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良い官能評価、つらい官能評価

作物の品種改良を行う現場では、おいしさを調べる「官能評価」がしばしば行われる。私の品種改良へのあこがれは「官能評価」へのあこがれであったかもしれない。

農業試験場に就職後しばらくして、小麦の品種改良担当となった。それは同時に官能評価を担うことも意味していた。

実際にはじめて「官能評価」を行うとき、うれしさと感じると同時に、恐ろしさを感じた。だって、私の舌がおかしくて間違った評価をしてしまったら、選ばれるべき品種が日の目を見ないことだってあり得るのだ。

品種の違いを感じようと一生懸命取り組んだ頃が懐かしい。次第に要領を得てくると、けっこう食感などの違いが敏感に分かってくるものである。


小麦では、ひとつひとつの品種を小麦粉に挽いてから、うどんやラーメン、パンに加工して評価する。

タダでいろんなものが食べられるから良いですね、なんて思う人がいるかもしれないが、決して美味しく調理するのが官能評価ではない。そこでは、品種の「違い」や加工食品に必要な特性を最も明らかにできる調理方法が採用される。


「ラーメン」の官能評価はツラかった。

原料としての小麦の善し悪しを評価する対象は「麺」であり、具は入れない。「麺」だけの素のラーメンを作って試食する。何種類もの麺を食べることになるので、スープはかなり薄味にする。

もう、これだけでおいしさとは無縁なのだが、さらに悪いことに、評価項目で最も重要なポイントが「茹でのび」なのである。出来上がったラーメンをしばらく放置してから食べるのだ。

しかも私が担当した時期は、大部分のおいしくない品種の中から、わずかな良品種を選ぶという段階であった。このため、グダグダにのびた薄味のマズいラーメンを延々と食べていた。

官能評価にも、あえておいしくない姿にしてから食べ比べるという、苦行があることを知った。

思えば、ラーメン官能評価の日は、担当者みな暗い顔をしていた気がする。


同じ麺類でも、「うどん」は、おいしくいただける官能評価だった。茹であげた麺を水でしめて「ざるうどん」で食べる方法を採用していた。めんつゆは使うが、薬味や天ぷらまで乗せるのはNGである。

当時は、既に先輩方の努力で、おいしい品種がいくつも育成されており、さらに良いものを選ぶという時期だったので、極端にマズいと感じる機会は少なかった。

ただし、うどんの場合、少々食べ過ぎてしまうのが欠点であった。油断をすると、評価を越えて官能に浸ってしまうこともあった。

官能評価の時期は冬である。当時は夏冬の体重差が大きかったが、官能に浸りすぎたことも要因だったのかもしれない。



官能評価の担当は既に数年前に離れた。冬の体重増はおだやかになった。

夏に体重が減らなくなった理由は不明である。 年か、年なのか。