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遠巻きの寛容(第3回「疑心」)

      疑心

 朝。
 開斗は玄関で祐平の背中を抱いた。
「こらっ」
「会社じゃ出来ないし」
「遅れるぞ」
「上司もね」
 二人、笑う。
「今夜、社長と飲むの?」
「うん。先に寝てて良いよ」
「飲み過ぎないように」
「わかってる」
 二人はキスをした。
      *
「やれやれ。ここですか」
「この店じゃ、不服か?」
「いいえ。でも、お誘いが社長ですからねぇ」
「お前と小洒落た店になんか行けるか」
「その手の店よりホッとできますよ」
「ここで酒癖の悪い部下に何度絡まれたか」
「ここ、昔のままですね…」
      *
「それで相談事って?」
若杉、鞄から出した封筒を祐平に渡す。
「役員候補の身辺報告書?」
「同期だろ。どんな奴だ?」
「30年。音信不通なので、お役には立てないかと」
「そうか」
「幹部社員への身辺調査の噂。本当だったんですね」
「人事の節目の我社固有の慣習」
「自分も?」
「当然。まぁ、気分の好い類の物ではないがな」
 依頼者欄に祐平の目が留まる。
「島村チーフの名前があるのは?」
「あいつは、人事の時に俺の直部下で調査の窓口を担当だった」
「何故、うちの部に?」
「お前の調査後、海外メディア編集部を希望してな。違う異動を考えてたんだが、お前の下で鍛えるのも良いだろうと思ってな」
      *
 居酒屋の後、二人はショットバーで飲んだ。
「酒、弱くなりましたね」
「流石に還暦過ぎるとな」
 若杉、赤ら顔で苦笑。
「お前こそ。仕事の話しをしなくなったさ」
「相手は社長ですから」
「偉く成るもんじゃないな」
 若杉は、祐平を直視した。
「単刀直入に聞くが良いか?」
「何ですか?」
「お前と島村。一緒に暮らしてるのか?」
「半年になります。噂耳に入りましたか?」
「口を挟む積りもないし、社内恋愛も自由だ。ただ慎重にな」
      *
 帰宅し、祐平が添い寝をすると開斗は目覚めた。
「起こした?」
「ううん。玄関の音で目が覚めてた」
 開斗、彼に向き合う。
「社長。何の用だった?」
「特に何も。元部下と飲みたかったみたいだ」
「ふーん」
「人事からウチへの異動、希望したって?」
「社長?」
「うん」
「お喋りなオヤジ。だからジジイは嫌いだ」
「俺もジジイだけど」
「一番嫌いだ」
「俺が異動になるから希望したと、社長は言ってたけど」
「ちぇッ」
「本当か?」
「うん」
「お前なら、もっと他に有利な選択肢があったろう」
「折角この業界にいるのに、著名な編集者の下で働かない手は無いでしょう」
「ふーん。でも嬉しかったよ」
 祐平は、一層強く彼を抱きしめて言った。
「お前との関係を聞かれた」
「マジ?」
「噂が耳に入ったらしい」
「あちゃ。それで?」
「事実を伝えた」
「何か言ってた?」
「『慎重に』と。それだけを言われた」
「ふーん」
 開斗は不機嫌顔で言った。
「やっぱ会社って、面倒くさい」
      *
 祐平を乗せたタクシーは渋滞に嵌まり、東都大学病院の前で動かなくなった。
彼が何気なく病院の出入り口に視線を向けた時、その中に入って行く開斗らしき後ろ姿を見掛けた。
 急にタクシーが動き出し、彼は確認の間もなく開斗を見失った。
      *
「一緒の晩御飯。久しぶりだね」
「ごめんな」
「そういう意味じゃないから。昼とか朝は、一緒に食べてるし」
 祐平は彼の顔をジッと見る。
「どうしたの?」
「具合とか悪くないよな」
「うん。何で?」
「開斗に似たのが東都大学病に入るのを見てさ」
「別人だよ。俺、この通り元気だし」
「そうだよな」
      *
「おや。今日は、シュンスケのみ?」
「そう。一人営業。開斗と待ち合わせ?」
「あいつ。今日、明日と大阪出張」
「寂しくなった?」
「何とかの洗濯さ」
「ボトルで良い?」
「うん」
「何割り?」
「ウーロン。良かったらどうぞ」
「いただきます」
      *
 乾杯の直後、祐平のスマホに開斗からのSNS。
『今、どこ?』
『シーモア。そっちは?』
『二次会のお店へ移動途中』
『ゲイバー?』
『ノン気の店ですよ』
『ふーん』
『混んでる?』
『客。俺一人』
