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たつ鳥あとに残したモノをみつけにゆく

前夜は眼精疲労から来る頭痛がツラかった。楽しみにしていた本があったのに、なかなか読み進められなかった。

今朝も目の奥の鈍い痛みは続いていて、じっくり本を読むのはあきらめた。

幸い、ストレッチと鎮痛剤と温シャワーで痛みが和らいだので、本を読めないなら青空の下に出ようとドライブに出た。ちょっと遠くの本屋まで。

本が読めなくても行き先は本屋という、守備範囲の狭さよ。


向った先は、江別蔦屋書店。先日の文学フリマトークイベントでお会いした作家の浅生鴨さんと編集の今野さんが、その翌日に訪れた(とツイートされていた)書店のひとつである。

いわば、時間差追っかけだ。はた目には、ちょっと気持ち悪いオジサンに私はなっているような気がするが気のせいだ。ご容赦ください。


店内に入ってすぐ、明らかな痕跡を発見した。

レジ近くの目立つところに

入り口付近のビジネス書新刊本コーナーに、手書きの色紙があった。

立つ鳥あとに色紙を残す。良い本なので全部売れますように。

浅生鴨さんの著書はほかに、文芸棚に『すべては一度きり』、エッセイ棚に『ねこかもいぬかも』、アンソロジー棚に『雨は五分後にやんで』を見つけた。

『ねこかもいぬかも』は素敵なイラストが見える面置き!


良いよ江別蔦屋書店。思い起こせば『取材・執筆・推敲』も『会って、話すこと。』もここで買っているよ江別蔦屋書店。これからも来るよ江別蔦屋書店。

だがしかし、申し訳ない。ここにある浅生鴨さんの本は全て持っているんだ、パトラッシュ。

なので代わりに『ぼくらは嘘でつながっている。』(以下、ぼく嘘)の参考文献+αを購入して、義理を果たした(つもりになった)。

買った本を見せるのは恥ずかしい


私のように『ぼく嘘』の参考文献まで探して買うような物好きがいるので、『ぼく嘘』を目立つところに置くことは非常に大きな意義があるかもしれない。ということを声を大にして言いたい気持ちを心の中に秘めている。


書店は楽しい。すぐに他の書店にも行きたくなる。

三省堂も、紀伊國屋も、ジュンク堂も、文教堂も、コーチャンフォーも、いわた書店も、富貴堂も、全部良い。あとブックオフも。

順繰り回って、楽しい日々が延々続くような気がする。

書店バンザイ。


でも、どうしてお金ってすぐに減るんでしょうか。