しください。

軽音楽部 医学部4回生  川﨑 奈津子

剣道部

 初めましてこんにちは、医学部剣道部です。現在、本クラブには6年生1人、4年生2人、2年生2人の計6人が在籍していて、他のクラブに比べてだいぶ少ないですが、そのぶん部員同士とてもとても仲が良く、いつも和気藹々としています。「どうせやるなら楽しい剣道を」をモットーに、ときには厳しさを持ち合わせながらも、なるべく剣道そのものを楽しむことができるような稽古を心がけています。具体的には週二日(水曜日・土曜日)、杉本キャンパスにある道場で稽古をしています。また大会は毎年、春の春季医歯薬、夏の西医体、秋の秋季医歯薬の3大会に出場していて、今年はコロナにより春季医歯薬と西医体が中止になりましたが、秋季医歯薬はいまのところ開催される予定ですので、読んでくださった皆様、頭の片隅だけでもいいので応援していただければ嬉しいです!

剣道部 医学部4回生  平川  遼

大阪の医史蹟めぐり―30
ワクチンの女神  カタリン・カリコ

昭和44年卒  田中 祐尾

はじめに

  大阪の医史蹟とは何の関係もないのですが、筆者も日々コロナ感染者と遭遇する開業医として死の恐怖に晒されています。此処半世紀の間病原性ウイルスと対峙して黙々と研究を続け、m-RNAワクチンを完成させた人物の伝記を、今触れないと意味がないと考え、例外編として書くことにしました。
COVID-19とは2019年に伝染が始まった新型コロナウイルスの疾患を意味し、第一報が確か1月だったから、それから既に3年と7カ月が経って異型株のBA4とBA5が第7波として大阪では一日2万人台の感染者が6日連続で続いています。この記号は当該コロナウイルスのスパイクの先端の毒素の配列記号を表わします。7月末現在、大阪では重症化病棟の余裕が逼迫、第一波のように短期間で死亡に至るケースは少ないが、感染力が初期の数倍、全身倦怠や咳の症状特に嗅覚や味覚障害などは殆どなく自宅療養中または普通の生活中の高齢者が突然呼吸困難で死亡するケースが増えています。3回目以降のワクチンが追い付かず、治療薬もないに等しい。
 しかし乍ら現在3回の施注をした人たちの健康はやはりこのワクチンの免疫形成力によって保たれていることは確かで、従来のインフルエンザワクチンの効き目と比べれば明らかな有効率を示しています。現在まで抗ウイルス藥が数種あるがどれもこれも、とくに変異型ウイルスには効かない。米国において2020年急遽認可され、その後爆発的にファイザー、メルクといった民間製薬業者によって世界中に浸透したこのワクチンは驚くべきことに、初期の人体試験で90%の有効率を示したのであって、そんなことは従来のワクチンには見られなかった。いったい誰が開発し、今回の流行からほぼ数カ月で実用化できた医学的根拠は何処にあるのか、だれに因るのか・・・・・ハンガリーの寡黙な研究者カタリン・カリコ女史がその人です。

カタリン・カリコ女史のプロフィル

 このハンガリー人の理学者(医師の資格を持たない)は半世紀もの間、母国から米国の研究機関と二つの大学でメッセンジャーRNAの研究に没頭し病原性ウイルスへの免疫作成方法の能率化に挑みます。丁度完成期に迫っていたm-RNAワクチンが今回の新型コロナウイルスの世界的蔓延と重なって、待ち受けたような細胞内免疫抗体の防壁が築けたわけです。特効薬の無い現在、90%を超える有効率を持つこのワクチンが数百万人の生命を救った女神となったのです。