『飲み過ぎないでね。オッサン』
『そっちこそ。若造』
      *
「開斗?」
 祐平、頷く。
「仲の好いこと」
 祐平、照れ笑い。
「一緒に暮らして半年くらい?」
「うん」
「年上嫌いのあの子が祐平さんと。分らないものね」
「何で年上を毛嫌いしてたんだ?」
「どうしてだろう」
「年の離れた兄がいて不仲とか」
「あの子、一人っ子よ。開斗が生まれて割と早くに両親が離婚したから兄弟はいないって言ってたわ」
「ふーん。初耳だよ」
 シュンスケは、不機嫌な表情の祐平を少し笑いながら言った。
「あの子、自分のことを他人にあまり話さないから」
「…」
「両親の離婚原因について一度だけ話してたわ。詳しくは言わなかったけど、父親と父より少し年上のゲイとの関係が原因で両親が別れたって。その相手を恨んでる感じだった。あの子の年上嫌いって、それからかしら」
      *
 再び、開斗からSNS。
『好い雰囲気の店だよ』
(店の写真)
『今度、二人で来ようよ』
『行こう』
(燥ぐ熊キャラ、点滅)
      *
「両親の人生を滅茶苦茶にしたゲイの奴が許せないって」
「…」
「見つけたら絶対に復讐してやるって」
 眉間に皺を寄せながら、シュンスケは続けた。
「あの時、開斗を怖いなって、マジで思った」
       *
 在宅勤務の祐平に開斗からSNS。
『お願いがあるんだけど』
『何?』
『送って欲しい企画書があって』
『企画書?』
『午後の打ち合わせで使うやつ。社内ネットに共有し忘れてた』
『どこにある?』
『俺の部屋のPC。デスクトップ』
『パスワードは?』
『今送る』
 立ち上げた開斗のPCのデスクトップはフォルダーのカオスと化している自分PCのそれに比べ静寂すら感じさせるシンプルな画面だったので、祐平は思わず苦笑した。
『あった。一応、中を確認するけど良いか?』
『編集長。是非お願いします』
 祐平は内容を確認し、修正指示も含めて企画書を社内ネットに共有した。
『まったく上司をこき使いやがって』
『可愛い部下の頼みを聴いて頂き、ありがとうございます』
『今日は、早く帰って来いよ。一緒に飯を食べよう』
『コアタイム終了次第、直ちに帰宅致します』
『待ってる』
(点滅するハートマーク)
      *
 PCをシャットダウンしようとした祐平だったが『YS』のタイトルを記されたフォルダーが妙に気になった。
フォルダーをクリックするがパスワードを要求される。ダメ元で祐平は、今しがた開斗に教えられたパスワードを試しに入れてみると、セキュリティガードは解除された。
 フォルダーにはテキストと画像データが入っていた。
先ずテキストを見た祐平だったが、その内容を見るなり彼は眉間に皺を寄せた。
 …一体これは、どういうことだ…
 それは、開斗が興信所に依頼した祐平に関する調査報告書で、その主たる内容は30年前の祐平と寛人に関わるものだった。
 …俺と寛人の関係になんで、あいつが関心を持つんた…、
その時、シュンスケの言葉が祐平の脳裏を過る。
 …両親の人生を滅茶苦茶にしたゲイの奴が許せないって…
 祐平、震える指先で画像データをクリック。
 彼、写真に絶句。
 裸の二人が抱合ってベッドで眠る写真。
 復讐の二文字を、彼は感じた。
      *
 開斗が帰宅すると、祐平はリビングルームのソファーに腰掛けていた。
「あっ、居たんだ」
 祐平はゆっくり顔を上げた。
「ただいまって、玄関で言ったけど返事がなかったから出掛けてるのかと思った」
 祐平、無言。
「どうしたの?」
 彼は開斗の顔をジッと見つめる。
「具合悪いの?」
 不快な溜息の後、祐平は言った。
「そこに座れよ」
 祐平は対面の席を指した。
「えっ。隣り、行くよ」
「良いから。そこに座れ」
 普段と様子の違う祐平に戸惑いながら、開斗は彼が指定する椅子に腰掛けた。
「開斗。お前、俺に隠し事してないか?」
「別に隠し事なんてしてないけど」
「お前のPCのデスクトップの『YS』名のフォルダー。YSって何の略だ?」
「特に何か意味があるとかではないけど」
「言えない様だな」
「そんな事は無いけどさ」
「じゃあ、言えよ」
「…」
「俺の名前、『YUHEI SAKURAI』のイニシャルだろ」
 開斗は言葉を失い、祐平を凝視する。
