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遠巻きの寛容(第2回「虚実」)

     虚実

「桜井」
 祐平は開斗を押し離した。
「セクハラだぞ」
「俺、本気ですよ」
「わかった。だが、今夜は帰って寝ろ」
「祐平」
「編集長だ」
     *
 午前5時前。
 ホテルの自室で目覚めた祐平はベッドを出て窓の外を眺めた。
彼の目に蒼白い都会が酷く生彩を欠いて映った。
 …祐平。好きです…
 脳裏を過る、開斗の声。
 …あの時にどこか似ている…
 彼は、そう感じて少し途方に暮れる。
     *
 編集会議の後、開斗は会議室を出ようとする祐平を呼び止めた。
「何だ?」
「資料は何時までに用意すれば?」
「明日迄で良い。入手次第、デスクに置いといてくれ」
「分りました。この後、外出されますか?」
「そうだ」
「お戻りは?」
「多分、戻らない」
 開斗は、背を見せる祐平に言った。
「既読スルー。多過ぎませんか?」
 向き直り、祐平。
「仕事の指示や判断は返してると思うが」
 開斗は、再び背を向けた祐平に言った。
「俺、諦めませんから」
 何も言わず、祐平は会議室を後にした。
     *
 帰社した時、全員退社していた。
 彼のデスクには、表紙に付箋紙の貼られた数冊の資料が置いてあった。
付箋紙を取り上げてメモ書きの字を見た時、祐平は何故か寛人のことを思い出していた。
     *
「いらっしゃい」
 シーモアに一人で来店した客を、意外という面持ちでシュンスケは迎えた。
「シュンスケ。久し振り」
 カウンター席の祐平にシュンスケは言った。
「覚えてたんだ…」
「まぁね」
「忘れられたと思った」
「俺の方こそ。忘れられてると思ったよ」
 思わず、二人は笑った。
 乾杯の後、それぞれの話となった。
「レオン。居抜きしたの?」
「20年前に渉ママから譲られたの」
「部下に連れて来られて驚いたよ。レオンがあった場所だし。店の名前が違うから、知り合いは居ないだろうって入ったら君が居て」
「こっちこそ。開斗がここに誰かを連れて来るなんて初めてだし。しかも会社の上司だって言うじゃない。しかも一緒に来た人が祐平さん。驚きの連続よ。外国に行ったのよね」
「ロンドン」
「いつ戻ったの?」
「今年の春」
「そうなんだ」
「ところで、渉さん元気?」
「3年前に心不全で亡くなったの」
「えっ?」
「故郷の札幌でお店開いて、元気にしてたんだけどね」
「そう…」
「祐平さんに会ったら伝えてくれって。渉ママからの言伝」
「何?」
「祐平さんが元彼と別れる原因を作って、悪かったって」
 雰囲気が澱む。
「もう、気にしてないさ」
     *
 原稿取りを終えて社に戻る途中、祐平は時刻観書店に立ち寄った。
 古書店街に面したショーウィンドウに収まる大時計は、この店のシンボルとして親しまれている。
寛人と別れて以来避けていた場所だったが、その日は自然と足が向いた。大時計を見ていると、その時計の由来を説明した寛人の声が祐平の脳裏に甦った。

 …この大時計。創業時からここにあるんだ…
 …100年前からか…
 …そう。文字は暦を記録するために作られたって。創業者の自説…
 …それで本屋に時計かよ…
 …うん。でも、当時は逢引きの時計って呼ばれてたらしいよ…
 …逢引きねぇ…
…大時計が珍しかったし本屋なら怪しまれないからね…

     *
「えっ。開斗にいきなりキスされたの?」
 シュンスケ、にやつく。
「相変わらずモテること」
「アホか」
「でも開斗にしては意外ね。だってあの子、年上嫌いなはずだから」
「?」
「祐平さんと同年代は特に嫌ってたし」
「そうなの?」
「でもその年代に人気なのよ。だから、あの子目当てのお客さん増えたもの」
「ふーん」
「何かあるかしらね」
 シュンスケは含み笑いをしながら祐平を見た。
     *
 祐平は二階の書籍売り場を見て回った。
数年前に完成した建物の建て替えに合わせて店内も改装され、彼の記憶にある雰囲気とは一新されていた。
 天井まで届く書棚が林立し、書籍の充実ぶりは昔と変わらなかった。
 左奥のコーナーに至った時、祐平は開斗の背中を目にして思わず心の中で呟く。
 …寛人…
 開斗の後ろ姿は寛人のそれに瓜二つだった。
 …探してる本。見つけたよ…
 寛人の自慢気な笑顔。
 我に返った祐平は彼に気づかれぬうちに踵を返すが、呼び止められる。
「編集長ッ…」
     *
「島村チーフ…」
 開斗は少しムッとした表情で祐平の前に立った。
「探してる本。見つけましたよッ」
 そして、堰を切ったように話し始めた。
「ネットで探しても無くて、ここに有るって分ったから探しに来ました。編集長がお急ぎのようだったし、部下に任せると間に合いそうになく、本探しは得意なので自分が探しに来ました。正直、その中の一冊を探すのに骨が折れました。でもそんなことは良いんです。許せないのは、ここで本を探しているのを見て知っていながら素通りされる態度なんです。この前は、自分の気持ちを一方的に押し付けてしまって申し訳なかったし、それで僕が嫌われたとしても文句は言えません。でも日頃から公私のケジメに厳しい編集長が、自分を無視するってどういうことですか」
 押し付けるように本を祐平に渡した。
「次からは、ご自分でお探しください」
 祐平の脳裏に寛人との記憶が鮮明に蘇る。

