遠巻きの寛容 最終回「帰結」

      帰結 

 ウェーブ-本社ビル内の会議室。
「俺が何で異動なんだよ」
 開斗は声を荒げる。
「バンコク転勤なんて嫌だね」
「新規プロジェクトの責任者だぞ。悪い話じゃない」
「なぁ、祐平。断ってくれよ」
「社内だぞ。編集長と呼べ」
「編集長様なら断れるだろ。頼むよ」
「無理だ。社の決定だからな」
「葬式から半年。俺たちの生活もこれからって時に嫌だよ」
「俺だって、お前と離れたくない。だがな、お前の将来を考えて承諾したんだ」
「えっ、祐平。俺をバンコクへ単赴任させたいのかよ」
「お前なぁ…」
「兎に角、俺は行かないからな。断れよ」
 捨て台詞を残して会議室を出て行く開斗を見ながら、祐平は溜息を漏らす。
 …今夜も、一波乱あるなぁ…
      *
 二人の寝室。ベッドで祐平に背を向けて寝る開斗。
 祐平、彼の腰に手を回すが拒否。
「触るな」
「まだ怒ってるのか?」
「今日は疲れてんの」
「異動まで三週間しかないんだぞ」
「承諾してないから」
「向こうに行ったら、しばらく会えないんだぞ。二人の時間を大切にしよう」
「知らねぇーよ」
「機嫌治して」
「原因を作ったのは、そっちだろ」
 祐平、再び彼の腰の手を回すが断固拒否される。
「触るなって。おやすみ」
「やれやれ…」
      *
 東京国際空港出発ロビーのラウンジで話す、二人。
 開斗、相変わらず不機嫌顔。
「SNS、直ぐに返せよ」
「わかってるよ」
「毎日。朝と晩にするからな」
 祐平、苦笑。
「そんなに俺が心配か?」
「基本だろ」
「朝晩といわず、ちょくちょく入れてやるよ」
「わかった」
 開斗の表情が少し和らいだ。
「俺にすれば、お前の方が心配だよ。向こうで浮気しやしないかって」
「するか」
 祐平は修理に出していた腕時計を置いた。
「オーバーホール、終わったの?」
「まぁな。腕、出して」
「えっ?」
「時計をしてる方。これと取り替える」
「…」
「これが寛人の遺品で、俺にとって大切な物だと知ってるな」
「うん」
「お前に預ける。今日から俺は、お前がしてた時計をするから」
「…」
「少しは信用したか?」
「疑うかよ」
      *
 保安検査ゲート前。
「開斗。気をつけてな」
「祐平も」
「深刻になるな。オンラインミーティングもあるし」
「祐平」
「うん?」
「俺の気持ち」
 開斗、彼に封筒を渡す。
「?」
「家で見て」
「…」
「じゃあ、行ってくる」
      *
 帰宅後、祐平は封筒を開けた。
「あいつ…」
 それは、開斗の名前が記された婚姻届だった。
      *
 3か月後、ウェーブ社長室。
 祐平は、若杉に退職願いを出した。
「悪い冗談は止めろ」
「真面目な話です」
「理由は、何だ?」
「一身上の都合です」
「引抜きか?」
「いいえ。違います」
「…」
「引継と有給休暇消化の都合から、3ヶ月後に退職させて頂きます」
「桜井。ちょっと待て」
「何か?」
「島村の異動への反発か?」
「関係ありません」
 若杉は、眉間に皺を寄せた。
「今夜、空いてるか?」
「はい」
「酒でも飲んで話そう」
      *
 二人の馴染みの居酒屋にて。
「辞めてどうする?」
「好きな事をして過ごします」
「やめろ。勿体ない」
「慰留ですか?」
「当り前だ。お前の抜けた穴は大き過ぎる」
「嬉しいですが、もう決めているので」
 若杉、憮然として酒を呷る。
「ところで昔の事で伺って良いですか?」
「何だ?」
「社長が渋谷で寛人とで偶然会われた件です」
「…」
「香純さんによるとデパートの宝飾品売り場だったそうですね」
「そうだったかな?」
「お一人で宝飾品売り場なんて珍しいですね」
「昔のことだ。忘れたよ」
「寛人たちとは本当に偶然ですか?」
「当り前だろう」
 祐平、酒を飲む。
「実は、ずっと引っ掛かってることがありまして」
「何だ?」
「レオンという店をご存知ですか?」
「レオン?」
「はい。女性もOKのゲイバーです」
「そこが?」
「香純さん。そこを何で知ったんでしょうか?」
「さぁな。テレビか雑誌だろ?」
「彼女、そう言ってませんでしたよ」
「?」
「あなたに連れられて初めて行ったと」
 猪口を持つ若杉の手が止まる。
「彼女の勘違いだろう」
「行かれたことが無いと?」
「勿論」
「…」
「俺はゲイバーに行ったことがない」
「この写真に香純さんと映っている男性は社長と別人ですか?」
「…」
「レオンは現在、シーモアという店に変わっていますが、この写真はその店ママが持っていましてね。彼はレオンの元従業員で、レオンのママから居抜きした店と一緒に写真も譲られました。レオンのママ、少々迷惑な癖がありましてね、自分のタイプの客が来ると一緒に写真を撮るんです。この男性もタイプだから撮られた。シーモアのママもタイプだったから、当時のことをよく覚えていましてね、この男性の名前は…」
「写真の男は俺だよ」
「何故嘘を?」
「人に知られたくなかった。不倫相手とゲイバー遊び。外聞が悪いだろう。あの店へは、香純と行ったのが最初で、最後だ」
「シーモアのママ。そう言ってませんでしたよ」
 祐平、淡々と話を続ける。
「彼女を伴って来る前も何度か、レオンのママが居ない時に一人で来ていたと」
「人違いだろ」