 Katalin・Karikoは1955年1月、ハンガリーの首都ブダペストから100キロのソルノク市生まれで両親と姉の四人家族(写真①)。小児期の祖国ハンガリーは第二次大戦のドイツ側敗戦国で、戦後はソ連の支配下の共産主義体制の真っただ中でした。国は荒廃して貧しく、カリコ家も一部屋の一軒家、小さなストーブ以外お風呂や水道もなく、井戸まで水を汲みに行くといった日常でした。しかし乍らハンガリー人の気質は勤勉で実直、クヨクヨせず耐えることに慣れていたといいます。勉強が大好きで優秀な成績で小学校を卒業、ピオネールキャンプで担当だったアルベルト・ト―ト先生が生物の観察が得意、肉屋だった父親の解体する豚の骨格や臓器をつぶさに観察するといった、この子の科学的才能を見抜き「リンネのような才能だった」と評しました。モーリッツ・ジグモンド高校を経て国立セゲド大学理学部に入学、3年連続して「人民共和国奨学金」を受けます。ハンガリー人の天才学者で「ストレス学説」で有名なハンス・セリエ博士や、ビタミンCを発見してノーベル医学生理学賞を受けたセント・ジュルジ・アルベルト博士らと接触を得て早くから文通し、励ましと知識を得させたのも彼の仕事でした。セゲド大学での研究は哺乳類の細胞にDNAを送るのをサポートするリン脂質を探す事、そしてDNAの情報をm-RNA に転写しリボゾームに運んで細胞内で蛋白質を生成することに成功するのですが、既に此処でm-RNAとの一生の付き合いが始まったと言えます。1985年国からの援助が打ち切られ、唯一申請していた米国テンプル大学が期限付きで研究生として受け入れてくれます。渡米については、当時ドルの持ち出しが厳しく、娘の持つテディベアのぬいぐるみの中にあるだけの数百ドルを忍ばせて通関したというエピソードがあります。生活は貧乏だったが研究生活は楽しく、ここで免疫学者ドリュー・ワイズマン博士との出会いがあり、共同研究が始まります(写真②)。

成功への長い道のり

 1989年ペンシルべニア大学医学部へ研究助手として移籍。2005年「不安定なm-RNAに人工的化学修飾を加えると炎症が抑えられる」という共同論文を発表。これが偶然2020年にパンデミックを起こした新型コロナウィルスへのワクチン製作へと繋がります。具体的にはm-RNAが相手の細胞に進入するに際して、拒絶反応(炎症)を起こすためうまく行かなかったのですが、ウリジンという物質を其の側枝に付けるとこれを抑えることができ、更にシュードウリジンを置き換えることですんなりと確実に抗体が形成できることを立証したのです(図①)。

 環境的、経済的、語学的といったハンデを気にもせず、ただただ40年、当時なんのメリットもなかったm-RNAという対象にのみ絞って淡々と研究をつづけたこの頑固で静かな女神(写真③)は、次期ノーベル医学生理学賞の受賞が確実といった専らの噂に、青い眼でただ微笑むだけで多くを語りません。2022年6月5日、医学分野での優れた研究者に贈られる米国の「ガードナー財団国際賞」にカリコ博士がワイズマン博士共々選ばれ、10万カナダドルが贈呈されるというニュースが入りました。この賞はノーベル賞の前哨戦とも言われ受賞者の多くがノーベル賞を受けています。


iPS細胞と愛娘スーザン

 2012年、細胞のリセット即ち初期化された細胞iPS(induced pluripotent stem cell)が多くの有用性を生むという一つの発見が山中伸弥教授のノーベル賞受賞へとつながったのですが、既に2010年にハーバード大学の研究グループが「m-RNAを使ってiPS細胞を効率よく作る方法」を示し、山中教授は快くこのドッキングを承諾します。これによってiPS細胞の生産能力が著しく増して前途が開けます。カタリン・カリコ女史のm-RNA理論がここでも世界のトップレベルの内容であったことが立証された訳です。世界のトップといえば娘のスーザンは2008年の北京及び、2012年のロンドンの2回のオリンピックで米国代表のボート競技エイトの一人として金メダルを獲得し、当時のオバマ大統領がカリコ家に祝福を与え、母よりも数年前に全米の話題となったのです。身体も精神も共に優れたDNAを感じます(写真④)。

大阪市大医学部78年と附属病院98年の歴史-33

田中祐尾(昭44年卒)・關 淳一(昭36年卒)