「パスワードが解からなければ、見なくて良い物を見ずに済んだ。でも、お前が送ってきたパスワードが合ってしまった。勝手に覗いたことは謝るが、あれは一体、何の積りだ?」
「祐平。何言ってんの?」
 祐平は、準備していた書類を開斗に突き付けた。
「印刷したよ。俺に関する興信所調査報告だろ」
「それは、人事に居た時の…」
「仕事だろ。知ってる。だが、これは違うよな。俺の30年前を何故調べた?」
「それは…」
「俺が、お前の両親の離婚の原因だと思ったか?」
 祐平は印刷した写真を、開斗に投げつける。
 表情を強張らせ、開斗は床の上の写真を見つめる。
「それをネタに俺を、セクハラで陥れる積りだったか?」
「違うッ」
「東都大学病院へ、何しに行ったんだ?」
「そんな所、行ってない」
「俺がお前を見たと言った日はどこに居た?」
「あの日は、打合わせで外に…」
「その予定。ドタキャンされたよな」
「…」
「俺に何の恨みがあるんだ」
「恨んで無い。祐平を本当に愛してる。信じて」
「開斗。お前…」
 開斗、目から涙。
「一体、何者なんだ?」
      *
 開斗は頭を抱えて泣くだけで何も答えなかった。
「お前には黙っていたけど、その後も病院へ行くお前を見てるんだ」
 彼は顔を上げる。
「駅前の花屋で花束を買っているのを偶然見掛け、お前の後をつけた。案の定お前は、東都大学病院に行った。その時は病院のロビーで見失ったがな。誰を見舞ったんだ?」
 開斗、怯えた表情。
「俺に言えないか。そいつ、ひょっとして本当の彼氏か?」
「違う。俺が愛してるのは祐平だけだ」
 祐平、苦笑い。
「それなら何故、聞かれたことに答えられない」
「…」
「簡単に答えられることじゃないか」
「本当に何でも無いんだ。俺を信じてよ」
「隠し事をするお前を、信じろと?」
 開斗は何度も左右に首を振って否定し続ける。
「もう一度聞く。東都大学病院に誰が入院しているんだ?」
「それは…」
「よほど知られたくない人らしいな」
「それを知ってどうするの?」
「開き直るか。呆れた奴だ。なぁ、お前がそうまでしたい奴って一体、何者だよ?」
「…」
「俺とは、どんな関係なんだ?」
 開斗、哀願の眼差し。
「そんな目で俺を見るなよ。お前にとってのそいつは、俺以上に大切な人のようだ」
「確かに大切だけど、俺にとって一番大切なのは祐平だよ」
「嬉しいけど、そいつも大切だと認めるんだな」
「それは…」
「それじゃあ。そろそろ行こうか」
「えっ、どこへ?」
「東都大学病院だろ。お前の大切な男の見舞いさ」
「嫌だっ…」
「お前の大切な奴なら、俺にもそうだ。挨拶しないとな」
「嫌だ。お願い。それだけは勘弁して」
 開斗、祐平に縋りついて号泣懇願する。
「会ったら。俺の事、ちゃんと紹介してくれよ」
      *
 病室のネームプレートを見て、祐平は声を漏らした。
「清水。寛人…」
      *
 ドアを開けようとする祐平に、開斗は立ちはだかる。
「どけよ」
 中に入らせまいとする開斗と祐平の間で静かな諍いがしばらく続いていたが、業を煮やした祐平は力任せに彼を押し除けた。
 そして、祐平はドアを開けた。
殺風景な個室の奥に生命維持装置に囲まれたベッドが、彼の目に入る。
 …何だ、ここは…
 ベッドサイドで患者の寝顔を見て、祐平は声を漏らした。
「寛人…」
 祐平は振り向き、彼に訊ねる。
「何なんだよ。これは?」
「20年以上。父さんは、この状態なんだ」
「父さん、だと?」
「…」
「寛人の息子だって?」
 開斗、頷く。
「俺を欺いてたんだな」
「違う」
「じゃあ、何故黙ってた」
「それは…」
「復讐目的で近づいたんだろ」
「違う。祐平。愛してる。本当に愛してるんだ…」
「俺から、離れろよ」
「嫌だッ」
「離れろって」
 突然、ドアが開いた。
「母さん…」
「あなた。桜井祐平…」
「あの時の女かよ」
 二人の顔を見て、祐平は力なく笑った。
 個室の静寂に染入る生命維持装置の微かな作動音。
 そして、祐平は言った。
「俺たち、別れよう」
「ゆうへい…」
「もう終わりにしよう」
 彼は、部屋を出て行った。


(第3回『疑心』END)

(第4回『告白』アップ予定:2021.3.19)

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