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文芸誌への入り口

文芸誌を買うような人間になるとは思わなかった。

という言い方は、いろいろ語弊があるかもしれない。しかし、正直、あんな堅っ苦しそうなぶ厚い雑誌を誰が読むのだろうと不思議に思っていた。ずっと刊行が続いているので購買層があるのはわかる。しかし、書店で文芸誌コーナーに人が立っていることは希だし、そこで立ち読みしている人も別の雑誌を開いていることが多い。

それなのに、自分が文芸誌を進んで買うようになるんだもの。人って変わるもんですよ、奥さん。


私を文芸誌に誘ったのは川越宗一さんである。別にご本人に勧められたわけでは無い。そんな仲ではないし、知り合いですらない。サインください。

川越さんは、デビュー2作目の『熱源』で直木賞をとったことが話題になった。『熱源』はすごかった、熱かった、面白かった。

すぐに川越さんの書いた小説で手に入れられるものを集めて、すべて読んだ。「デビュー2作目」ということで、刊行されている著作がまだ少ないこともあって可能だった。それが、やはりぜんぶ面白かった。

川越さんの文章をもっと読みたい、となったが、それには読み切りや連載の載っている文芸誌を手に入れるのが実に手っ取り早いのだ。その作家の最先端をいの一番に読めるのだ。


ああ、そうか。こうして文芸誌の読者になっていくのか。

文芸誌の購買層は、いずれかの作家さんに惹かれ、過去の作品に追いついて、彼(彼女)の書く最前線をともに旅する人たちなのかもしれない。そう思ったら、文芸誌の購買層の人が同志のように思えてきた。

でも、書店のレジに文芸誌を持って行く人、見たこと無いんだよな。今度レジ近くで同志の存在をこっそり見張ってみようか、、、それはさすがに不審者だな。


文芸誌って、実際に読んでみると、漫画もあるし、軽いエッセイもあるし、意外とお気楽で親しみやすいものだと知り、新たな世界の広がりを感じている。なかなか全部を読み切れないのが玉に瑕だが。タマにキズって、なんかイヤだ。


文芸誌といえば、浅生鴨さん編集の『ココロギミック』。タイトルからして少年誌っぽい振りをしているけど、中身は分厚い文芸誌だと思う。