 …まったく信じられないよ。毎回、探しにくい本ばっか…
 …俺じゃなくて、俺の上司に言ってくれよ…
 …俺みたいな本探しの達人がいなかったら、どうなっていた事やら…
 …メシ。ご馳走するからさ…
 …どうせ居酒屋でしょ…
 …少々高めの店でも良いぜ…
 …ほら。探している本、見つけたよ…

「開斗ッ」
 怒って立ち去る彼に言った。
「ありがとう」
 開斗は振り向き、呟く。
「今、名前で呼ばれた…」
「そうだったか?」
「開斗って、呼びましたよ」
「まぁ、そうかな」
「嫌われてないんだ」
「はぁ?」
「今回は、嬉しいから許します」
 祐平は開斗を優秀で有能な若手社員だと誰よりも認めているが、時として見せるこの手のリアクションは彼の理解を超える。
だからこの時も、祐平は思わず苦笑した。
「笑いましたね」
「済まん」
「本当にそう思ってます?」
「もちろん」
「じゃあ、飲みに連れてって下さい。もちろん編集長のおごりで」
「良いけど条件が一つある」
「何です?」
「セクハラ禁止」
「してません」
「それは被害者次第だ」
 開斗、憮然。
「留意しますよ」
     *
「熱燗。二本…」
「編集長。飲み過ぎですよ」
「祐平で良い」
「でも…」
「俺も開斗って呼ぶ」
 熱燗が届く。
「まぁ飲め」
「単なる親父っすね」
 開斗は、祐平の時計に触る。
「これ好いっすね」
「まぁな」
「俺も買おうかなぁ」
「バーか。売ってねぇーよ」
「ムカつく」
「限定品。レア物。入手困難」
「ネットで探す」
「欲しいのか?」
「はい」
「2人目だな」
「?」
「これ、欲しがる奴」
「一人目は?」
「初めて一緒に暮らした奴。欲しがってたから探したよ」
「見つけた?」
「ああ。贈ったら、俺がしてるのを欲しいと。だから交換した」
「ロマンチック」
「なにが。その直後に別れたよ」
「えッ、何で?」
「女に走った」
「バイなの?」
「知らん。でも別れた原因はずっとそれだと思ってたよ」
「違うんですか?」
「うん」
「?」
「原因は、俺だよ」
「ええッ。でも浮気したのは相手でしょう」
「当時の俺は心を閉ざしてた。その自覚すら無くて、あいつを傷つけた」
「後悔してます?」
「後の祭りだよ。欲しいか?」
 瞬時の沈黙。
「俺じゃない。時計」
「でもまぁ、見つからないでしょう」
「探す。絶対に見つける」
「本当っすか?」
「クリスマスにプレゼントしてやるよ」
「編集長。酔ってますよ」
「祐平だッ」
     *
「祐平。あんたんの家に着いたぞ」
 祐平は、玄関に入るなり開斗にキスをした。
「祐平…」
「仕返しだ」
     *
 朝方。
 祐平は、開斗に覆いかぶさって眠っている。
 部屋の薄明りに浮かぶ彼の横顔を、開斗は見つめる。
 やがて二人の上にスマホをかざして数枚の寝姿を撮った。
 そして開斗はベッドを抜け出し、服と荷物を持って寝室を出た。
     *
 黙って祐平の家を出ようとした開斗だったが、書斎が気になり中に入った。
  …ずげぇ蔵書…
 天井まで続く書棚を呆れ気味に眺めていたが、違和感を覚える一冊を手にする。
  …あの人が、星の王子様をねぇ…
 半ば馬鹿にしながら本を開いた開斗だったが、手垢に塗れたページを見て言葉を失う。
 開斗は書斎を出ると玄関へ行かず、祐平の眠る寝室に戻った。
     *
 二人は、付き合い始めて最初のクリスマスを祐平の家で過ごした。
「メリークリスマス」
 祐平は、開斗にプレゼントを渡した。
「開けて良い?」
 祐平、頷く。
「あッ。見つけたんだ」
「結構探したけどな」
「ありがとう」
「今しないの?」
「交換したい?」
「うん…」
 自分の時計を外し彼に渡した。
「開斗。愛してるよ」
「うん。俺も…」
「ここで、一緒に暮らそう」
     *
「祐平。年末年始は?」
「ここで過ごす。開斗は実家?」
「ここに居て良い?」
「俺なら気にしなくて好いよ」
「一緒に居る」
「わかった。ありがとう」
     *
 年の瀬。
 開斗は東都大学病院に一人で来ていた。
 顔馴染みの看護師たちに挨拶をしながら廊下を進み、奥の個室に入った。
 ベッドで眠る全身不随の患者の傍らに座ると、彼に声を掛けた。
「父さん、来たよ」
                      (第2回『虚実』END)

(第3回『疑心』アップ予定:2021.3.12)

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