はじめに

 旧第二内科で学んだ關 淳一先生は2015年以後、この数年の間に食道癌、胃癌、頭部皮膚の汗腺由来の癌等に罹患され、また現在は昨年夏に分かった悪性リンパ腫に対する化学療法の最終クールを終えたばかりということで、86歳という年齢が免疫力を低下させているのではないかと本人が述べておられます。
 過日、同窓会事務室へ来ていただき、色々エピソードをお訊きすることができました。(以下敬称略)

2007年大阪市大医学部学舎において、筆者が主催した日本医史学会に来賓来場された関市長と

その走程

 關 淳一は1935年(昭和10年)8月生まれ。祖父の關 一第七代大阪市長は同年昭和10年1月に亡くなっているので、淳一は面識がなく、又家庭内で祖父 一のことが話題になることは殆どなかったとのことです。ただ、父 秀雄が学生時代(旧制神戸商業大学)に共産党員として地下活動をしていた時に、当時の治安維持法違反によって検挙され1年近く拘留されました。
 当時、關 一は現職の市長であったので、市会などで「自分の息子の教育もできない者が市長など務まるか」と徹底的に攻撃され、自宅へも右翼の人達が押し入ってくるような状況だったそうですが、關 一は一貫して「親子といえども別人格である。彼にも思想・信条の自由はある」と言って押し通したとのことは聞いたことがあるとのことです。淳一は第二次大戦中は小学生であったが、3年生の時、当初は学童集団疎開で家族と離れて今の富田林で生活したが、途中で家族が母の里鹿児島県串木野へ疎開することになったので淳一も共に串木野へ疎開しました。
 高校生時代ははじめは建築家を目指していたが、3年生の10月頃に当時の市立桃山病院熊谷謙三郎院長に偶々会った時に「家族を養うだけで満足なら医者という道もあるよ。金持ちになりたいのだったら別だが」といわれ、当時關家は経済的に厳しかったので、そのことが医学部を選ぶきっかけとなったとのことです。この偶然がなければ現在の關 淳一は存在しなかった。
 1961年(昭和36年)大阪市立大学医学部を卒業し1年間のインターンを終えて翌年第二内科入局、1967年助手に(和田正久教授)。1970年講師を経て1985年大学教員を辞して桃山市民病院第一内科長に。ただ丁度その頃、淳一はそのことを全く知らずに赴任したそうですが、大阪市では市立医療機関の体系的整備事業が動き出しており、それを手伝わざるを得ない立場となって、次第に行政の仕事へ傾倒したとのことです。その流れの上で環境保健局長から助役という市政への転身。2003年大阪市長選に出馬当選。以後2007年までの4年間、まさに医業とは別の人生を駆け抜けます。私利私欲、名誉欲もない、従って大大阪の市長としての威厳に今一つ乏しい、一見して庶民の一人にしか見えない茫洋とした風格の今までの人生。本当にご苦労様でした。
 以下、療養中にもかかわらず無理にお願いした和田教授時代のエッセンスなど、關 淳一先生の投稿をご披露して第二内科の記事の終わりとします