「じゃあ何故、彼が社長の連絡先や名前を知ってるんですか?」
「知らん」
「彼と寝ましたよね」
「おい。何言ってる」
「偽名を使わなかったは迂闊でしたね。いいや、使えなかったかな」
「…」
「香純さんの前で偽名を呼ばれるのは都合悪いし」
 若杉、手酌で酒を飲み続ける。
「メディアで社長を見る度、彼は当時を思い出して悦に浸ってたみたいです」
「違う」
「何が違うのですか?」
「シュンスケとは、そういう関係じゃない」
「シュンスケ。どうして彼の名前をご存知なんですか?」
「…」
「もう隠さなくても良いですよ。全部知ってますから。社長が和雄と名乗ってゲイバーに出入りしていたことや男、女問わず愛人も常に何人かいたこともね。社長、ご存知なかったかもしれませんが、偽名でもあの界隈で結構有名人だったんですよ。だから、色々と調べるのに苦労しませんでした。あと、開斗と関係を持っていた事も知ってます。あいつから直接聞きました。関係は一ヶ月で終わったんですね。あいつとすれば、俺の情報を手に入れるために必要だったみたいで、用が済めば終わりと割り切ってた。でも社長が予想外の執着を見せたので、俺を陥れようとした手段で脅して関係を解消した。違いますか?」
「俺を怒らせたいのか?」
「ゲイを口説けるかって。香純さんをけしかけましたね」
「してない」
「店に寛人が来た日。シュンスケに連絡させましたよね」
「いい加減にしろ」
 若杉のスマホ、メール着信音。
「メール。見て下さい」
 若杉の顔色が曇る。
「当時、シュンスケが送ったメールですよね。彼に事情を話したら協力してくれました」
 メールを見つめ続ける若杉。
「そこまでして、俺と寛人の関係を壊したかったんですか?」
 祐平、続けて言う。
「俺をロンドンから呼び戻し。俺に開斗を近づけ。俺と縁りを戻した開斗をバンコクへ飛ばした。若杉さん。あなたは一体何がしたいんですか?」
「…」
「俺を、ご自分のモノにする積りでしたか?」
「桜井。誤解だ」
「俺のことが好きなんですよね」
 若杉、酒を呷る。
「30年前、あなたとケリをつけて置けば寛人をあんな目に遭せずに済んだかもしれないと悔やまれます。だから俺は自分もあなたも許せないけど、あなたが俺をロンドンから呼び戻してくれたお陰で止まっていた時が動き出し、寛人との再会も果たせた。だから、あなたに対する気持ちは複雑です」
「俺が素直に気持ちを伝えてたら、どうした?」
 祐平、優しく微笑んで答える。
「断りましたね。上司や先輩として尊敬できても、あなたは恋愛の対象にはなりません。俺のタイプじゃないので」
 若杉、苦笑。
「もう終わりにしませんか。俺や開斗との縁は切って、それぞれの道を進むべき時です。今なら、お互いに嫌な思いをしないで済みます」
「拒んだら?」
「無意味だけど俺と開斗は、あなたを相手に戦いますよ」
「…」
「狩る愛より、共に向き合える愛を大事にされたらどうです」
 祐平、彼の猪口に酒を注ぐ。
「お世話になりました。若杉社長」
 席を立つ祐平に若杉が訊いた。
「シュンスケは、なんで昔のメールを保存してたんだ?」
「さぁ。本人に直接聞いて下さい」
 そして祐平は、立ち去り際に言った。
「シーモア。来月いっぱいで店閉めるそうですよ」
      *
 バンコク、スワンナプーム空港国際国内線到着ロビー。
 4ヶ月振りの再会。
「待たせたな。開斗」
「全部、片付いた?」
 祐平は頷き、開斗を抱く。
「祐平。会いたかった」
      * 
 空港ロビーのラウンジ。
「若杉の本性にいつ気づいたんだ?」
「寛人と話して察し、香純さんと話して確信した。シュンスケを問い詰めたら予想通り。ゲイバーのママ連中から呆れるくらい色々な話が出てきたよ。俺がお前と縁りを戻したのは知ってる筈だから、何か仕掛けてくるだろうと思った矢先にお前の異動の打診だった。若杉にしたら体良く厄介払いだったんだろうが、俺には渡りに船だったよ」
「こっちの会社。いつから誘われてたんだ」
「ロンドン時代に一緒に仕事してた奴がバンコクで起業して、ずっと誘われてた。お前と付き合うことになって断ったんだが、それでも誘われ続けた。お前の異動に便乗したわけ。来ると決めたから全部片付けようと思った。仕上げは、若杉に引導渡すことだった。もう、あいつのチャチャは入らないさ。開斗、心配かけてごめんな」
「まったくだよ」
「ところで開斗。本当に俺で良いのか?」
「何が?」
「俺の方が早く歳を取る。惚けて、下の世話の可能性だってある。良いのか?」
「そんな心配か」
「現実問題だからな」
 開斗は笑顔で言った。
「実は俺、介護のプロでさ。父さんで鍛えられたから下の世話も上手いぜ」
 祐平、苦笑。
「俺は祐平に会って自分を変えられた。祐平から多くを学んだし、もっと学びたい。だから祐平、俺と一緒に居てくれないか」
 祐平は封筒を開斗に置いた。
「お前の気持ちへの返答だ」
 開斗は婚姻届受理証明書に絶叫し、彼の頬にキスしながら言った。
「結婚式。いつ挙げる?」
                      (最終回『帰結』END)

(次回 読切ショートショート『僕らはキレイ』アップ予定:2021.4.9)


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