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海の日になんとかこじつける

陽が傾いた頃になってようやく、今日は何の記念で祝日だったんだっけと考えた。すぐに思い浮かばず、もしかして実は普通の平日だったらどうしようと冷たい汗を感じたが、テレビのニュースで思い出した。

「海の日」だ。よかった。確かに祝日だった。

で、「海の日」って何の日だっけ。

海に親しむ日とかなんとかそんな感じではなかったか。海に親しむ日、というのもずいぶん漠然としている。内陸で生まれ育ったので、憧れはあるものの海に対する思い出や経験は少ない。

そして、自慢ではないが今日は一歩も外に出なかった。まして海に行こうなどとはこれっぽっちも考えなった。まあ、海の日に海を見たことは一度もないけど。

それでも、せっかくなので「海」にちなんだことはなかったかと振り返ってみたが、お昼ご飯に海産物は含まれなかったし、サザンやチューブも聴いていない。

いや、あった。 読んでいた本に海が出てきた。


海は、主に遣唐使の船旅として描かれていた。

当時の航海がどれほど命がけだったかを思い知った。造船技術は心許ないし、偏西風の知識もなく、外洋での航路判断を占に頼っていたりと、そんな状態でよく何度も派遣したものだ。それが、行きだけでなく、帰りもあるのである。

行きの描写が苛烈だったので、帰りも同じようにたいへんなのか(長いのか)と心配したが、記録が乏しいとのことであっさり帰着。少しホッとした。

命がけの航海なんて、よほどの使命感や運命的なものを感じないと無理だったろう。



遣唐使船は「難波ノ津」から出ていたとのこと。グーグルマップでそれらしいところを検索してみたが、当時の海岸線が現在とずいぶん違っていることを知って驚いた。関西方面に行く機会があったら立ち寄ってみよう。


ところで、馴染みの薄い時代の本を読んでいると、聞いたことのない名前や地名がたくさん出てくる。その都度、スマホで調べながら読むので時間が掛かってしまう。

もっと正確にいうと、スマホで調べようと思って、ついでにツイッターを開いてしまう。

見知らぬ単語を検索する前にツイッターを開いてしまって、そういえば何を調べるのだっけと本に戻って確認し、さらにスマホに向ってまたツイッターを開いてしまう、という現象が今日も発生した。

まるで、引いては寄せる波のように。 海の日だけに。


へたくそか。