關 淳一先生投稿文

 私が当時の第二内科(石井潔教授)に入局したのは、昭和37年(1962年)の7月半ば過ぎでした。ただ週一回開催される医局会に初めて出席した後、名前は憶えていないのですが当時の医局長に呼ばれ和歌山県太地町の町立病院が3年近く内科医不在の状態が続いているため求人の依頼が来ているが、どうだ行かないかと言われ、待遇は給料月5万円とのこと、当時地方公務員の給料が2万5千円位でした。その頃私の家庭は経済的に非常に厳しい状態でしたので私はすぐに行きますと返事して、翌8月から太地町立病院へ内科医として赴任しました。そこでの貴重な経験については今回省略しますが、赴任して1年1ヵ月たった昭和38年(1963年)9月に大学から帰ってくるよう指示があり、大学へ戻りました。あとで聞くところによると、石井教授が体調の悪化を自覚され自分が在任中に出向させた教室員を呼び戻されたとのことです。私が帰阪して約2週間後の9月14日に石井教授は逝去されました。
 その後、教授選を経て翌昭和39年(1964年)4月に大阪大学第一内科から和田正久先生が教授として着任されました。私はその頃帰阪直後でどの研究グループにも属しておらず、和田教授から糖尿病をやってみないかとのお言葉により糖尿病グループに入れて頂くことになりました。
 和田教授が就任後先ず指導されたことの一つは、「外来とくに糖尿病外来での可なり厳格な外来主治医制」だったと思います。その頃病棟での主治医制は一般的でしたが外来での主治医制はまだあまりなかったと思います。このお蔭で私は一人の患者を長期に診ることができこのことから得られたものは極めて大きかったと思います。一人の患者に10年20年の間に起こる加齢的影響、代謝内分泌の状態の変化、出現する種々の合併症、そのほか起こってくる社会的、心理的な出来事が病態に及ぼす影響などを具体的に経験することができ、言葉を替えると生活習慣病の実態、また遺伝と環境の問題などを実地臨床面から直接考え、学ぶ機会だったと思います。また同時に和田教授は患者の生活環境を含め、「詳しく病歴を取ること」を特に厳しく指導されました。食習慣や仕事の具体的な内容、経済的な面、職場や家庭内の人間関係、さらに住居の様子など詳細を極めたものでした。またもう一点、外来診療に関連して強く記憶に残っているのは、「往診の重要性」を強調されていたことです。当時大学の教員が往診することなどは先ずなかったと思うのですが、和田教授は自らも率先して、経済的に厳しい家庭も含めて往診され、私どもにも強く求められました。その患者が日常どのようなところで生活し、食事をしているかも知らないで食事指導などできるのかと問題提起をされていました。
 今回、編集者から依頼を受けて和田正久教授から受けた様々な教育のうち、とくに内科臨床医のあり方について思いつくままに記しましたが、和田教授が常に指導されていたのは、「今、目の前にいる患者が何に悩んでおり、何を求めているか ? が理解できなくして診療などできない」ということであったと思うのです。その意味で私が和田教授のご指導から学んだことは、「臨床医学は文学である」ということであったのではないかと思います。
 私は和田教授が昭和59年(1984年)3月に定年退職されたのち、昭和60年(1985年)7月に大学を辞して桃山市民病院へ転出しました。
振り返ると、和田教授の在任20年間の指導目標の全ては良き臨床医を育てることにあったのではないかと思います。

※おそらく公的には絶筆となる手書き原稿は此処で終わります。
(編集 田中祐尾)

学会主催者報告

日韓耳鼻咽喉頭頸部外科学会 JKJM2022

会 期:2022年4月6~8日
場 所:完全Web開催
主 催:大阪公立大学大学院医学研究科 耳鼻咽喉病態学
会 長:角南貴司子(平成5年卒)

 日本と韓国の学問の交流、友好のため1985年韓国済州島で日本側9名、韓国側13名の大学主任教授が集り発起人会により日韓耳鼻咽喉頭頸部外科学会を日本と韓国交互の地で開催することが決まり第1回学会を当時ソウル大学のKwan Taek Noh 教授と中井がコーディネーターとしてソウル、ロッテホテルを会場としてお世話をしました(写真1)。以来2年毎に開催され2018年4月に韓国、光州で開催された学会で次回18回目の学会を私どもの教室が担当することになり井口広義教授が会長に選ばれました。本学会は学問の交流は勿論ですが、両国間の親交も重要な役割を果たすため懇親会への配慮も必要で大阪南港のハイアットリージェンシーホテルを会場としてガラディナーをその近くのUSJで予定している事を光州での学会で井口教授とともに紹介し韓国の方々に大変期待をもたれました(写真2)。会期は日本でオリンピックが開催される2年後の2020年4月に予定し準備を進めていました。しかし、会長予定の井口教授が誠に残念ながら2018年12月に急逝されたので急遽後任の角南貴司子教授が会長代行、阪本浩一准教授が事務局長となり、前回の日本での学会会長の慶応大学小川 郁教授と中井が相談役として準備を進めることとなりました。

