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どっちでもよくはない

優柔不断である。どっちでも良いことが簡単に決められない。

なにかしら「理由」をつけないと選択できないのだ。「理由」を探して、あーでもないこーでもないと考えているうちに、時間が過ぎていく。

「理由」を探すのは、自分が納得するためだ。

選んだ「理由」をはっきりさせておけば、あとから無駄な後悔をしないで済む。もちろん「あっちのほうが結果的に良かったかな」という振り返りはあるのだが、自分の中での「理由」がはっきりしていれば、そのときの選択はそれが最善だったのだと納得できる。

優柔不断な自分が大嫌いだったが、納得する理由を探している過程なのだと解釈できてからは、そういう性質も悪くないと思うようになった。


ただ、本当にどっちでもよいことにグズグズ悩むクセは、どうなのかと自分でも思う。

技術として、予め自分の中に選ぶ「方法」や「基準」を持つことで時間を短縮できることは知っているし、そう心がけていた時期はあった。

だけど、ふと、それは考えることを放棄してしまっているのかもしれないと思った。いまや、理由を探す時間を、楽しんでいるとも言える。


失敗したくない、損をしたくないなど、根本的にすごい欲張りなんだということは、うすうす気付いている。


いまも、たわいもない予定でものすごく悩んでいる。どういう理由で、どういう損得勘定で判断すべきか、結局は自分自身で考えるしかないのであるが。


山の日は、どこのモンブランにしよう。