想像をとめるから見えてしまう

要するに想像力の欠如である。そうすると幽霊ができるのだ。幽霊は想像力の産物ではなくて、想像力の欠如の産物だからである。

ちくま学芸文庫・日高敏隆『人間はどういう動物か』P170

これを読んで、ハッとした。

「幽霊」を「見えないもの」と置き換えてもよいだろう。見えないものを生み出すのは想像力だと思っていたが、そうではなく想像力の欠如なのだという。言われてみればそのとおりだ。

情報の隙間を自分の思い込みで埋め、物語を組み立ててそこで思考をストップしてしまう。それが「見えないもの」の仕業だと思ってしまう。もう少し情報を手に入れて、もうちょっと想像力を働かせれば、まったく違う結論に至るかもしれないのに。

枝の見間違えだったり、小さな動物だったり、本当はなんてことのない別のものだったりするものだ。

思いあたるフシがある。とてもある。情報と思考を途中で止めている、想像力の欠如なのだ。なるほどな。


でも、実際に「見た」人に言わせると、それは本当にいるのだという。

想像力が足りないのは、幽霊の存在を信じようとしない側なのかもしれない。

ホラ、、アナタノ、、、ウシロニ、、、、


やべ、自分で言い始めておいて、ひとりでトイレに行けなくなるパターンのヤツ。


大丈夫、言葉ならぜんぶ嘘だから。