 しかし、COVID-19が発生し予定の時期には開催は困難と予想されたので4月から11月に延期することにしました。学会のプログラムはほぼ完成していましたが延期になりましたので会場のキャンセル代などを含めかなりの費用、手間を費やしほぼ延期の日時で体制が整っていました。しかし11月にはコロナ禍の流行、韓国からの来日の予測がたたないため再延期が必要となり関係者でZOOM会議を再三行い、当時ではワクチンも出来ていることの希望的観測を行い2022年4月に再度延期することにしました。これには韓国側も大賛成されましたが再度会場のホテル、USJ側との交渉などとともにプログラムの再編成に苦労することになりました。当時は例会の如く現地開催の予定でしたがコロナ禍が全く収まる気配がなく現地とオンライン配信の両方でのハイブリッド開催を直前まで予定しておりました。しかし、韓国からの来日困難が続いているためweb開催のみにせざるを得なくなりました。
 本年2022年4月6~8日、春らい穏やかな陽気に恵まれた日に基調講演・シンポジウムなどの講演・質疑応答なども活発になされ特にトラブルもなく予想以上に盛大な学会となりました(写真3、4、5)。

 これには2018年当教室が主催することが決まってから4年間、種々の紆余曲折がありましたが角南貴司子会長代行他教室の方々、ライブ配信のコングレの方々の大変な努力の賜物と思っております。
 次回は2年後2024年4月に韓国ソウルで開催することになりましたがコロナ禍が収まり face to face の現地開催の学会になることを切に願います。

(文責 中井義明)

第38回日本皮膚病理組織学会総会・学術大会

会 期:2022年4月9日~10日
場 所:完全Web開催
主 催:大阪公立大学大学院医学研究科 皮膚病態学
会 長:鶴田大輔(平成4年卒)

 この度、第38回日本皮膚病理組織学会総会・学術大会を完全Web方式で主催致しましたことをご報告申し上げます。現在、会長の鶴田は同学会の理事長を勤めております。
 皮膚病理組織学は、皮膚科の診断において大きな役割を果たすことはさることながら、病態を考える上でも重要であり、皮膚科学の中でも最も重要な位置を占める分野の一つです。皮膚科医のみならず、皮膚病理に興味をお持ちの病理医の先生方も多数ご参加頂く学会です。例年であれば、会場で病理組織を見ながら討議を繰り広げる会でありますが、今年は、COVID-19パンデミックの影響で完全Web開催となりました。
 完全Web開催ではありましたが、一般演題では、事前に送付されてきた標本を元にバーチャルスライドを作成・共有することで、対面形式と代わらないクオリティで議論することができました。「皆で解決、あなたの疑問」セッションは、若手皮膚科医・病理医が診断に苦慮した例に対するアドバイザリーセッションであり、若手にとって有益であったのみならず、ベテラン皮膚病理医にも新たな刺激をもたらす機会となりました。「でるすこでるぱそ2022」セッションは、いまや皮膚科医の診断ツールとして必須となったデルマトスコープ(ダーモスコピー;皮膚表面からの散乱光を除去し、明るく照らし、レンズを用いて拡大することで表皮や真皮の浅いところの状態を詳細に観察するための機器)で得られた所見と病理組織所見とを比較することで、診断の精度をより高めることを目的としたセッションであり、今後のダーモスコピーでの診療に有益な議論を行うことが出来ました。特別講演では、安齋眞一前理事長による付属器腫瘍に関するものでした。
 来年4月に開催予定の第39回日本皮膚病理組織学会総会・学術大会も当科で主催する予定です。更に魅力的な会を行えるよう、鋭意準備を進めています。

第25回日本臨床救急医学会総会・学術集会

会 期:2022年5月25~27日
場 所:大阪国際会議場
主 催:大阪公立大学大学院医学研究科 救急医学
会 長:溝端康光(昭和60年卒)

第25回日本臨床救急医学会総会・学術集会を、令和4年5月25日(水)~27日(金)の会期で、大阪国際会議場において開催いたしました。本会の副会長には大阪府医師会の茂松茂人会長と大阪市消防局の小西一功局長にご就任いただきました。
 学術集会のテーマは「智・仁・勇を探求し、逆境を力に」としました。「智・仁・勇」は大阪市立大学医学部建学の精神ですが、救急医学教室では、「智・仁・勇」の精神は救急医療に携わるものにとって特に重要であると捉えています。2020年からの新型コロナウイルス感染症の流行により、各地の救急医療体制は多大な影響をうけました。そのような逆境において、様々な智慧を出し合い(智)、多職種のチームで協力し(仁)、挑戦し続けた(勇)経験は、今後の新たな境地を切り拓く大きな力になるものと考えてのテーマです。
 特別講演にはジェットコースターを後ろ向きに走らせ、ハリーポッターエリアをオープンさせて「ユニバ」をV字回復させた、株式会社刀代表取締役CEO 森岡 毅様、さらに、「火の玉ストレート」で現役時代大いに球場を沸かせた野球評論家 阪神タイガーススペシャルアシスタント 藤川球児様にお願いし、逆境を乗り越えるための、分析・アイデア力(智)、チーム力(仁)、実行力(勇)についての貴重なご講演をいただきました。また、招請講演には、総務省より大阪府副知事に就任された海老原 諭様をお招きしました。その他、公募演題として735題の応募をいただき、指定演題と合わせて発表総数は850題を超えました。
 新型コロナウイルス感染症が終息していない状況をふまえ、開催形式をHybridとしましたが、3,000名を超える参加登録をいただき、約2,000名が現地参加してくださいました。日本臨床救急医学会の代表理事としての学術集会開催でしたが、盛会のうちに終えることができ安堵しています。同窓会の皆様をはじめ、ご参加・ご協力いただきました皆様にこの場をおかりして御礼申し上げます。

編集後記

 AI先進国の米国において、SNS(ソーシアル・ネットワーキング・サービス)による情報伝達が日常生活に根付き十数年、一昨年11月の大統領選に僅差で敗れたトランプ元大統領の支持者が翌年の1月6日その正式結果を審議中の連邦議会議事堂へ暴徒となって押し寄せ議事堂へ乱入するといった事件が起こった。これを扇動したのがトランプ氏発信のSNSだったと目されている。TV映像を見ると身なりはまちまち、どこか無気力で活気のない平凡な中年の男たちが議事堂正面のガラス窓を材木や板のようなもので破り始めて数分後一人ずつその窓枠からコソ泥のように侵入するといった、米国憲政の聖地とはこんなものかと大変なショックだった。その後@real Donald Trumpからの当時の発信記事を分析した結果、フェイスブックとツイッターの二社がトランプ氏のアカウントを無期限停止することに決めた。ここ数年米国での若者に人気のSNSはスナップチャット、ティックトック、インスタグラムなど、全人口的最近の月間SNS利用数を見るとフェイスブック29億、ユーチューブ26億、インスタグラム14億と続きツイッターは4億3600万にすぎない。ツイッター社自身は「社会的要素を備えたネットワーク」だとしてSNSではないとしている。フェイスブックやツイッターは13歳の子供にも使用を可能にしていて、大人たちと同様、TVや新聞、定期刊行誌(『仁澪』がこれに当たる)といった従来のメディアは時間のフェイズ(時相)のちがった視覚媒体になりつつある。これらの膨大な紙面の内容はいつの日かSNSに凝集されて、今でも激減しつつある新聞雑誌のバックナンバーが書庫から消え失せて、ひたすらモバイルの画面を辿る人々の世界がもうすぐそこにある。
最近我が国の電車では座る人の10人中ほぼ全員がモバイルを見るか居眠りをするかというポーズであって、新聞雑誌や単行本を読む人に滅多に出会わない。将来ペーパーレスの入試もありなのだろうか。愛読書をペラペラと捲り、新刊書のインクの匂いの記憶など、図書館から本の消え去る時代が来るのだろうか。紙媒体に年中埋もれて抜け出せない編集子には想像が困難である。

(田中祐尾 記)

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